はじめに
2025年現在、ホテル業界を取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。特にマーケティング戦略においては、デジタル化の進展、消費者の行動変容、そして競争の激化といった要因が複雑に絡み合い、従来のやり方が通用しなくなってきています。単に広告を打つだけでは効果が得られにくく、ホテルはより戦略的かつ多角的なアプローチを求められています。本稿では、ホテル業界が直面するマーケティングの課題を深掘りし、その解決に向けた具体的な戦略について考察します。
変化する市場とマーケティングの再考
現代のホテルマーケティングは、かつてないほどの複雑さに直面しています。デジタル広告の費用対効果は低下し、プライバシー規制は強化され、オンライン旅行代理店(OTA)との競争は激化の一途を辿っています。これらの課題は、ホテルがマーケティング戦略全体を根本的に見直す必要性を示唆しています。
先日、Hospitality Netに掲載された「Hotels must rethink their marketing mix: Leading industry consultants interrogate Cendyn Performance Index」という記事は、この現状を端的に表しています。この記事は、多くのホテルが直面しているマーケティングコストの高騰、プライバシー規制の厳格化、そしてOTAとの激しい競争という3つの主要な課題を指摘しています。そして、これらの課題に対処するためには、レートパリティの徹底、データ品質の向上、システム統合といった基本的な要素が不可欠であると強調しています。
ホテル経営者やマーケティング担当者は、単発的なキャンペーンに終始するのではなく、マーケティング、レベニューマネジメント、オペレーション部門が連携した、一貫性のある商業戦略を構築することが求められています。自社データの活用を強化し、第三者プラットフォームへの過度な依存から脱却することが、持続可能な成長への鍵となるでしょう。
マーケティングコスト高騰とプライバシー規制の狭間で
デジタル広告の費用対効果の悪化
デジタル広告は、ホテルの集客において重要な役割を担ってきましたが、その費用対効果は年々低下傾向にあります。広告プラットフォームの競争激化によりクリック単価が上昇し、ターゲット層に確実にリーチするためのコストが増大しています。特に、中小規模のホテルにとっては、大手チェーンやOTAのような潤沢な広告予算を投じることは難しく、限られたリソースの中でいかに効果を最大化するかが課題となっています。
現場からは「以前と同じ予算で広告を出しても、予約数が伸び悩んでいる」「結局、OTA経由の予約がほとんどで、自社サイトへの誘導が難しい」といった声が聞かれます。これは、単に広告費を増やすだけでは解決できない、より深い戦略的課題が存在することを示しています。
厳格化するプライバシー規制の影響
欧州のGDPR(一般データ保護規則)や米国のCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)など、世界的にプライバシー規制が厳格化しています。これらの規制は、顧客データの収集、利用、保管に大きな影響を与え、ホテルのパーソナライズされたマーケティング活動をより困難にしています。サードパーティクッキーの廃止も進み、従来のターゲティング手法が使えなくなることで、顧客の行動を追跡し、的確なメッセージを届けることが一層難しくなっています。
「どのデータを使って、どのようなメッセージを、誰に届けるべきか、その判断が複雑になった」「顧客の同意を得るプロセスが煩雑で、マーケティング活動のスピードが落ちている」といった現場の担当者の悩みは、プライバシー保護とマーケティング効果のバランスを取ることの難しさを物語っています。
OTAとの競争激化と直販戦略の重要性
OTAの強力な集客力と手数料問題
OTAは、その広範なリーチと強力なマーケティング力で、ホテルの予約獲得において依然として大きな影響力を持っています。特に新規顧客獲得においては、OTAのプラットフォームが不可欠であると感じているホテルも少なくありません。しかし、その一方で、OTAに支払う手数料はホテルの収益を圧迫する大きな要因となっています。
「OTAからの予約は多いが、手数料を引くと利益がほとんど残らない」「OTAに依存しすぎると、自社のブランド価値が希薄化するのではないか」といった懸念は、ホテル経営者が常に抱えるジレンマです。OTAとの共存は避けられない現実ですが、その依存度をいかに下げ、自社の利益構造を改善するかが喫緊の課題となっています。ホテルOTA共存の最適解:大手幹部が示す直販とデータ活用の新機軸でも触れたように、OTAとの適切な距離感を保ちつつ、直販を強化する戦略が求められます。
直販強化のための基盤構築
OTA依存から脱却し、収益性を向上させるためには、直販の強化が不可欠です。直販を成功させるには、単に自社ウェブサイトを整備するだけでなく、顧客に直接予約してもらうための魅力的なインセンティブや、シームレスな予約体験を提供する必要があります。
しかし、多くのホテルでは、自社ウェブサイトの使いやすさや、OTAサイトとの価格競争力に課題を抱えています。予約エンジンの操作が複雑であったり、情報が不足していたりすれば、顧客は簡単にOTAへと流れてしまいます。また、OTAが提供する割引やキャンペーンに対抗できるだけの魅力的な直販限定プランを打ち出すことも重要です。
「お客様が自社サイトで予約しようとしたが、操作が分からず結局OTAで予約してしまった」「直販の方がお得だというメッセージが、お客様に十分に伝わっていない」といった現場の声は、直販強化に向けた課題の根深さを物語っています。
直販を強化するためには、まずレートパリティの徹底が重要です。OTAと自社サイトで価格に差がある場合、顧客は最も安いチャネルを選ぶ傾向にあります。一貫した価格設定は、顧客からの信頼を得る上で不可欠です。その上で、自社サイト限定の特典や、よりパーソナルなサービスを打ち出すことで、直販の優位性を確立する必要があります。
ホテルが取り組むべきマーケティングミックスの再構築
データ品質の向上と統合の重要性
効果的なマーケティング戦略を構築するためには、質の高い顧客データが不可欠です。顧客の宿泊履歴、好み、行動パターンなどを正確に把握することで、よりパーソナライズされたアプローチが可能になります。しかし、多くのホテルでは、データが複数のシステムに散在し、統合されていないという課題を抱えています。
フロント、レストラン、スパ、ハウスキーピングなど、各部門で収集されるデータは、それぞれ異なるフォーマットで管理されていることが多く、これを一元的に分析することは容易ではありません。結果として、顧客の全体像を把握できず、断片的な情報に基づいたマーケティング活動に終始してしまいがちです。
「お客様がチェックイン時に伝えたアレルギー情報が、レストランに連携されていなかった」「過去に宿泊したお客様の好みが、次回の予約時に活かされていない」といった現場の課題は、データ統合の重要性を浮き彫りにします。顧客データ分析の深層については、顧客データ分析の深層:ホテルが拓く「見えないニーズ」と「人間力」の融合でも詳しく解説しています。
データ品質を向上させ、各システムを統合することで、顧客一人ひとりに合わせた最適な情報提供やプロモーションが可能になります。これは、顧客体験の向上だけでなく、マーケティングROIの最大化にも直結します。
商業戦略と部門間連携の強化
マーケティング、レベニューマネジメント、オペレーションの各部門が連携し、一貫した商業戦略を推進することが、現代のホテルビジネスにおいては不可欠です。マーケティング部門が顧客を惹きつけ、レベニューマネジメント部門が最適な価格を設定し、オペレーション部門が最高のサービスを提供する。これら一連の流れがスムーズに機能することで、顧客満足度と収益性の両方を最大化できます。
しかし、現実には部門間の壁が存在し、情報共有が不十分であるケースが少なくありません。「マーケティングが打ち出したキャンペーンが、レベニューマネジメントの価格戦略と乖離している」「オペレーション部門が、予約時の顧客の要望を十分に把握できていない」といった問題は、部門間の連携不足に起因します。
成功の鍵は、キャンペーンの企画段階から各部門が密接に連携し、共通の目標に向かって協力することです。定期的なミーティングや情報共有の仕組みを構築し、部門横断的な視点で顧客体験全体をデザインする意識が求められます。これは、大手ホテル幹部が語る未来像:激変市場で挑む「共創」と「個別最適」で述べられている「共創」の精神にも通じるものです。
Googleなどのプラットフォーム活用と自社データのバランス
Googleのホテル向けサービス(Google Hotel Adsなど)は、ホテルの可視性を高め、予約獲得に貢献する強力なツールです。これらのプラットフォームを効果的に活用することは重要ですが、同時に自社データの構築と活用にも注力する必要があります。第三者プラットフォームに過度に依存することは、自社の競争力を弱めるリスクを伴います。
自社ウェブサイトやCRMシステムを通じて収集した顧客データは、ホテルの貴重な資産です。これを分析し、顧客の潜在的なニーズや行動を予測することで、よりパーソナルな体験を提供し、ロイヤルティを高めることができます。例えば、過去の宿泊履歴から顧客の好みを把握し、次回の滞在時に合わせた特別なオファーを提案するといったアプローチです。
「Googleの検索結果で上位表示されるのは重要だが、その後の予約プロセスで自社サイトを選んでもらう工夫が必要」「OTA経由の顧客を、いかに次回の直販に繋げるか」といった課題に対し、自社データに基づいた戦略的なアプローチが求められます。
Googleなどのプラットフォームは、あくまで集客の「入口」として活用し、その後の顧客との関係構築は自社で主導するというバランス感覚が重要です。これにより、長期的な顧客エンゲージメントを築き、リピーターを増やしていくことが可能になります。
現場の視点から見たマーケティング戦略の実行
マーケティング戦略は、机上の空論であってはなりません。実際の顧客接点である現場スタッフが、その戦略を理解し、日々の業務に落とし込むことで初めて真価を発揮します。しかし、多くの現場では、マーケティング戦略が上層部や専門部署からの「お達し」として受け取られ、具体的な行動に結びつかないことがあります。
例えば、特定のターゲット層に向けたプロモーションが展開されても、現場スタッフがそのターゲット層のニーズを十分に理解していなければ、提供されるサービスとプロモーション内容に齟齬が生じる可能性があります。結果として、顧客の期待値を裏切り、不満に繋がることも考えられます。
「新しいキャンペーンが始まったと聞いても、具体的なお客様への声かけの仕方が分からない」「普段の業務に追われて、マーケティングの新しい施策を意識する余裕がない」といった現場のリアルな声は、戦略と実行の間に存在するギャップを示しています。
このギャップを埋めるためには、マーケティング戦略の策定プロセスに現場スタッフの意見を積極的に取り入れることが重要です。現場のスタッフは、顧客と直接接することで、顧客の生の声や潜在的なニーズを最もよく理解しています。彼らの知見を戦略に反映させることで、より実効性の高いマーケティングミックスを構築できます。
また、戦略を現場に浸透させるための明確なコミュニケーションと教育も不可欠です。単に「こういうキャンペーンをします」と伝えるだけでなく、「なぜこのキャンペーンを行うのか」「このキャンペーンを通じて、お客様にどのような体験を提供したいのか」「現場スタッフは具体的に何をすれば良いのか」といった点を、具体例を交えながら丁寧に説明する必要があります。
例えば、パーソナライズされたサービスを提供するという戦略であれば、フロントスタッフが顧客の過去の宿泊履歴や好みをシステムで確認し、チェックイン時に「〇〇様、前回お気に召された〇〇をご用意しております」といった具体的な声かけができるような仕組みとトレーニングが必要です。これにより、マーケティングが意図する「個別最適」な体験が、現場で着実に実現されます。2025年ホテルマーケティングの要諦:データと人間力で拓くパーソナライゼーションでも、データとパーソナライゼーションの重要性を強調しています。
このように、現場スタッフがマーケティング戦略の「実行者」としてだけでなく、「共創者」として関わることで、戦略はより強固なものとなり、顧客体験の向上に直結するでしょう。
まとめ
ホテル業界のマーケティングは、コスト高騰、プライバシー規制、OTAとの競争激化という多重の課題に直面しています。これらの課題を乗り越え、持続可能な成長を遂げるためには、マーケティングミックスの抜本的な再構築が不可欠です。具体的には、レートパリティの徹底、データ品質の向上と統合、そしてマーケティング、レベニューマネジメント、オペレーションの各部門が連携した一貫性のある商業戦略の構築が求められます。
Googleなどの強力なプラットフォームを活用しつつも、自社データの価値を最大化し、顧客との直接的な関係性を深めることが、OTAへの過度な依存から脱却し、ホテルのブランド価値を高める上で重要です。そして何よりも、これらの戦略が現場で適切に実行されるよう、スタッフの巻き込みと教育を通じて、顧客体験全体をデザインする視点を持つことが肝要です。
2025年以降、ホテルは単に客室を提供する場所ではなく、顧客の期待を超える体験を創造する「体験設計者」としての役割を一層強く求められるでしょう。その実現のためには、マーケティングを単なる広告活動と捉えるのではなく、ホテルビジネス全体の根幹を支える戦略的機能として位置づけ、常に進化させていく必要があります。
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