はじめに
2025年現在、ホテル業界におけるマーケティング戦略は、デジタル化の波と顧客行動の変化により、かつてないほど多様化しています。特にソーシャルメディアは、単なる情報発信ツールを超え、ホテルのブランドイメージを構築し、潜在顧客とのエンゲージメントを深めるための不可欠なチャネルとなっています。しかし、その運用は容易ではありません。どのプラットフォームに注力すべきか、どのようなコンテンツが響くのか、そして限られたリソースの中でいかに効果を最大化するのか、多くのホテルが試行錯誤を続けています。
本記事では、ホテルのソーシャルメディア運用における具体的な戦略に焦点を当て、現場のリアルな課題と解決策を深掘りします。特に、海外の事例から学ぶ4つのアプローチを通じて、ホテルがどのようにソーシャルメディアをビジネス成長に繋げているのかを分析します。
ホテルのソーシャルチャネル運用における4つの戦略
ホスピタリティ業界の専門メディア「Hospitality Net」に掲載された記事「4 strategies hoteliers are using to run their social channels」(Published Date: Tue, 07 Oct 2025)は、Red Carnation HotelsとCarden Park Hotelの事例を基に、ホテルがソーシャルメディアチャネルを効果的に運用するための4つの戦略を提示しています。この記事は、単なる概念的な議論に留まらず、実際のホテルチームがどのようにソーシャルメディアを活用しているのか、その具体的な取り組みと課題に深く切り込んでいます。以下に、その4つの戦略を詳細に掘り下げていきます。
1. チームメンバーを巻き込んだ「語り部」戦略
ソーシャルメディアは、ホテルの施設やサービスを一方的に紹介する場ではありません。むしろ、そこで働く人々の個性や情熱を通じて、ホテルが持つ「魂」を伝える場としての価値が高まっています。Red Carnation Hotelsのソーシャルメディア責任者であるモリー・ピール氏は、「個々のホテルのアカウントでは、チームメンバーがインテリア、素晴らしいF&B、そして体験について語ることを促している」と述べています。
これは、画一的なブランドガイドラインに縛られず、各ホテルの現場スタッフが持つリアルな視点や感情をコンテンツに反映させるアプローチです。例えば、シェフが料理へのこだわりを語る動画、コンシェルジュが地域の隠れた魅力を紹介する投稿、ハウスキーピングスタッフが客室を完璧に整える舞台裏など、「人」を通じたストーリーテリングは、ゲストに強い共感を呼び、ホテルへの親近感を醸成します。これにより、単なる宿泊施設ではなく、そこに息づく温かさやプロフェッショナリズムを感じさせることができます。
しかし、この戦略には現場ならではの課題も存在します。多忙な日常業務の中で、スタッフが質の高いコンテンツを継続的に制作する時間的・精神的余裕を確保することは容易ではありません。また、スタッフの肖像権や発言内容に関するガイドラインの策定、そして彼らが自信を持って情報発信できるようなトレーニングやサポート体制の構築も不可欠です。現場スタッフからは「日々の業務で手一杯なのに、SNS用の写真や動画を撮る余裕がない」「何を投稿すれば良いのか分からない」といった声が聞かれることも少なくありません。
2. プラットフォーム特性に合わせたコンテンツ最適化
ソーシャルメディアプラットフォームはそれぞれ異なる特性を持ち、ユーザー層やアルゴリズムも大きく異なります。そのため、一律のコンテンツを全てのプラットフォームに横展開するだけでは、効果は限定的です。Carden Park Hotelのコンテンツマーケティング担当者であるクロエ・パリー氏は、「TikTokは私たちにとってスパに特化している。なぜなら、アルゴリズムがその共有を好むからだ」と語っています。
この発言は、ターゲットオーディエンスとプラットフォームのアルゴリズムを深く理解し、それに合わせてコンテンツ戦略を最適化することの重要性を示唆しています。例えば、TikTokのようなショート動画プラットフォームでは、視覚的に魅力的で、テンポが良く、エンターテイメント性の高いコンテンツが求められます。Carden Park Hotelがスパに焦点を当てたのは、その視覚的な美しさやリラックス効果がTikTokのユーザー層に響きやすく、アルゴリズムによって拡散されやすいと判断したためでしょう。
一方、Instagramでは高品質な写真や短尺動画、ストーリーズ、リール動画、そしてライブ配信が有効であり、ホテルのデザイン性や体験の美しさを伝えるのに適しています。Facebookはより詳細な情報やイベント告知、コミュニティ形成に、X(旧Twitter)は速報性やリアルタイムのコミュニケーションに強みがあります。ホテルは、自社のターゲット顧客がどのプラットフォームを主に利用しているのか、そしてそれぞれのプラットフォームでどのようなコンテンツが好まれるのかを分析し、「適材適所」のコンテンツ戦略を立てる必要があります。
現場では「どのSNSにどれだけの時間を割くべきか」「常に新しいトレンドを追いかけるのが大変」といった声が上がります。これに対し、各プラットフォームの分析ツールを活用し、投稿の効果を定期的に測定することで、リソース配分の最適化を図ることが可能です。
3. 全体的なマーケティング戦略への統合
ソーシャルメディアは、ホテルのマーケティング活動全体の一部として位置づけられるべきであり、他のマーケティングチャネルと連携することでその真価を発揮します。Red Carnation Hotelsのモリー・ピール氏が指摘するように、「個々のホテルのアカウントでは、チームメンバーが語る内容を、より広範なマーケティング戦略に結びつけることができる」という視点は非常に重要です。
これは、ソーシャルメディアで発信するメッセージが、ホテルの公式サイト、メールマガジン、OTA(オンライン旅行代理店)の掲載情報、さらにはオフラインの広告やPR活動と一貫していることを意味します。例えば、特定の季節限定プランを打ち出す際、ソーシャルメディアではそのプランの魅力的な写真や動画を投稿し、公式サイトへのリンクを貼る。同時に、メールマガジンで詳細情報を提供し、OTAでも同様のプランを展開するといった連携です。これにより、顧客はどのチャネルに触れても一貫したブランド体験を得ることができ、予約への導線がスムーズになります。
ソーシャルメディアは、ブランド認知の向上、エンゲージメントの創出、そして最終的な予約獲得まで、マーケティングファネルの様々な段階で貢献できます。しかし、そのためには、各部門(マーケティング、セールス、広報、予約など)が密接に連携し、共通の目標に向かって戦略を共有することが不可欠です。部署間の壁を越え、「顧客体験」という共通の視点で情報発信を統合することで、より強力なマーケティング効果を生み出すことができます。
この統合戦略の実現には、組織内のコミュニケーションと情報共有が鍵となります。現場からは「マーケティング部門と現場の連携がスムーズにいかない」「各部署で目標が異なり、足並みが揃わない」といった課題が挙げられます。定期的なミーティングや共有プラットフォームの導入が、これらの課題を解決する一助となるでしょう。
4. リソースとROIの最適化
ソーシャルメディアの運用は、魅力的なコンテンツの制作、投稿スケジュールの管理、コメントへの対応、効果測定など、多大な時間と労力を要します。特にホテル業界では、人手不足が慢性的な課題となっており、ソーシャルメディアに十分なリソースを割けないという声も少なくありません。
記事では、ソーシャルメディアが「圧倒的で気が遠くなるような作業量」を生み出す可能性があると指摘しています。この課題に対処するためには、限られたリソースの中で最大の効果を生み出すための戦略的なアプローチが求められます。具体的には、以下の点が重要になります。
- 目標設定とKPI(重要業績評価指標)の明確化:単に「いいね」の数を増やすだけでなく、エンゲージメント率、ウェブサイトへの誘導数、予約数、ブランド認知度向上など、具体的な目標を設定し、それに対応するKPIを追跡することで、投資対効果(ROI)を可視化します。
- 効果測定と分析:各プラットフォームが提供する分析ツールや、専門のソーシャルメディア分析ツールを活用し、どのコンテンツが効果的だったのか、どの時間帯に投稿すべきかなどを継続的に分析します。このデータに基づき、戦略を柔軟に調整していくことが重要です。
- 効率化ツールの導入:投稿予約ツール、コンテンツ管理システム、AIを活用した分析ツールなどを導入することで、運用業務の効率化を図ります。
- 外部パートナーの活用:社内のリソースが不足している場合、ソーシャルメディアマーケティングの専門知識を持つ外部エージェンシーに一部業務を委託することも有効な選択肢です。ただし、ホテルのブランドイメージや顧客体験を損なわないよう、密な連携が不可欠です。
現場スタッフからは「ソーシャルメディアの運用が片手間になってしまい、なかなか成果が出ない」「上層部から効果を問われるが、具体的な数字で示すのが難しい」といった悩みが聞かれます。こうした状況を打破するためには、明確な目標設定と、それに基づいた客観的なデータ分析が不可欠です。適切なKPIを設定し、その進捗を定期的に報告することで、ソーシャルメディアへの投資がホテルビジネスにどのような価値をもたらしているのかを具体的に示すことができます。
ホテルがマーケティング戦略を抜本的に改革し、OTA依存を断ち切るためにも、ソーシャルメディアを効果的に活用し、自社チャネルへの誘導を強化することは極めて重要です。ホテルマーケティングの抜本的改革:コストとOTA依存を断つ「未来戦略」でも述べられているように、直販比率を高めることは収益性の向上に直結します。
現場のリアルな声とソーシャルメディアの課題
上記で述べた戦略は理想的ですが、実際のホテル現場では様々な課題に直面しています。例えば、中小規模のホテルでは、専任のソーシャルメディア担当者を置く余裕がなく、フロントスタッフや広報担当者が兼務しているケースがほとんどです。彼らは日々の業務に追われ、質の高いコンテンツを継続的に作成する時間も、最新のトレンドを追うための学習時間も確保できないのが実情です。
「どんな投稿がゲストに響くのか分からない」「バズるコンテンツを作っても、それが直接予約に繋がっているのか疑問」「スタッフの顔出しには抵抗がある」といった声は、現場でよく聞かれます。また、ソーシャルメディアの運用効果を具体的に測定し、上層部に報告する責任も重くのしかかります。単なる「いいね」の数だけでは、ホテルの収益にどう貢献しているのかを説明することは困難です。
さらに、ソーシャルメディアは諸刃の剣でもあります。誤った情報発信や不適切な対応は、瞬く間にブランドイメージを損なう可能性があります。特に、ゲストからのネガティブなコメントやクレームへの対応は、迅速かつ丁寧に行う必要があり、そのためのガイドラインやトレーニングも欠かせません。こうした現場の泥臭い課題を理解し、具体的な解決策を提供することが、これからのソーシャルメディアマーケティングには求められます。
ホテル業界におけるソーシャルメディアマーケティングの今後
2025年以降も、ホテル業界におけるソーシャルメディアの重要性は増す一方でしょう。今後のトレンドとして、以下の点が挙げられます。
- パーソナライゼーションの深化:AIを活用したデータ分析により、個々の顧客の興味関心に合わせたパーソナライズされたコンテンツ配信がさらに進化します。
- UGC(ユーザー生成コンテンツ)の活用:ゲストが自ら投稿する写真や動画は、ホテルが発信する情報よりも信頼性が高く、強力なマーケティングツールとなります。ゲストがホテル体験を共有したくなるような仕掛け作りが重要です。これは2025年ホテル集客の未来図:「投稿価値」が拓く「真正な体験」と収益化でも触れられています。
- ライブコマースやショート動画の活用:リアルタイムでのホテルツアー、シェフによる料理教室、地域のイベント紹介など、インタラクティブなコンテンツを通じて、より深い体験価値を提供します。
- AIによる効率化とクリエイティビティの融合:コンテンツアイデアの生成、投稿文案の作成、効果分析など、AIが運用業務の一部を担うことで、スタッフはよりクリエイティブな活動やゲストとの直接的なエンゲージメントに集中できるようになります。
ソーシャルメディアは、単なる情報発信の場ではなく、ホテルと顧客が繋がる「体験のプラットフォーム」へと進化しています。ホテルは、この変化を捉え、戦略的にソーシャルメディアを活用することで、ブランド価値を高め、持続的な成長を実現することができるでしょう。
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