はじめに
2025年現在、ホテル業界はかつてないほどの変化の波に直面しています。パンデミックからの回復期を経て、旅行者の行動様式は多様化し、経済情勢は不安定さを増しています。このような環境下で、ホテルが持続的な成長を遂げるためには、単に客室を販売するだけでなく、いかに効率的に需要を創出し、収益を最大化するかが喫緊の課題となっています。特に、マーケティング部門とレベニューマネジメント部門の連携は、この変化の時代を乗り切るための不可欠な戦略的要素として、その重要性を増しています。
変化する市場環境とホテル経営の新たな課題
今日のホテル業界は、供給過多、オンライン旅行代理店(OTA)の台頭、消費者行動のデジタル化、そして予期せぬ外部要因(地政学的リスク、気候変動など)によって常に揺さぶられています。ゲストは価格だけでなく、パーソナライズされた体験、サステナビリティへの配慮、そしてシームレスなサービスを求めるようになり、その期待値は高まる一方です。このような状況において、従来の部門ごとの縦割り組織では、市場の微細な変化を捉え、迅速かつ効果的な対応を取ることが難しくなっています。
例えば、マーケティング部門はブランドイメージの構築や認知度向上に注力し、レベニューマネジメント部門はデータに基づいた価格最適化や在庫管理を通じて収益最大化を目指します。しかし、これらの目標が時に独立して追求されることで、機会損失が生じたり、顧客体験に一貫性が欠けたりするケースが少なくありません。キャンペーンの告知が価格戦略と連動していなかったり、需要予測がプロモーション計画に十分に反映されていなかったりといった課題は、多くのホテル現場で散見される現実です。
マーケティングとレベニューマネジメントの融合が不可欠な理由
ホテルが競争優位性を確立し、収益性を高めるためには、マーケティングとレベニューマネジメントが一体となって機能する「融合戦略」が不可欠です。この融合は、単なる情報共有以上の意味を持ちます。それは、共通の目標設定、統合されたデータ分析、そしてアジャイルな意思決定プロセスを通じて、ゲストジャーニー全体にわたる価値創造を目指すものです。
マーケティングは、ブランドストーリーを伝え、潜在顧客を引きつけ、予約への動機付けを行います。一方、レベニューマネジメントは、その引きつけられた需要を最適な価格で、最適なタイミングで、最適なチャネルを通じて取り込みます。この二つの機能が密接に連携することで、以下のメリットが生まれます。
- 需要予測の精度向上: マーケティングキャンペーンの計画がレベニューマネジメントの需要予測に組み込まれることで、より正確な価格設定と在庫管理が可能になります。
- プロモーション効果の最大化: 特定の需要期やターゲット層に合わせたプロモーションを、レベニューマネジメントが提示する価格戦略と連動させることで、投資対効果を高めます。
- 顧客獲得コスト(CAC)の最適化: 各チャネルからの予約獲得コストを両部門で共有・分析し、最も効率的な集客戦略を共同で立案します。
- 顧客生涯価値(LTV)の向上: 顧客の予約履歴や行動データを共有し、パーソナライズされたオファーや体験を提供することで、リピートを促し、長期的なロイヤルティを構築します。
成功事例に学ぶ「連携」の力
このようなマーケティングとレベニューマネジメントの連携の重要性は、業界の識者からも指摘されています。例えば、Hospitality Netに掲載された「Hoteliers’ POV – Marketing and revenue resilience on changing waters」と題された記事(https://www.hospitalitynet.org/opinion/4129589.html)では、変化の激しい運営環境において、ホテルマーケティングおよびレベニューチームが需要と収益を促進するためのアジャイルな対応と、チーム間の協調的な働き方が重要であると述べられています。
この記事の中で、Hotel Café Royalの事例が紹介されています。同ホテルはマーケティングチームとレベニューチームを統合し、両部門のKPI(主要業績評価指標)を連携させることで大きな成果を上げています。具体的には、「どの日に需要を高めるための支援が必要か、どの日にマーケティング費用が不要か」について、両チーム間でより明確な認識を共有することで、具体的な成果に結びつけています。マーケティングとレベニューの連携が、同ホテルのパフォーマンスと収益性を向上させる上で最前線にあると強調されています。
この事例は、単に組織を統合するだけでなく、共通の目標と測定基準を持つことが、いかに部門間の壁を取り払い、相乗効果を生み出すかを明確に示しています。例えば、閑散期にはマーケティングが特定のイベントやパッケージを積極的にプロモーションし、レベニューマネジメントがそのプロモーションに合わせた魅力的な価格設定を行う。繁忙期には、レベニューマネジメントが価格を最適化し、マーケティングはブランド価値の向上や長期的な顧客関係構築に注力するといった戦略的な役割分担が、KPI連携によってスムーズに行われるのです。
また、同記事ではテクノロジーとAIが一部の課題を解決し、素晴らしい結果をもたらしていることにも触れています。しかし、同時に「ホテルが導入するソリューションが、ホテルの運営の芸術を悪化させるのではなく、問題を緩和することに常に注意を払う必要がある」と警鐘を鳴らしています。これは、テクノロジーはあくまでツールであり、最終的には人間の判断とホスピタリティが重要であるという、現場のリアルな視点を反映していると言えるでしょう。
現場のリアルな声と課題
マーケティングとレベニューマネジメントの連携が理想的であることは理解されつつも、多くのホテル現場ではその実現に課題を抱えています。現場のスタッフからは、以下のような声が聞かれます。
- 「マーケティングは常に『ブランドイメージ』を重視し、レベニューは『今すぐの売上』を求める。目標が違うから、なかなか足並みが揃わない。」(マーケティング担当者)
- 「キャンペーンが始まる直前に情報が降りてくることが多く、最適な価格設定や在庫調整が間に合わないことがある。」(レベニューマネージャー)
- 「それぞれの部門で使っているシステムが異なり、データの共有や分析に手間がかかる。結果的に、リアルタイムでの意思決定が難しい。」(フロントデスクマネージャー)
- 「新しいプロモーションを企画しても、それが最終的にどれだけの収益に貢献したのか、具体的な数字で評価される機会が少ない。」(マーケティング担当者)
これらの声は、単なる部門間の対立ではなく、情報共有の遅延、システム連携の不足、そして共通の評価軸の欠如といった、より構造的な問題を示唆しています。特に、日々の業務に追われる中で、部門間の連携を強化するための時間やリソースを確保することが難しいという現実も存在します。
連携を強化するための具体的なステップ
マーケティングとレベニューマネジメントの連携を強化し、ホテルビジネスの持続的な成長を実現するためには、以下の具体的なステップが有効です。
1. 組織構造と役割の再定義
部門間の壁を低くするため、クロスファンクショナルなチームを設置したり、定期的な合同ミーティングを義務付けたりすることが有効です。可能であれば、Hotel Café Royalのように部門を統合することも検討に値します。重要なのは、各部門の役割を明確にしつつ、共通の目標達成に向けた責任範囲を共有することです。
2. 共通KPIの設定と透明性の確保
RevPAR(販売可能客室数あたりの収益)だけでなく、顧客獲得コスト(CAC)、顧客生涯価値(LTV)、直接予約比率、特定のキャンペーンによる収益貢献度など、両部門が共有し、責任を持つKPIを設定します。これらの指標を定期的にレビューし、進捗状況を全関係者に透明化することで、部門間の協力意識を高めます。
3. データ統合と分析基盤の構築
PMS(プロパティマネジメントシステム)、CRM(顧客関係管理システム)、RMS(レベニューマネジメントシステム)、マーケティングオートメーションツールなど、各部門が利用するシステム間の連携を強化し、リアルタイムでのデータ共有を可能にします。これにより、市場トレンド、競合動向、顧客行動、キャンペーン効果などを一元的に分析し、データに基づいた迅速な意思決定をサポートします。データとAIを活用した収益最適化については、ホテル収益の科学革命:データとAIが拓く「最適価格」と「感動ホスピタリティ」でも詳しく解説しています。
4. 定期的な合同戦略会議の実施
週次または月次で、マーケティングとレベニューマネジメントの責任者が集まり、市場分析、需要予測、プロモーション計画、価格戦略を共同で議論する場を設けます。この会議では、過去の成果をレビューし、今後の戦略をアジャイルに調整します。現場からのフィードバックも積極的に取り入れ、戦略の実行可能性を高めることが重要です。
5. 人材育成と異動による多角的な視点の醸成
マーケティング担当者がレベニューマネジメントの基礎を学び、レベニューマネージャーがマーケティングのブランド戦略を理解するような研修プログラムを導入します。また、短期的な部門間異動を通じて、互いの業務と課題を肌で感じさせることも有効です。これにより、部門横断的な視点を持った人材を育成し、組織全体の連携力を高めます。データと人で生み出す顧客ロイヤルティについては、ホテル経営の新戦略:データと人で生み出す「感情的価値」と「顧客ロイヤルティ」も参照ください。
テクノロジーの役割と限界
テクノロジーは、マーケティングとレベニューマネジメントの連携を強力にサポートするツールです。AIを活用した需要予測、パーソナライズされたプロモーションの自動配信、動的な価格設定、そして顧客データの一元管理システムなどは、連携の効率性と効果を飛躍的に向上させます。しかし、テクノロジーはあくまで手段であり、それ自体が目的ではありません。重要なのは、テクノロジーが「ホテルの運営の芸術」を補完し、ホテリエがゲストに提供する真のホスピタリティを強化する形で活用されることです。
例えば、AIが最適な価格を提示しても、その価格がブランドイメージや顧客体験に合致しているか最終的に判断するのは人間です。また、パーソナライズされたプロモーションも、その裏にある顧客理解や共感は、ホテリエの経験と洞察に基づいています。テクノロジーは、意思決定を加速し、業務を効率化することで、ホテリエがより創造的で、ゲストとの感情的なつながりを深める時間を創出するために存在します。
まとめ
2025年のホテル業界において、マーケティングとレベニューマネジメントの部門横断的な連携は、もはや選択肢ではなく、持続的成長のための必須戦略です。市場の複雑性が増す中で、アジャイルな戦略立案、共通の目標設定、データに基づいた意思決定、そしてテクノロジーの賢明な活用が、ホテルが競争優位性を確立し、収益を最大化する鍵となります。
この連携を通じて、ホテルは単に客室を売る場所から、ゲスト一人ひとりに深く響く「体験」を提供する場所へと進化を遂げることができます。それは、ホテリエが持つホスピタリティの真価を最大限に引き出し、ゲストにとって忘れられない価値を創造することに繋がるでしょう。


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