はじめに
2025年現在、日本のホテル・旅館業界は、訪日外国人観光客数の回復と国内旅行需要の底堅さに支えられ、一見すると活況を呈しているように見えます。多くの施設で稼働率が向上し、一部では過去最高の売上を記録したという声も聞かれます。しかし、この表面的な好景気の裏側で、業界全体に「二極化」という深刻な構造変化が進行していることを認識する必要があります。
本稿では、観光経済新聞が2025年11月4日に報じた記事「【逆境をチャンスにー旅館の再生プラン 775】旅館・ホテル二極化時代の処方箋（1） 青木康弘」を基に、この二極化の実態と、それがホテル経営に与える影響、そして持続可能な成長を実現するための戦略について深く掘り下げていきます。
活況の裏側にある「二極化」の実態
記事が指摘するように、現在の宿泊業界は「かつてない活況」と表現される一方で、その恩恵を享受できる施設と、厳しい経営環境に置かれる施設との間で、明確な格差が広がっています。具体的には、都市部のラグジュアリーホテルや、特定のコンセプトで高い体験価値を提供するブティックホテル、あるいは訪日外国人が集中する主要観光地の施設は好調を維持しています。
一方で、地方都市に位置する旧来型のビジネスホテルや、団体旅行客に依存してきた旅館、あるいは明確な差別化戦略を持たない中規模ホテルなどは、集客に苦慮し、収益性の改善が見られない状況が続いています。ある地方のビジネスホテル支配人は「稼働率は上がったものの、客単価はほとんど上がらず、人件費や光熱費の高騰で利益はむしろ圧迫されている」と語り、また別の旅館経営者からは「インバウンド客の取り込みに成功している施設と、そうでない施設との差は広がるばかりだ」という切実な声も聞かれます。
この二極化は、単なる一時的なトレンドではなく、市場構造の変化、顧客ニーズの多様化、そしてテクノロジーの進化が複合的に作用して生まれた、不可逆的な流れであると認識すべきです。
二極化を生む要因：市場の変化と顧客ニーズの進化
ホテル・旅館業界の二極化は、いくつかの明確な要因によって加速されています。
1. 立地とターゲット層の変化
訪日外国人観光客の増加は、特定の地域や施設に集中する傾向があります。特に、東京、大阪、京都といったゴールデンルートや、富裕層をターゲットとした高級リゾート地では、高単価でも予約が殺到しています。これらの地域や施設は、国際的なブランド力や独自のアメニティ、サービスで差別化を図り、高い収益性を確保しています。しかし、これらの恩恵を受けにくい地方都市や、かつては主要な客層であった国内の団体旅行やビジネス客が減少傾向にある施設は、新たな顧客層の開拓に苦戦しています。
2. 「体験価値」重視へのシフト
現代の旅行者は、単に宿泊するだけでなく、その土地ならではの文化体験、ウェルネス、美食、あるいはサステナビリティに配慮した滞在など、「記憶に残る体験」を求めています。画一的なサービスや設備では、顧客の心を掴むことが難しくなっています。例えば、地域食材を活かした料理教室、伝統工芸体験、自然を満喫できるアクティビティなど、ホテルが提供する「コト」の価値が、宿泊の「モノ」の価値を上回る時代です。この変化に対応できる施設は、高い顧客満足度とリピート率を獲得し、価格競争から脱却しています。詳細は「ホテル業界の新潮流2025：地域文化が創る「感動体験」と「ホスピタリティの未来」」でも触れています。
3. デジタルマーケティングと情報アクセスの格差
顧客が宿泊施設を選ぶ際の情報収集源は、OTA（オンライン旅行代理店）だけでなく、SNS、旅行ブログ、動画コンテンツなど多岐にわたります。こうしたプラットフォームを効果的に活用し、自施設の魅力を発信できるかどうかが、集客に直結します。特に、ターゲットとなる顧客層に合わせたパーソナライズされた情報提供や、オンラインでのスムーズな予約体験は不可欠です。デジタルマーケティングに投資し、専門知識を持つ人材を確保できる施設は優位に立ちますが、そうでない施設は、情報発信力や直販比率で劣り、OTAへの依存度が高まる傾向にあります。
4. 人材確保とコスト高騰
ホテル・旅館業界は慢性的な人手不足に直面しており、人件費の高騰は避けられない課題です。特に、質の高いサービスを提供するためには、経験豊富なスタッフや多言語対応可能なスタッフの確保が不可欠ですが、その採用競争は激化しています。また、エネルギーコストや食材費、設備維持費なども上昇しており、効率的な運営体制を構築できない施設は、収益性をさらに圧迫されることになります。テクノロジーを活用した業務効率化や、従業員のエンゲージメントを高めるための戦略的な人事施策が求められています。
二極化時代におけるホテルの戦略転換
二極化が進む市場で生き残り、持続的な成長を遂げるためには、ホテル・旅館は抜本的な戦略転換が不可欠です。
1. ターゲット顧客の明確化と差別化戦略
「誰に、どのような価値を提供するのか」を再定義することが出発点です。例えば、富裕層向けであれば、究極のパーソナルサービスやプライバシー、非日常的な体験を追求します。ファミリー層であれば、子供向けの設備やアクティビティ、家族全員が楽しめる滞在プランを強化します。ビジネス客であれば、高速Wi-Fi、ワークスペース、短時間で利用できる食事サービスなど、効率性を重視します。ターゲットを絞り込むことで、マーケティングメッセージも明確になり、顧客に響く施設づくりが可能になります。
2. 独自の「体験」を創造し、提供する
単なる宿泊施設ではなく、「目的地」としての魅力を高めることが重要です。地域の文化、歴史、自然と深く結びついた体験プログラムを開発し、他施設との差別化を図ります。例えば、古民家を改装したホテルであれば、その歴史的背景を活かした文化体験や、地元の職人とのコラボレーションイベントなどを企画できます。ウェルネスをテーマにするならば、ヨガや瞑想プログラム、オーガニック食材を使った食事提供など、心身のリフレッシュに特化したサービスを提供します。このような独自の体験は、顧客の記憶に残り、SNSでの拡散にも繋がりやすいため、強力なマーケティングツールとなります。
3. デジタルマーケティングの強化と直販比率の向上
OTAへの依存度を下げ、直販比率を高めることは、収益性向上に直結します。そのためには、魅力的な公式サイトの構築、SEO対策、SNSを活用した情報発信、メールマガジンによる顧客育成などが不可欠です。特に、ターゲット顧客の行動パターンを分析し、パーソナライズされた情報提供や、限定プランの案内を行うことで、予約への誘導を強化できます。また、顧客データの分析を通じて、リピーター育成やロイヤルティプログラムの最適化を図ることも重要です。現代ホテル経営におけるマーケティングとレベニューマネジメントの重要性は「現代ホテル経営の要諦：マーケティングとRMが築く「高収益」と「卓越した体験」」でも強調されています。
4. オペレーションの効率化と魅力的な人材戦略
人手不足とコスト高騰に対応するためには、テクノロジーを活用した業務効率化が不可欠です。例えば、チェックイン・アウトの自動化、客室清掃のスマート化、AIを活用したレベニューマネジメントシステムの導入などが挙げられます。これにより、スタッフは定型業務から解放され、より顧客と向き合う時間や、付加価値の高いサービス提供に集中できるようになります。同時に、従業員が「ここで働きたい」と思えるような職場環境づくりも重要です。適切な評価制度、キャリアパスの提示、研修機会の提供、福利厚生の充実などにより、従業員エンゲージメントを高め、定着率向上を図ることが、長期的なサービス品質の維持に繋がります。
現場のリアルな声と課題
二極化の波は、現場のホテリエたちにも多様な課題を突きつけています。好調な施設では、「予約は埋まっていて嬉しいが、スタッフの数が足りず、一人当たりの業務量が増大している。サービス品質を維持するのが精一杯で、新しい企画を考える余裕がない」という声が聞かれます。特に、多言語対応のニーズが高まる中で、語学力のあるスタッフの確保は喫緊の課題となっています。
一方で、苦戦を強いられている施設からは、「設備投資の余裕がなく、老朽化が進んでいる。新しい顧客層を取り込みたいが、何から手をつけて良いか分からない」「デジタルマーケティングの重要性は理解しているが、専門知識を持つスタッフがいないため、効果的な施策が打てない」といった声が聞かれます。これらの施設では、日々の業務に追われ、中長期的な戦略を練る時間も資金も不足しているのが実情です。
また、業界全体で、若手スタッフの離職率の高さも課題です。長時間労働、給与水準、キャリアパスの不透明さなどが原因として挙げられます。ホテリエが「未来を創る仕事」として誇りを持てるような環境整備が、二極化を乗り越える上での重要な要素となります。
持続可能な成長への道筋
ホテル・旅館業界の二極化は、単に競争力の差だけでなく、経営戦略の方向性、投資判断、そして人材への考え方の違いが顕在化した結果とも言えます。持続可能な成長を実現するためには、短期的な収益追求だけでなく、長期的な視点でのブランド価値向上と、地域社会との共生を意識した経営が不可欠です。
具体的には、環境への配慮や地域貢献といったESG（環境・社会・ガバナンス）の視点を取り入れた経営は、現代の顧客が重視する要素であり、新たな顧客層の獲得にも繋がります。地元の食材を積極的に利用したり、地域雇用を創出したり、文化イベントを支援したりすることで、ホテルは単なる宿泊施設以上の存在となり、地域全体の魅力を高める「ハブ」としての役割を担うことができます。
また、業界全体として、情報共有や連携を強化し、成功事例を共有する仕組みも重要です。特に、デジタルマーケティングやレベニューマネジメントといった専門性の高い分野では、個々の施設が単独で対応するのではなく、業界団体やコンサルタントとの連携を通じて、知識やノウハウを共有し、全体の底上げを図るべきでしょう。
まとめ
2025年、ホテル・旅館業界は表面的な活況の裏で、明確な二極化という構造的課題に直面しています。この二極化は、市場の変化、顧客ニーズの進化、デジタル化の進展、そして人材確保の難しさといった複合的な要因によって加速されています。しかし、この状況は同時に、各施設が自らの強みを再認識し、明確なターゲット設定、独自の体験価値の創造、デジタル戦略の強化、そして持続可能な人材育成に取り組む大きなチャンスでもあります。
変化を恐れず、市場のニーズに合わせた戦略的な転換を図れるホテル・旅館だけが、この二極化時代を乗り越え、持続的な成長を実現できるでしょう。ホテリエ一人ひとりが、自施設の未来を創造する当事者意識を持ち、変化に対応していくことが、業界全体の発展に繋がる鍵となります。
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