はじめに:対岸の火事ではないOTAの予約トラブル
2025年夏、ホテル業界を騒がせているのが、星野リゾートがオンライン・トラベル・エージェント(OTA)大手のAgoda(アゴダ)に対して取引停止を示唆するほどの強い姿勢で抗議した一連の予約トラブル問題です。報道によれば、顧客がAgodaで予約したにもかかわらず、宿泊施設側には予約が届いていなかったり、オーバーブッキングが発生したりするケースが続出しているとされています。参考:星野リゾート「宿泊予約サイトAgoda」に激怒、予約トラブル続出の“構造の欠陥”とは(ビジネス+IT) – Yahoo!ニュース
このニュースを見て、「大手リゾートと海外OTAの話だろう」と対岸の火事のように感じているホテル関係者の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この問題の根底にあるのは、多くのホテルが日常的に利用しているOTAの複雑な販売網、いわば「流通のブラックボックス化」です。これは、施設の規模や国内外を問わず、すべてのホテルが直面しうる経営リスクと言えます。本記事では、この「Agoda予約トラブル」問題を手がかりに、現代のホテル販売戦略に潜む落とし穴を解き明かし、テクノロジーを活用して自衛し、収益を最大化するための具体的な方策について深掘りしていきます。
問題の核心:誰があなたのホテルの客室を売っているのか?
今回のトラブルの構造を理解するためには、現代のOTAにおける客室流通の仕組みを正しく知る必要があります。かつて、ホテルとOTAの関係は比較的シンプルでした。ホテルがOTAと直接契約し、OTAが自社のサイトで顧客に直接販売する、という形です。しかし、市場の競争が激化するにつれて、この流通経路は蜘蛛の巣のように複雑化しています。
問題の鍵を握るのが「ホールセラー(Wholesaler)」や「サードパーティ・リセラー」といった存在です。彼らの動きを簡略化すると、以下のような流れが生まれます。
- ホテルは、団体客や旅行パッケージ造成のために、特定のホールセラー(旅行卸売業者)に対して、一般のOTAよりも安い価格(卸値)で大量の客室在庫を提供します。
- ホールセラーは、その在庫を自社の商品として、別の旅行会社やOTAに再販(リセール)します。
- その結果、ホテルが直接契約していないはずのOTA(今回のケースではAgodaなど)のサイト上でも、ホテルの客室が販売される事態が発生します。
さらに、OTAのアフィリエイトプログラム(提携パートナー制度)も構造を複雑にしています。OTAが提供する販売リンクを個人のブログや比較サイトが掲載し、そこ経由で予約が成立すると紹介料が入る仕組みです。この多層的な流通経路は、一見すると販売チャネルを拡大し、空室を埋める機会を増やしているように見えます。しかし、その裏ではホテル側がコントロールできない多くの問題が発生しているのです。
見えざる流通経路がもたらす深刻なリスク
ホテルが直接管理できない流通経路は、具体的にどのようなリスクをもたらすのでしょうか。主なものを3つ挙げます。
1. 情報の劣化とブランド毀損
客室情報が複数の業者を経由して転載される過程で、情報が古くなったり、誤った内容に書き換えられたりする「情報の劣化」が発生します。例えば、「朝食付き」プランのはずが「素泊まり」として販売されたり、改装前の古い客室写真が使われ続けたりといったケースです。顧客は「公式サイトや大手OTAに載っている情報だから」と信頼して予約しますが、実際に宿泊した際の体験と異なれば、そのクレームの矛先は仲介業者ではなく、ホテル自身に向けられます。結果として、ホテルの口コミ評価は下がり、大切に築き上げてきたブランドイメージが著しく毀損されることになります。
2. 予約管理の崩壊と機会損失
今回のトラブルの主因である「予約したのに泊まれない」という事態は、まさにこの流通のブラックボックス化が引き起こしたものです。サードパーティ業者の中には、顧客からの予約が成立した後に初めて、ホテルや他のOTAから在庫を確保しようとする、いわば「無在庫転売」に近いビジネスモデルを取る者もいると指摘されています。彼らが在庫を確保できなければ、予約はホテルに届かず、顧客は路頭に迷うことになります。また、ホテル側から見れば、意図しない経路からの予約によってオーバーブッキングが発生し、顧客への謝罪や代替施設の確保といった多大なコストと手間を強いられるリスクもあります。これは、本来得られるはずだった収益を失うだけでなく、現場スタッフの疲弊にも繋がる深刻な問題です。
3. 価格統制の喪失(ディパリティー問題)
ホールセラーに卸した安い価格が、意図しないOTAサイトで一般向けに販売されると、自社公式サイトや正規のOTAで提示している価格よりも安い料金が市場に出回ってしまいます。これは「価格の不統一(プライス・ディパリティー)」と呼ばれ、ホテルの価格戦略を根底から揺るがします。顧客は最も安いチャネルを探して予約するため、利益率の高い自社サイトからの予約は減少し、結果的にホテルの収益性は悪化します。また、「公式サイトが一番高い」という印象を与えてしまい、顧客の信頼を失うことにもなりかねません。
今すぐホテルが実行すべき自衛策と戦略
では、ホテルはこれらのリスクからどのように自衛し、販売チャネルを健全化すればよいのでしょうか。重要なのは、「知る」「見直す」「育てる」の3つのステップです。
ステップ1:知る – 自社の客室がどこで売られているか把握する
まずは現状把握です。Googleなどで自ホテル名を検索し、どのOTAや旅行サイトで自社の客室が販売されているかを徹底的に調査しましょう。見慣れないサイトや、契約した覚えのないOTAに情報が掲載されている場合、それが意図しない流通経路である可能性が高いです。PMS(ホテル管理システム)やサイトコントローラーの予約通知に含まれる予約経路情報を分析し、どのチャネルからの予約が多いのか、不明な経路はないかを定期的にチェックする習慣が不可欠です。
ステップ2:見直す – すべての販売契約を再点検する
次に、取引のあるすべてのOTAやホールセラーとの契約書を引っ張り出し、「再販(リセール)」や「第三者への提供」に関する条項を精査します。多くの場合、契約書の細かい部分に、ホテル側が意図しない形での再販を許可する内容が含まれていることがあります。不明瞭な点や、リスクが高いと感じる条項については、契約先の担当者と粘り強く交渉し、販売チャネルを限定するよう契約内容の変更を求めましょう。特に、自社のブランドや価格ポリシーを遵守できないパートナーとの契約は、短期的な売上があったとしても、長期的には見直す勇気が必要です。
ステップ3:育てる – ダイレクトブッキングという最強のチャネル
OTA依存から脱却し、流通のコントロールを取り戻すための最も強力な武器は、自社公式サイトからの直接予約(ダイレクトブッキング)を増やすことです。OTAに支払う高額な手数料(一般的に12%〜25%)を削減できるだけでなく、ダイレクトブッキングには以下のようなメリットがあります。
- 顧客データの獲得:自社で予約を受けることで、顧客のメールアドレスや宿泊履歴、要望といった貴重なデータを直接入手できます。このデータを活用してCRM(顧客関係管理)を行えば、リピート利用を促進するパーソナライズされたマーケティングが可能になります。
- ブランド体験のコントロール:自社サイトでは、ホテルの魅力や世界観を自由に表現できます。美しい写真や動画、スタッフの想いを伝えるストーリーテリングを通じて、予約時点から顧客の期待感を高めることができます。
- 柔軟なアップセル/クロスセル:夕食のアップグレードや記念日プラン、アクティビティの追加など、柔軟なオプション販売が可能になり、顧客単価の向上に繋がります。
ダイレクトブッキングを強化するためには、「公式サイトが最もお得で安心」と顧客に認識してもらうための「ベストレートギャランティ」の徹底や、公式サイト限定の特典(レイトチェックアウト、ウェルカムドリンクなど)を用意することが有効です。また、ストレスなく予約完了できる、スマートフォンに最適化された魅力的な予約エンジン(ブッキングエンジン)への投資も欠かせません。
まとめ:テクノロジーを駆使して販売戦略の主導権を取り戻す
星野リゾートとAgodaの問題は、氷山の一角に過ぎません。テクノロジーの進化が客室流通をグローバルかつ複雑にした一方で、そのテクノロジーはホテルが主導権を取り戻すための武器にもなります。チャネルマネージャーを駆使して販売先のコントロールを徹底し、魅力的な予約エンジンでダイレクトブッキングを増やし、CRMツールで顧客との永続的な関係を築く。これからのホテルマーケティングは、単にOTAの送客力に頼るのではなく、自社の販売チャネルを戦略的に設計し、テクノロジーを賢く活用してマネジメントしていく能力が問われます。今回の問題を他人事と捉えず、自社の販売戦略を見直す絶好の機会としてみてはいかがでしょうか。
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