ホテルの収益最大化の新常識「トータル・レベニューマネジメント」とは?

ビジネス戦略とマーケティング

はじめに:RevPAR至上主義からの脱却

ホテル業界における収益管理、すなわちレベニューマネジメントは、長らく「いかに客室を高い単価で、多く埋めるか」という課題に取り組んできました。その中心的な指標が、販売可能な客室あたりの収益を示すRevPAR(Revenue Per Available Room)です。需要を予測し、最適な価格を提示するダイナミックプライシングは、このRevPARを最大化するための強力な武器として、多くのホテルで導入が進んでいます。しかし、市場が成熟し、顧客の価値観が多様化する現代において、客室収益のみを追求する従来型のレベニューマネジメントは限界を迎えつつあります。

レストランでの食事、スパでのリラクゼーション、宴会場でのイベント参加など、顧客がホテルで生み出す価値は客室だけにとどまりません。短期的なRevPARの最大化を狙うあまり、本来であればより多くの収益をもたらしてくれたはずの優良顧客を逃してはいないでしょうか。今、ホテル業界のビジネスとマーケティングは、大きな転換点を迎えています。その鍵となるのが、「トータル・レベニューマネジメント(Total Revenue Management, TRM)」という考え方です。本記事では、この次世代の収益戦略について深掘りしていきます。

従来のレベニューマネジメントが抱える構造的課題

トータル・レベニューマネジメントの重要性を理解するために、まずは従来のレベニューマネジメント、特にRevPARを絶対視するアプローチの課題を整理してみましょう。

1. 収益源の限定的な捉え方

従来のレベニューマネジメントは、その名の通り「客室(Room)」の収益が中心です。ADR(平均客室単価)とOCC(客室稼働率)を掛け合わせたRevPARを最大化することが至上命題とされます。しかし、フルサービスのホテルやリゾートホテルでは、宿泊以外の付帯施設(F&B、スパ、宴会、アクティビティなど)が収益の大きな柱となっています。客室単価が多少低くても、レストランやスパで高額な利用が見込める顧客と、宿泊のみで付帯施設を全く利用しない顧客を、RevPARという単一の指標だけで評価するのは果たして正しいのでしょうか。客室が満室であっても、館内が閑散としていては、ホテル全体の収益機会を逃していることになります。

2. サイロ化された組織とデータ

多くのホテルでは、宿泊部門、料飲部門、宴会部門、マーケティング部門などが縦割りの組織(サイロ)になっています。それぞれが独自の予算とKPIを持ち、部門最適を追求するあまり、ホテル全体の収益最大化という視点が欠落しがちです。例えば、宿泊部門が稼働率を上げるために客室単価を下げた結果、客層が変化し、レストランの客単価が下がってしまうといった事態は容易に起こり得ます。各部門が保有する顧客データや売上データも分断されており、顧客一人ひとりがホテル全体でどれだけの金額を費やしているのかを統合的に把握することが困難でした。

3. 短期的視点への偏重

RevPARは日次や月次で成果を測りやすい一方、その性質上、どうしても短期的な視点に偏りがちです。例えば、需要のピーク時に価格を最大限に引き上げることで、その日のRevPARは向上するかもしれません。しかし、その価格設定が顧客にとって「不当に高い」と感じられた場合、顧客満足度は低下し、二度と利用してもらえなくなるリスクがあります。つまり、短期的な利益と引き換えに、長期的な顧客ロイヤリティ、ひいては顧客生涯価値(LTV: Life Time Value)を毀損してしまう可能性があるのです。

次世代の戦略「トータル・レベニューマネジメント(TRM)」とは

こうした課題を乗り越えるために提唱されているのが、トータル・レベニューマネジメント(TRM)です。TRMとは、客室収益だけでなく、レストラン、スパ、宴会といったホテル内のすべての収益源を統合的に分析・管理し、ホテル全体の利益を最大化することを目指す経営戦略です。

TRMが重視する新たな指標

TRMを実践する上で、RevPARに代わる、あるいはそれを補完する新たな指標が重要になります。

TRevPAR (Total Revenue Per Available Room)

利用可能な客室あたりの「総」収益を示す指標です。客室収益に、飲食やスパなどの付帯施設の収益を加算し、販売可能客室数で割って算出します。これにより、ホテル全体の収益性をより正確に評価できます。

GOPPAR (Gross Operating Profit Per Available Room)

利用可能な客室あたりの「営業総利益」を示す指標です。総収益から変動費や運営コストを差し引いた利益ベースでパフォーマンスを評価するため、TRevPARよりもさらに経営実態に近い指標と言えます。例えば、収益は高くても、そのために多大なコストがかかっている場合はGOPPARが低くなります。収益性とコスト効率の両面から、最適な意思決定を下すための羅針盤となります。

顧客生涯価値 (LTV / CLV)

一人の顧客が、取引を開始してから終了するまでの全期間にわたって、自社にもたらす利益の総額です。TRMでは、「どの顧客がホテル全体にとって最も価値が高いか」を見極めることが重要になります。一度の滞在で高額を支払う顧客だけでなく、何度もリピートしてくれる顧客や、良い口コミで新たな顧客を呼び込んでくれる顧客もまた、LTVが高い優良顧客と捉えることができます。

TRMを成功に導くテクノロジーとデータ活用

TRMは概念として優れていますが、その実現にはテクノロジーによるデータ統合と分析が不可欠です。分断されたデータを繋ぎ合わせ、顧客を360度から理解するためのデータ基盤を構築する必要があります。

1. データ統合のハブとなるシステム

TRMの土台となるのは、ホテル内に散在するデータを一元的に集約することです。以下のシステム間の連携が鍵となります。

  • PMS (Property Management System): 宿泊予約、顧客の基本情報、滞在履歴など、客室に関するあらゆるデータの中心。
  • POS (Point of Sale): レストランやバー、ショップ、スパなどで、誰が、いつ、何を、いくらで購入したかの詳細な購買データ。
  • CRM (Customer Relationship Management): 顧客の属性、過去の問い合わせ履歴、記念日、好みといったパーソナルな情報を蓄積・管理するシステム。
  • 宴会・イベント管理システム: MICE(Meeting, Incentive, Convention, Exhibition)関連の予約や売上データ。

2. CDPとBIツールによるデータの可視化・分析

これらのシステムから収集したデータを統合し、活用可能な状態にするのがCDP(Customer Data Platform)の役割です。CDPは、様々なソースから得られる顧客データを個人単位で名寄せ・統合し、一貫した顧客プロファイルを構築します。そして、統合されたデータをBI(Business Intelligence)ツールで分析・可視化することで、初めて「どの顧客セグメントがGOPPARが高いか」「客室単価とレストラン利用額に相関関係はあるか」といった、部門を横断したインサイトを得ることが可能になります。

3. AIによる予測とパーソナライゼーションの高度化

データ基盤が整った先で真価を発揮するのがAI(人工知能)です。AIを活用することで、TRMはさらに高度化します。

  • 高度な需要予測: 過去のデータだけでなく、天候、地域のイベント、航空券の予約状況、SNSのトレンドといった外部要因も取り込み、客室だけでなくレストランやスパの需要までも予測します。
  • 収益の最適化: 「この顧客セグメントには、宿泊とディナーのパッケージを提示するのが最もLTVが高まる」といったように、顧客一人ひとりのプロファイルに合わせて、ホテル全体の収益が最大化されるようなオファー(価格、商品)を動的に生成します。
  • パーソナライズド・マーケティング: 顧客の過去の利用履歴や好みに基づき、「〇〇様、前回の滞在でご利用いただいたスパの新しいメニューが登場しました。ご宿泊とセットで20%OFFになります」といった、心に響くパーソナルなコミュニケーションを自動化します。

まとめ:TRMはテクノロジーと組織文化の両輪で推進する

トータル・レベニューマネジメント(TRM)は、単なる新しい指標やツールの導入を意味するものではありません。それは、「客室」というプロダクト中心の考え方から、「顧客」というアセット中心の考え方へとシフトする、ホテル経営におけるパラダイムシフトです。

その実現には、PMS、POS、CRMといったシステムを連携させ、AIやBIツールを駆使する「テクノロジー」の力が不可欠です。しかし、それ以上に重要なのが、部門間の壁を取り払い、ホテル全体で顧客体験と収益の最大化を目指すという「組織文化」の醸成です。宿泊部門も料飲部門も、同じ顧客データを見ながら「どうすればこのお客様にもっと満足いただき、ホテル全体での利用額を増やせるか」を議論する。レベニューマネージャーは、客室だけでなくホテル全体の収益責任を担う戦略家へと役割を変えていく必要があります。

TRMへの道のりは決して平坦ではありませんが、顧客との長期的な関係を築き、持続的な成長を遂げるために、すべてのホテルが目指すべき未来の姿と言えるでしょう。自社のホテルは今、どの段階にいるのか。まずは分断されたデータと組織を見つめ直すことから始めてみてはいかがでしょうか。

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