結論
2026年の円相場は、7月23日に1ドル=163円99銭(39年8ヵ月ぶりの円安水準)をつけた後、28年ぶりとなる日米の円買い協調介入で一時155円台まで戻し、9月18日の日銀利上げ(政策金利1.25%)を挟んでも156〜158円台で揺れています。ホテル経営にとって大事なのは「円安か円高か」の予想ではありません。為替が売上とコストのどこに、どれくらいの時間差で効くのかを分解しておくことです。
一次統計を突き合わせると、2026年は「円安だから訪日客が増える」という単純な図式が崩れています。8月の訪日客は前年同月比9.6%減で、数を決めたのは為替ではなく中国の渡航自粛でした。円安がはっきり効いているのは客数より客単価、そして輸入物価を通じたコストの側です。円高に振れた場合は、客室単価のドル換算が上がる一方でコストの低下は遅れてやってきます。この「時間差」に備えることが、為替に振り回されないホテル経営の要点です。
はじめに:2026年の円相場に何が起きたのか
まず、この半年の動きを時系列で整理します。数値は財務省の公表資料、国際通貨研究所(IIMA)のレポート、日本経済新聞の報道によります。
| 時期 | 出来事 | ドル円の水準 |
|---|---|---|
| 4月30日〜5月6日 | 政府・日銀が円買い介入(3日間で計約11.7兆円) | 160円台から一時155円台へ |
| 7月23日 | 39年8ヵ月ぶりの円安水準 | 163円99銭 |
| 7月30日〜31日 | 30日の日本の介入(報道ベース)に続き、31日に日米が円買い協調介入(円買いの協調は1998年以来) | 一時155円23銭 |
| 7月30日〜8月26日 | 介入額15兆3,993億円。月次公表ベースで過去最大 | その後159円台まで反発 |
| 9月3日 | 日銀の利上げ観測が強まる | 一時155円30銭 |
| 9月18日 | 日銀が政策金利を1.25%へ引き上げ(反対2票) | 一時158円台へ円安 |
| 9月18日深夜〜19日未明 | 当局がレートチェック(介入の前段階とされる照会)を実施と報道 | 1円以上戻して156円台後半 |
注目すべきは、当局が年間で約27兆円もの円買い介入を行っても、円安の流れそのものは反転していない点です。IIMAのレポートは、今回の協調介入後の下落率は4.6%程度で、過去の単独介入と比べて特別大きな効果は確認されていないと分析しています。9月18日の日銀利上げも、日本経済新聞の報道によれば「原油高や円安などが招く物価の上振れリスクを抑える」ことが目的でしたが、反対票が2票出たことで追加利上げ観測が後退し、発表後はむしろ円が売られました。
つまりホテルは当面、「150円台後半を中心に、数円単位で急に振れる」相場を前提に計画を立てる必要があります。本記事では、この為替がホテルの損益にどう伝わるのかを、訪日客・国内客・コストの3つの経路に分けて検証します。
円安で訪日客は増えているのか:数を決めたのは為替ではなかった
8月の訪日客は9.6%減、中国は59.0%減
JNTO(日本政府観光局)によると、2026年8月の訪日外客数(推計値)は309万8,900人で、前年同月比9.6%減でした。1〜8月の累計も2,762万6,300人で前年同期比2.7%減です。歴史的な円安水準にありながら、訪日客数は前年を下回っています。
最大の要因は中国市場です。8月の中国からの訪日客は41万8,000人で、前年同月比59.0%減でした。2025年11月の首相発言を発端とする中国政府の渡航自粛要請の影響が続いています。一方、韓国は85万500人(28.7%増)、台湾は66万6,000人(7.3%増)と伸び、14市場が8月として過去最高を記録しました。
ここから読み取れるのは、訪日客の「数」を左右するのは為替より政治・航空便・休暇カレンダーだということです。円安はあくまで「来た人の財布のひもを緩める」要因であり、渡航を止める力には勝てません。市場別の構成が偏っていたホテルほど、為替の追い風を受けながら客数を失ったことになります。訪日客の行き先が都市から地方へ移っている動きについては、地方シェア32.7%を扱った記事で詳しく分析しています。
円安が効いているのは「一人当たり支出」
観光庁の「インバウンド消費動向調査」2026年4-6月期(1次速報)では、訪日外国人の旅行消費額は2兆5,096億円(前年同期比0.2%増)でした。訪日客数(一般客)は2.7%減だった一方、一人当たり旅行支出は24万4,457円と3.3%増えています。人数の減少を単価の上昇で埋めたという構図です。費目別では宿泊費が9,278億円で全体の37.0%を占め、最大の費目です。
国籍別に見ると、消費額の首位は米国(3,848億円、前年同期比8.5%増)で、中国(2,592億円、48.8%減)を大きく上回りました。ホテルにとってさらに重要なのは、市場ごとの宿泊費の水準です。
| 国籍・地域 | 1人当たり宿泊費 | 平均泊数 | 1泊あたり換算(参考) |
|---|---|---|---|
| 英国 | 217,781円 | 14.1泊 | 約15,400円 |
| 米国 | 158,095円 | 10.6泊 | 約14,900円 |
| オーストラリア | 185,097円 | 15.3泊 | 約12,100円 |
| 台湾 | 63,868円 | 6.1泊 | 約10,500円 |
| 韓国 | 30,890円 | 3.6泊 | 約8,600円 |
| 全国籍・地域 | 90,482円 | 8.7泊 | 約10,400円 |
※観光庁「インバウンド消費動向調査」2026年4-6月期(1次速報)から編集部算出。平均泊数には親族・知人宅などホテル以外の宿泊も含むため、1泊あたりの値は目安です。
この表が示すのは、客数を伸ばしている韓国は1泊あたりの宿泊費が相対的に低く、単価の高い欧米豪は客数の伸びが小さいというねじれです。円安のメリットを客室単価に取り込めているのは、欧米豪の比率が高いホテルに偏っていると考えられます。自館の市場構成によって、同じ円安でも受け取る恩恵の大きさはまったく違うのです。
円安がホテルのコストに与える影響:輸入物価は前年比24.8%上昇
売上の話だけでは片手落ちです。日本銀行の企業物価指数(2026年8月速報)によると、輸入物価指数は円ベースで前年比24.8%上昇しました。一方、為替の影響を除いた契約通貨ベースでは16.7%の上昇です。単純に比べると、輸入価格の上昇のうちおおむね7%分は円安が上乗せした部分と読めます。残りは主に、中東情勢を背景とした原油などの資源高によるものです。
国内企業物価指数(前年比7.6%上昇)の内訳でも、ホテルの経費に直結する項目が軒並み上がっています。
| 類別(国内企業物価) | 前年同月比 | ホテルで影響を受ける経費の例 |
|---|---|---|
| 石油・石炭製品 | +14.7% | ボイラー燃料、送迎車両の燃料 |
| 電力・都市ガス・水道 | +8.0% | 客室・大浴場・厨房の光熱費 |
| 化学製品 | +13.9% | 洗剤、アメニティ原料 |
| プラスチック製品 | +11.2% | 使い捨て備品、包装資材 |
| 飲食料品 | +4.3% | 朝食・料飲部門の食材 |
このほか、客室設備や厨房機器の多くは輸入品か輸入部材を含み、改装費用を押し上げます。見落とされがちなのが、ドル建てで請求されるクラウドサービスや予約関連のシステム利用料です。契約時の為替で予算を組んでいると、円安の分だけ知らないうちに費用が膨らみます。
コスト上昇は人件費にも波及しています。物価上昇が賃上げ圧力を強め、最低賃金の引き上げと重なっているためです。宿泊業の賃金水準と自動化投資の関係は、最低賃金改定の記事で試算しています。円安は、訪日客の単価を押し上げる一方で、ホテルの原価をほぼ全方位で押し上げているのです。
国内客への影響:海外旅行の割高感と実質購買力の低下
国内客への影響は、プラスとマイナスが同時に働きます。プラス面は、海外旅行の割高感による国内旅行への回帰です。JNTOによると、2026年8月の出国日本人数は158万8,600人で前年同月比3.6%減となり、2か月連続で前年を下回りました。夏休みの旅行先として、国内が選ばれやすい環境にあったといえます。
マイナス面は、物価上昇による家計の実質購買力の低下です。輸入物価の上昇は、食料品や光熱費を通じて家計を圧迫します。旅行を国内に切り替えた人も、予算そのものは増えていない可能性が高く、価格への感応度は上がっています。インバウンドの単価上昇に合わせて客室料金を引き上げた結果、国内のリピーターが離れていくという現象は、多くのホテルで起きうるリスクです。
旅行会社側から見ると、この構図はさらに鮮明です。海外旅行の販売が伸び悩むなかでホテル事業が利益を支えた事例は、HISの決算分析で紹介しました。
円高に振れたら何が起きるか:3つの経路で整理する
日銀が利上げを続け、米国の金融政策が転換すれば、円高方向への修正が起きる可能性もあります。IIMAのレポートも、過去の協調介入は短期的な効果が消えた後、大局的には相場の転換点になってきたと指摘しています。予想を当てにいく必要はありませんが、円高に振れたときの影響を事前に試算しておく価値はあります。
経路1:訪日客から見た客室料金のドル換算
1泊3万円の客室は、ドル換算で次のように変わります。
| ドル円レート | 1泊3万円のドル換算 | 164円時との比較 |
|---|---|---|
| 164円(7月の円安ピーク付近) | 約183ドル | — |
| 157円(9月中旬の水準) | 約191ドル | +4.5% |
| 145円 | 約207ドル | +13.1% |
| 135円 | 約222ドル | +21.5% |
円建ての料金を据え置いても、海外の旅行者にとっては値上げと同じ意味を持ちます。また、ドルで旅行予算を組む旅行者は、円高になると円に換算した支出が減ります。たとえば米国客の宿泊費支出(1人15万8,095円)をドル建て予算が一定と仮定すると、157円から145円への円高で円換算では約7.6%減る計算です。
経路2:国内客の海外旅行への流出
円高は海外旅行の割高感を和らげます。円安で国内に回帰していた層の一部が海外に戻れば、国内のレジャー需要は減ります。特に、長期休暇の家族旅行や高単価の記念日需要は、海外旅行と比較されやすい市場です。
経路3:コストの低下は遅れてやってくる
輸入物価は円高で下がりますが、ホテルの経費に反映されるまでには時間がかかります。食材や資材の仕入価格は取引先との契約改定を経て変わり、電気・ガス料金は燃料費調整の仕組みで数か月遅れて動きます。
ここに非対称性があります。客室料金は需要の変化を受けて即日動かさざるを得ないのに、コストは数か月遅れてしか下がりません。円高局面の初期には、売上が先に減り、コストが後から下がるため、利益が一時的に圧迫されやすいのです。
試算:100室の都市型ホテルで157円から145円になったら
影響の大きさをつかむため、仮定を置いて試算してみます。客室100室、稼働率80%、ADR(平均客室単価)2万円のホテルの年間客室売上は、約5億8,400万円です。このうち半分の約2億9,200万円を訪日客が占めるとします。
訪日客がドル建ての予算を変えずに旅行すると仮定すると、157円から145円への円高で、訪日客からの客室売上は円換算で約7.6%、金額にして年間約2,230万円減る計算になります。実際には予算を円で考える旅行者もいるため、これは影響の上限に近い数字です。一方、光熱費が客室売上の6%(約3,500万円)で、円高によって1割下がったとしても、軽減されるのは年間約350万円にとどまり、しかも数か月遅れて効いてきます。
数字は仮定次第で変わりますが、インバウンド比率が高いホテルほど、円高の影響は売上側に大きく、早く出るという構造は変わりません。自館の数字に置き換えて一度計算しておくと、相場が動いたときの判断が格段に速くなります。
自館の「為替感応度」を見極める:タイプ別の影響
為替の影響は、ホテルの客層と立地によって大きく異なります。自館がどの型に近いかを確認してください。
| ホテルのタイプ | 円安の影響 | 円高の影響 | 重点的に見るべき指標 |
|---|---|---|---|
| 都市型・欧米豪比率が高い | 客室単価の上昇余地が大きい | ドル換算の割高感で予約ペースが鈍る | 市場別ADR、予約のリードタイム |
| 都市型・東アジア比率が高い | 客数は政治・航空便次第。単価の上昇余地は限定的 | 影響は比較的小さい | 市場別の客数構成、航空便の就航状況 |
| 国内レジャー中心(リゾート・温泉) | 国内回帰の恩恵とコスト上昇が相殺 | 海外旅行への流出で需要減 | 国内リピーター率、食材・光熱費比率 |
| ビジネス中心 | 主にコスト上昇(光熱費・備品) | コスト低下の恩恵(遅れて反映) | 客室あたりの光熱費、法人契約単価 |
為替の変動に備えて、いま取り組むべき5つのこと
1. 市場別の売上構成を毎月確認する
PMSの国籍・居住国データを使い、客室売上に占める市場別の比率を毎月集計します。為替の影響を受けやすい欧米豪の比率、政治リスクの高い特定市場への依存度が分かれば、為替が動いたときの影響額を概算できます。中国市場の急減は、一つの市場への依存がどれほど脆いかを示しました。
2. 競合との価格比較を「ドル換算」でも行う
海外旅行者は、国内の競合ホテルだけでなく、他国の旅行先とも比較しています。自館の料金をドル換算で把握し、円高で割高感が出始める水準を事前に押さえておきましょう。料金の判断をデータに基づいて行う考え方は、レベニューマネジメントを体験できるゲームでも実感できます。
3. 為替が一定幅動いたら見直す「ルール」を決めておく
「ドル円が5円動いたら、訪日客向けの料金とプロモーションを見直す」といった基準を事前に決めておきます。相場の急変時に場当たり的な値下げや値上げをすると、価格の一貫性が崩れて顧客の信頼を損ねます。
4. ドル建て・輸入依存の経費を洗い出す
システム利用料、輸入食材、アメニティ、設備の保守部品など、為替の影響を受ける経費を一覧にします。年間契約への切り替えや国産品への代替で、為替の変動を吸収できる項目もあります。
5. 国内客向けの価格帯を守る
インバウンドの単価上昇に合わせて全体の料金を引き上げると、国内の常連客が離れるおそれがあります。平日・閑散期の国内向けプランや連泊割引など、国内客が手の届く価格帯を意識的に残しておくことが、円高局面の備えにもなります。都道府県別の稼働率や客層の違いは、宿泊旅行統計の読み方を解説した記事が参考になります。
デメリット・リスク:為替を前提にした経営の落とし穴
- 相場予想に基づく投資判断:円安が続くことを前提にインバウンド向けの大型投資を行うと、円高への転換や政治的な渡航制限で回収計画が崩れます。為替はあくまで変動する前提条件として扱うべきです。
- 為替ヘッジへの過度な傾倒:為替予約などの金融手段は、ホテルの本業ではありません。仕組みを十分理解しないまま利用すると、かえって損失を招くおそれがあります。導入する場合は、金融機関や専門家と十分に相談してください。
- 円安を理由にした一律の値上げ:海外客の値ごろ感を根拠に料金を引き上げても、国内客の購買力は上がっていません。客層によって価格の受け止め方が異なる点を見落とすと、稼働率の低下を招きます。
- 為替以外のリスクの見落とし:2026年の訪日客数を大きく動かしたのは、為替ではなく政治的な渡航自粛でした。為替だけを見ていると、より影響の大きいリスクを見逃します。
まとめ
2026年の円相場は、163円台の円安ピーク、過去最大規模の為替介入、日銀の利上げを経て、150円台後半で不安定な動きを続けています。一次統計から見えてきたのは、次の3点です。
- 訪日客の数を決めたのは為替ではなく政治・航空便であり、円安が効いているのは一人当たりの支出である
- 円安は輸入物価を通じて、光熱費・食材・備品などホテルのコストをほぼ全方位で押し上げている
- 円高に転じた場合、売上が先に減り、コストの低下は遅れてやってくるため、一時的な利益の圧迫に備える必要がある
為替の行方は誰にも分かりません。しかし、自館の市場構成とコスト構造を数字で把握し、為替が動いたときに何を見直すかを先に決めておくことはできます。相場に振り回されるのではなく、相場の変化を前提にした仕組みをつくることが、これからのホテル経営に求められています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 円安になると、ホテルの売上は必ず増えますか?
必ずしも増えません。円安は訪日客の一人当たり支出を押し上げますが、客数は政治や航空便の状況に左右されます。2026年8月は歴史的な円安水準にありながら、訪日客数は前年同月比9.6%減でした。また、輸入物価の上昇でコストも増えるため、利益への影響は自館の客層とコスト構造によって異なります。
Q2. 2026年9月時点のドル円相場はどのような状況ですか?
7月23日に163円99銭の円安ピークをつけた後、日米協調介入で一時155円台まで戻しました。9月18日の日銀利上げ後は一時158円台まで円安が進みましたが、当局のレートチェックが報じられて156円台後半に戻しています。150円台後半を中心に、急な変動が起きやすい状況です。
Q3. 円安はホテルのどのコストに影響しますか?
光熱費(燃料・電気・ガス)、輸入食材、アメニティや洗剤などの化学製品、設備・備品、ドル建てのシステム利用料などです。2026年8月の輸入物価指数は円ベースで前年比24.8%上昇しており、そのうちおおむね7%分が円安による上乗せと読めます。
Q4. 円高になったら、すぐにコストは下がりますか?
すぐには下がりません。仕入価格は取引先との契約改定を経て、電気・ガス料金は燃料費調整の仕組みで、それぞれ数か月遅れて反映されます。一方で客室料金は需要の変化に合わせてすぐに動くため、円高局面の初期は利益が圧迫されやすくなります。
Q5. 為替の影響を受けやすいのはどんなホテルですか?
欧米豪からの宿泊客の比率が高い都市型ホテルは、円安で客室単価を上げやすい反面、円高で割高感が出やすく、影響を大きく受けます。国内レジャー中心のホテルは、円高になると海外旅行への需要流出の影響を受けます。
Q6. 為替変動に備えて、まず何から始めればよいですか?
PMSのデータを使って、客室売上に占める市場別の比率を毎月集計することから始めましょう。あわせて、ドル建てや輸入に依存する経費を一覧にすると、為替が動いたときの影響額を概算できるようになります。
Q7. 円安を理由に客室料金を上げてもよいですか?
海外客の値ごろ感を踏まえた料金設定は合理的ですが、一律の値上げには注意が必要です。国内客の実質購買力は物価上昇で低下しており、国内の常連客が離れるおそれがあります。客層別に価格を設計することが大切です。


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