ポスト・インバウンドを見据える、ホテルCRM戦略の再構築

ビジネス戦略とマーケティング

インバウンド活況の今こそ考えるべき「次の一手」

新型コロナウイルスの影響を乗り越え、日本の観光・ホテル業界はインバウンド需要の急回復によって大きな活況を呈しています。主要都市のホテルでは高い稼働率と客室単価が続き、多くの施設で過去最高の業績を記録しているというニュースも珍しくありません。しかし、この追い風が永遠に続く保証はどこにもありません。国際情勢の変化、為替の変動、そして新たな感染症のリスクなど、不確実性は常に存在します。

こうした状況下で、目先の利益に一喜一憂するのではなく、5年後、10年後も持続的に成長し続けるための「次の一手」を打つことが、ホテル経営者やマーケティング担当者には求められています。その鍵を握るのが、顧客との長期的な関係性を築くCRM(Customer Relationship Management)と、それに基づいたロイヤリティ戦略の再構築です。

最近では、百貨店業界がインバウンド依存からの脱却を目指し、国内の優良顧客を囲い込む「ポスト・インバウンド戦略」を強化しているという報道や、KOKO HOTELなどが独自のWEBポイントプログラムを開始したというニュースに見られるように、業界を問わず優良顧客の囲い込み、すなわちロイヤリティ向上への関心が高まっています。これは、一過性の集客に頼るのではなく、ホテルを繰り返し選んでくれるファンを育てることが、いかに重要であるかを示唆しています。

なぜ今、ロイヤリティ戦略が重要なのか?

「リピーターが大切なのは当たり前だ」と感じるかもしれません。しかし、その重要性は、デジタル化が進んだ現代において、かつてないほど高まっています。なぜ今、改めてロイヤリティ戦略に注力すべきなのでしょうか。その理由は大きく4つあります。

1. 新規顧客獲得コスト(CAC)の高騰

OTA(Online Travel Agent)経由の予約には10%〜20%以上の手数料がかかり、リスティング広告やSNS広告といったデジタルマーケティング費用も年々上昇しています。新しい顧客を一人獲得するためのコスト(CAC: Customer Acquisition Cost)は、決して安くありません。一方で、既存顧客やリピーターは、自社サイトからの直接予約や、広告費をかけない形での再訪が期待できるため、獲得コストを大幅に抑えることができます。利益率を改善する上で、リピーターの存在は極めて重要です。

2. LTV(顧客生涯価値)の最大化

LTV(Life Time Value)とは、一人の顧客が取引期間中に企業にもたらす利益の総額を指す指標です。一度きりの宿泊で終わってしまう顧客と、年に数回、何年にもわたって利用してくれる顧客とでは、ホテルにもたらす価値は天と地ほどの差があります。優れたロイヤリティ戦略は、顧客満足度を高め、再訪を促し、アップセルやクロスセル(レストランやスパの利用など)の機会を創出することで、このLTVを最大化します。

3. 安定した収益基盤の構築

インバウンド需要は、国際情勢や為替レートといった外的要因に大きく左右されます。しかし、ホテルそのものに強い愛着を持つ国内のリピーター層は、こうした外部環境の変化の影響を受けにくい、安定した収益の礎となります。パンデミックの際、多くのホテルが苦境に立たされる中で、日頃から顧客との関係性を築いてきた施設が、国内のファンに支えられて危機を乗り越えた事例は記憶に新しいでしょう。

4. UGC(ユーザー生成コンテンツ)による好循環

ロイヤリティの高い顧客は、単なる利用者にとどまりません。彼らは、自身のSNSやブログ、口コミサイトでポジティブな体験談を自発的に発信してくれる「歩く広告塔」となります。こうしたUGC(User Generated Content)は、広告よりも信頼性が高く、新たな顧客を呼び込む強力な力を持っています。ファンが新たなファンを呼ぶという、理想的な好循環を生み出すことができるのです。

脱・画一的ポイント制度へ。現代のホテルに求められるロイヤリティプログラム

「ロイヤリティプログラム」と聞くと、多くの人が「宿泊金額に応じたポイント付与」や「10泊したら1泊無料」といった、旧来型の仕組みを思い浮かべるかもしれません。しかし、モノや情報が溢れる現代において、金銭的なインセンティブだけでは顧客の心を真に掴むことは難しくなっています。

これからのロイヤリティプログラムは、顧客一人ひとりに「自分は特別な存在として扱われている」と感じさせる、パーソナライズされた体験価値の提供が不可欠です。

パーソナライゼーションの徹底

顧客データを活用し、個々のゲストの好みに合わせたサービスを提供することが基本となります。例えば、CRMシステムに蓄積された過去の利用履歴から、「このお客様はいつも硬めの枕をリクエストされる」「チェックイン時には必ずスパークリングウォーターを希望される」といった情報をフロントや客室係が共有し、先回りして準備する。誕生日や結婚記念日といった特別な日には、手書きのメッセージカードとささやかなプレゼントを用意する。こうした細やかな配慮の積み重ねが、「またこのホテルに帰ってきたい」という強い動機に繋がります。

金銭的価値を超えた「体験価値」の提供

割引やポイントだけでなく、そこでしか得られない特別な「体験」を提供することも重要です。例えば、以下のような施策が考えられます。

  • 会員限定イベント:総料理長による料理教室、ソムリエが案内するバックヤードのワインセラーツアー、地元アーティストとの交流会など。
  • ステータスを感じさせる特典:長蛇の列を横目に利用できる専用チェックインカウンター、予約困難なレストランの優先予約権、通常は入れないルーフトップバーへのアクセス権など。
  • シームレスな利便性:空室状況に応じた柔軟なアーリーチェックイン/レイトチェックアウト、手ぶらで滞在を楽しめる荷物の事前預かり・事後発送サービスなど。

これらの特典は、顧客に「会員であることの優越感」や「ホテルとの特別な繋がり」を感じさせ、金銭には代えがたい価値を提供します。

ロイヤリティ戦略を支えるテクノロジー(DX)

こうした高度なロイヤリティ戦略を実現するためには、テクノロジーの活用、すなわちDX(デジタルトランスフォーメーション)が欠かせません。勘や経験だけに頼るのではなく、データを駆使して顧客を深く理解し、効率的かつ効果的なアプローチを行う必要があります。

CRM/CDP:顧客理解の心臓部

顧客情報を一元管理するCRM(顧客関係管理システム)やCDP(カスタマーデータプラットフォーム)は、現代のロイヤリティ戦略の心臓部です。予約システム、POSシステム、公式サイトのアクセス履歴、アンケート回答といった、施設内に散在する顧客データを統合し、「顧客の360度ビュー」を構築します。これにより、「東京在住の30代女性、記念日利用が多く、スパの利用率が高い」といった具体的な顧客像を可視化し、パーソナライズされたアプローチの土台とすることができます。

MAツール:適切なコミュニケーションの自動化

MA(マーケティングオートメーション)ツールを活用すれば、顧客一人ひとりに合わせたコミュニケーションを、適切なタイミングで自動的に届けることが可能です。例えば、「宿泊日から3ヶ月後に、前回の滞在に合わせた特別プランをメールで案内する」「顧客の誕生日の1ヶ月前に、お祝いのメッセージと共にレストランの割引クーポンを送る」といった施策を自動化することで、少ない労力で顧客との関係性を維持・強化できます。

まとめ

インバウンドという大きな波に乗っている今だからこそ、その波が引いた後の景色を想像し、備えることが賢明な戦略と言えます。一過性の集客に依存するビジネスモデルから脱却し、ホテルを愛し、繰り返し訪れてくれるファンを育てること。そのために、テクノロジーを活用して顧客一人ひとりと真摯に向き合い、パーソナライズされた特別な体験を提供していくこと。これが、ポスト・インバウンド時代を生き抜くための、揺るぎない競争力の源泉となるはずです。

ロイヤリティ戦略は、単なるマーケティング部門の一施策ではありません。フロント、レストラン、客室清掃から経営層まで、全スタッフが「お客様との長期的な関係を築く」という思想を共有し、ホテル全体で取り組むべき重要な経営課題なのです。

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