はじめに:華やかな世界の裏側にある、ホテリエの「本当のスキル」
ホテル業界への就職を目指す皆さん、そして既現場で活躍されている若手ホテリエの皆さん。皆さんが「ホテリエ」と聞いて思い浮かべるのは、どんな姿でしょうか。洗練された立ち居振る舞いでゲストを迎え、スマートにリクエストに応えるフロントスタッフ。あるいは、特別な日のディナーを彩るレストランのサービススタッフかもしれません。確かに、それらはホテルという舞台の主役であり、多くの人が憧れる姿です。
しかし、一流のホテリエとしてキャリアを築き、将来的にマネジメントや経営を担う存在になるためには、その華やかな表舞台を支える「裏側のスキル」が不可欠になります。今回は、ともすれば見過ごされがちですが、ホテリエのキャリアを大きく左右する極めて重要なスキル、「計数管理能力」について掘り下げてみたいと思います。「数字は苦手で…」と感じる方もいるかもしれませんが、心配はいりません。日々の業務の中で、このスキルをいかにして身につけ、自身の成長に繋げていくか、具体的なヒントをお伝えできればと思います。
なぜホテリエに「数字」が必要なのか?
「おもてなしのプロに、なぜビジネスの数字が必要なの?」と感じるかもしれません。その答えはシンプルで、ホテルがゲストにくつろぎを提供する「おもてなしの空間」であると同時に、利益を生み出さなければ存続できない「ビジネスの現場」だからです。
皆さんが働くホテルでは、日々、様々な数字が動いています。それらの数字は、ホテルの健康状態を示す「カルテ」のようなものです。代表的な指標をいくつか見てみましょう。
- ADR (Average Daily Rate / 客室平均単価): 販売した客室1室あたりの平均料金です。これが高ければ、それだけ価値の高いサービスを提供できている証拠になります。
- OCC (Occupancy Rate / 客室稼働率): 販売可能な客室総数のうち、実際に販売された客室の割合です。これが高ければ、多くのお客様に選ばれているということになります。
- RevPAR (Revenue Per Available Room / 販売可能客室数あたり収益): ADRとOCCを掛け合わせた指標で、ホテルの収益力を測る最も重要な指標の一つです。例えば、100室のホテルでADRが20,000円、OCCが80%なら、RevPARは16,000円となります。
- GOP (Gross Operating Profit / 営業総利益): ホテルの総売上から、人件費や光熱費などの営業費用を差し引いた利益です。これが、ホテルの本業での儲けを示します。
これらの数字は、決して経営陣や経理担当者だけのものではありません。例えば、フロントスタッフの一人ひとりがアップセル(予約より上のランクの部屋をお勧めすること)を意識すればADRが向上します。予約担当者が効率的に販売コントロールを行えばOCCが上がります。レストランスタッフが追加のドリンクやデザートをお勧めすれば、宿泊以外の売上が伸び、GOPに貢献します。このように、現場のあらゆるアクションが、ホテルの経営数値に直結しているのです。自分の仕事が、単なる作業ではなく、ホテルの経営にどう貢献しているのかを「数字」で理解できると、仕事への視点が変わり、モチベーションも大きく向上するはずです。
現場で「数字に強いホテリエ」になるための具体的なステップ
では、どうすれば日々の業務を通じて計数管理能力を養うことができるのでしょうか。特別な才能は必要ありません。少しの意識と行動で、誰でも数字に強いホテリエになることができます。
1. 日報やレポートの数字を「自分ごと」として捉える
多くのホテルでは、毎日の売上や稼働率が日報として共有されるはずです。その数字をただ眺めるだけでなく、「なぜ今日は稼働率が高いのだろう?」「近隣でイベントがあったからか?」「なぜ昨日に比べてレストランの売上が低いのだろう?」「天気が悪かったからか?」というように、数字の裏側にある背景を自分なりに考えてみる癖をつけましょう。最初は分からなくても構いません。自分なりの仮説を持つことが第一歩です。
2. 「なぜですか?」と質問する勇気を持つ
日報を見ていて疑問に思ったこと、分からなかったことは、遠慮なく上司や先輩に質問してみましょう。「今日のRevPARが良い要因は何ですか?」と聞けば、上司は「今日から海外の団体客が入っているからだよ」とか「レベニューマネージャーが料金設定をうまく調整したんだ」といった背景を教えてくれるはずです。また、自部署の経費にも目を向けてみましょう。「この備品費の内訳はどうなっていますか?」と聞くことで、コスト意識も芽生えてきます。知りたいという意欲は、必ず評価されます。
3. 自分の部署以外の数字にも関心を持つ
フロントにいるなら、レストランや宴会の売上はどうなっているか。レストランにいるなら、宿泊の稼働率はどうなっているか。自分の部署だけでなく、ホテル全体の数字に関心を持つことが重要です。ホテルというビジネスは、各部署が連携して初めて成り立ちます。他部署の状況を理解することで、ホテル全体のビジネス構造が見えるようになり、より広い視野で物事を考えられるようになります。
4. 知識を体系的に学ぶ
日々の業務で数字に触れることに加え、体系的な知識をインプットすることも有効です。例えば、企業の財務諸表を読む基礎となる「日商簿記検定」や、ホテル業界に特化した知識が問われる「ホテルビジネス実務検定(H検)」などは、キャリアアップを目指す上で大きな武器になります。資格取得を目標にすることで、学習のモチベーションも維持しやすくなるでしょう。
計数管理能力が拓く、ホテリエの多様なキャリアパス
計数管理能力を身につけることは、皆さんの将来のキャリアにどのような影響を与えるのでしょうか。これは、皆さんの可能性を大きく広げることに繋がります。
- 現場のリーダー・マネージャーへ: チームや部署を率いる立場になれば、予算の策定、実績の管理、コストコントロールといった業務が必ず発生します。数字に基づいた的確な判断や指示ができなければ、チームを目標達成に導くことはできません。
- レベニューマネージャーという専門職: 日々の需要を予測し、客室料金や販売方法を最適化することでホテルの収益を最大化する専門職です。計数管理能力はもちろん、分析力や戦略的思考が求められる、非常にやりがいのあるポジションです。
- 支配人・総支配人への道: ホテルの経営責任者である支配人・総支配人にとって、計数管理能力は呼吸をするのと同じくらい当たり前のスキルです。ホテル全体の損益を把握し、ヒト・モノ・カネといった経営資源を最適に配分し、未来への投資判断を下す。その全ての土台に、数字を読む力があります。
- 本社部門での活躍: 現場で培った計数管理能力とオペレーションの知見は、本社の経営企画、マーケティング、事業開発といった部署でも高く評価されます。現場感のある数字に基づいた戦略は、机上の空論ではない、生きた戦略となるからです。
- 独立・起業という選択肢: 将来、自分の手でホテルや旅館、ゲストハウスを経営したいという夢をお持ちの方もいるでしょう。その夢を実現するためには、事業計画の策定から資金調達、日々の収支管理まで、計数管理能力がなければ始まりません。
おわりに
ホテリエの仕事は、お客様への心からのおもてなしが原点です。その気持ちは、何よりも尊いものです。しかし、その素晴らしいおもてなしをビジネスとして継続させ、さらに発展させていくためには、「ビジネスの視点」、すなわち計数管理能力が不可欠です。
「おもてなしの心」と「ビジネスの視点」。この両輪をバランスよく磨き上げていくことこそが、これからの時代に求められるプロフェッショナルなホテリエへの道です。日々の業務の中にこそ、成長の種は無数に転がっています。ぜひ、明日から少しだけ数字を意識して、皆さんの仕事の新たな一面を発見してみてください。その小さな一歩が、5年後、10年後の皆さんのキャリアを、きっと豊かなものにしてくれるはずです。
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