H Worldの国際展開戦略:アセットライトと「人間力」で拓く東南アジア

宿泊ビジネス戦略とマーケティング
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はじめに

2025年現在、ホテル業界はグローバル化の波に乗り、新たな市場への進出を加速させています。特に成長著しい東南アジア市場は、多くの国際ホテルチェーンにとって魅力的なフロンティアとなっています。しかし、単にホテルを建設するだけでは成功は掴めません。その背後には、緻密なビジネス戦略、ブランドの適応力、そして何よりも現場を支える運営能力が不可欠です。

今回は、中国を拠点とする大手ホスピタリティグループであるH World Groupが、その主要ブランドの一つであるJI Hotelをマレーシアとカンボジアに展開するという最新のニュースを基に、グローバルホテルチェーンの国際展開戦略、特に「アセットライト」モデルの深層と、それが現場にもたらす影響について深く掘り下げていきます。

H World Groupの新たな一手:JI Hotelの東南アジア展開

2025年9月20日、H World Group Limitedは、マレーシアのクアラルンプールとカンボジアのプノンペンに新たに3軒のJI Hotelを開業する契約を締結したと発表しました。この発表は、H Worldがマレーシア市場に初めて進出する節目となり、同時に東南アジアにおけるJI Hotelブランドの存在感をさらに拡大するものです。

H World Takes JI Hotel Brand to Malaysia and Cambodia, Strengthening Southeast Asia Presence – Financial Times(2025年9月20日)

このニュースリリースによると、H World Groupは「多様な、アセットライトなポートフォリオを地域全体で構築する」というコミットメントを強調しています。中国に本社を置くH World Groupは、Steigenberger Icons、Steigenberger Hotels & Resorts、MAXX、HanTing、JI Hotel、Crystal Orange Hotelなど、多岐にわたるブランドを擁するグローバルホスピタリティ企業です。同グループは、アセットライト運営、デジタルイノベーション、戦略的ブランド開発を重視し、持続可能な国際成長を推進しています。

この発表は、JI Hotelブランド初の海外プロパティであるシンガポールのJI Hotel Orchard Roadの6周年と重なりました。シンガポールでの成功は、H Worldの成熟した運営能力と国際市場への適応力を証明するものとされています。

アセットライト戦略が拓く成長の道とその深層

H World Groupが強調する「アセットライト」戦略は、現代のホテル業界における主要なビジネスモデルの一つです。これは、ホテル資産(土地や建物)を自社で所有せず、主にブランドライセンス供与やマネジメント契約を通じて事業を展開する手法を指します。この戦略には、以下のようなメリットと深層があります。

資本効率の最大化とリスク分散: 土地や建物の取得・維持には莫大な初期投資とランニングコストがかかります。アセットライト戦略は、これらの資本的支出を抑え、より多くの資金をブランド開発、デジタルイノベーション、人材育成といった「無形資産」に投じることが可能になります。また、不動産市場の変動リスクや自然災害リスクを軽減できる点も大きなメリットです。

迅速な市場拡大: 資産を所有しないことで、新規市場への参入障壁が低くなり、より迅速かつ広範なネットワーク拡大が可能になります。H World Groupがマレーシアやカンボジアに短期間で複数のホテルを展開できるのも、この戦略の恩恵が大きいと言えるでしょう。

ブランド価値の最大化: 運営に特化することで、ブランドの品質基準やサービスレベルの維持・向上に集中できます。オーナーは不動産の専門知識を提供し、H Worldのような運営会社はホスピタリティの専門知識を提供することで、それぞれの強みを活かした効率的な事業運営が実現します。

しかし、アセットライト戦略は常に順風満帆というわけではありません。現場レベルでは、「オーナーと運営会社の間の期待値のギャップ」が生じやすいという泥臭い課題も存在します。オーナーは投資回収を急ぎ、短期的な収益最大化を求める傾向がある一方、運営会社はブランド価値の長期的な維持や顧客満足度向上を重視します。このギャップを埋めるためには、契約段階での明確な合意形成はもちろん、日々の密なコミュニケーションと、共通の目標意識を醸成する「人間力」が不可欠となります。

JI Hotelブランドの強みと市場適応力

JI Hotelは、H World Groupの中核をなすミッドスケールブランドであり、その成功は、明確なブランドポジショニングと市場への適応力に支えられています。JI Hotelは、効率的でありながらも快適性を追求したデザイン、そして一貫したサービス提供を特徴としています。

ミッドスケール市場の魅力: 東南アジア地域では、経済成長に伴い中間層が拡大しており、手頃な価格で質の高い宿泊体験を求めるニーズが高まっています。JI Hotelのようなミッドスケールブランドは、この層にアピールする最適な選択肢となります。ラグジュアリーホテルほどの高価格帯ではなく、かといって安価なエコノミーホテルでもない、「賢い選択」を求める旅行者にとって魅力的な存在です。

シンガポールでの成功事例: ニュースでも触れられているシンガポールのJI Hotel Orchard Roadの成功は、JI Hotelが国際市場で通用するブランドであることを示しています。シンガポールは多様な文化が交錯する国際都市であり、そこで成功を収めた経験は、マレーシアやカンボボジアといった新たな市場での展開において大きな自信とノウハウをもたらします。

「標準化」と「柔軟性」のバランス: グローバルブランドが国際展開する上で最も重要な課題の一つが、ブランドの「標準化」と「柔軟性」のバランスです。JI Hotelは、清潔さ、機能的な客室、効率的なチェックイン・アウトといったコアとなるブランド体験は標準化しつつも、現地の文化や習慣、ゲストの嗜好に合わせてサービスやアメニティを調整する柔軟性を持っています。例えば、朝食メニューに現地の人気料理を取り入れたり、客室内の案内表示を多言語に対応させたりといった工夫が、ゲストにとっての「居心地の良さ」に直結します。

このバランスの取り方は、現場スタッフの創意工夫と、本社からのガイドラインの適切な適用によって成り立っています。画一的なサービスを押し付けるのではなく、現地のスタッフがゲストのニーズを汲み取り、ブランドの枠内で最適なサービスを提供できるような権限とトレーニングが不可欠です。これは、ホテルブランド戦略と現場の乖離:AIが埋める「危険な分断」と人間力でも指摘した通り、ブランドと現場の連携が重要となる典型的なケースと言えるでしょう。

デジタルイノベーションと成熟した運営能力が支える国際戦略

H World Groupが国際展開の柱として掲げるデジタルイノベーションと成熟した運営能力は、アセットライト戦略の成功に不可欠な要素です。

デジタルイノベーションの力: H Worldは、独自の強力な予約システム、顧客関係管理(CRM)システム、そしてホテル運営管理システム(PMS)を開発・活用しています。これにより、各ホテルの稼働状況、顧客データ、収益状況を一元的に管理し、データに基づいた意思決定を迅速に行うことが可能です。例えば、AIを活用した需要予測により、最適な価格設定や客室在庫管理を行い、収益を最大化します。また、モバイルチェックイン・アウト、スマート客室テクノロジー、オンラインコンシェルジュサービスなども、ゲスト体験の向上と運営効率化に寄与しています。

成熟した運営能力: 数多くのホテルを運営してきたH Worldのノウハウは、新規市場での展開において大きな強みとなります。標準化されたトレーニングプログラム、品質管理プロセス、サプライチェーンマネジメントシステムは、新たな地域でも一貫したブランド体験を提供するための基盤となります。特に、清掃、メンテナンス、セキュリティといったバックオフィス業務の効率化は、人件費が高騰する現代において、収益性を確保する上で極めて重要です。

しかし、デジタルイノベーションも運営能力も、最終的にはそれを使いこなす「人」に依存します。国際展開においては、現地の文化や言語、労働慣行に適応した人材の採用と育成が大きな課題となります。本社からのトップダウンの指示だけでは、現地の細やかなニーズに対応しきれません。現地のマネージャーやスタッフが、H Worldの理念を理解しつつ、自律的に問題解決できるようなエンパワーメントが求められます。これは、2025年ホテル人材戦略:アップスキリングとリスキリングで離職率を低減し持続成長へでも強調されるように、継続的な学習と成長の機会を提供することが、人材定着とブランド価値向上に直結します。

東南アジア市場の魅力と挑戦

H World Groupが東南アジア市場に注力する背景には、この地域の持つ大きな魅力があります。

経済成長と観光需要の拡大: 東南アジア諸国は、近年著しい経済成長を遂げており、中間層の可処分所得が増加しています。これにより、国内外からの観光需要が旺盛であり、ビジネス目的の渡航者も増加傾向にあります。特に、マレーシアやカンボジアは、豊かな自然、歴史的遺産、多様な文化が魅力であり、観光客を惹きつけてやみません。

インフラ整備の進展: 各国政府は観光振興に力を入れており、交通インフラや観光施設の整備が進んでいます。これにより、アクセスが向上し、より多くの旅行者が訪れる環境が整いつつあります。

一方で、東南アジア市場には特有の挑戦も存在します。

激しい競合: 東南アジアは、H World Groupだけでなく、マリオット、ヒルトン、IHGといったグローバル大手から、現地の有力ホテルチェーンまで、多くのプレイヤーがひしめき合う激戦区です。価格競争も激しく、ブランドの差別化が常に求められます。

文化的多様性と規制: 多様な民族、宗教、言語が共存する東南アジアでは、それぞれの国の文化や習慣、そして法的規制に細やかに対応する必要があります。画一的なアプローチでは、現地のゲストや従業員からの支持を得ることは難しいでしょう。

人材確保と育成: ホテル業界全体で人材不足が叫ばれる中、急速な市場拡大に伴い、質の高いホスピタリティ人材の確保と育成は喫緊の課題です。特に、ブランドの理念を理解し、国際的なサービス水準を提供できる人材を育成するには時間と投資が必要です。

ホテルの国際展開における「見えない努力」

ニュースリリースでは、H World Groupの戦略的な動きが簡潔に述べられていますが、その裏には数えきれないほどの「見えない努力」が存在します。

ブランド認知度向上とマーケティング: 新規市場でのブランド認知度を高めるためには、ターゲット層に響くマーケティング戦略が不可欠です。オンライン・オフライン両面でのプロモーション、現地のインフルエンサーとの連携、OTA(オンライン旅行代理店)との協業など、多角的なアプローチが求められます。単に施設があるだけでなく、「なぜこのブランドを選ぶべきか」という価値を伝えることが重要です。

サプライヤーとの連携と品質管理: 現地の食材やアメニティを調達しつつ、H Worldの定める品質基準を満たすサプライヤーを見つけ、長期的な関係を構築することは容易ではありません。サプライチェーン全体の透明性と持続可能性も、現代の企業に求められる重要な要素です。

現地コミュニティとの共生: ホテルは地域社会の一員として、雇用創出、地域経済への貢献、文化交流といった役割を担います。単なるビジネス展開に留まらず、現地コミュニティとの良好な関係を築き、持続可能な発展に貢献する姿勢が、長期的な成功には不可欠です。

これら「見えない努力」は、日々の泥臭い交渉、スタッフの地道なトレーニング、そして時に発生するトラブルへの迅速な対応といった、現場の人間力に支えられています。グローバル展開は華やかに見えますが、その根底には、一つ一つのホテルが地域に根ざし、ゲストに寄り添う地道な取り組みがあるのです。

まとめ

H World GroupのJI Hotelブランドの東南アジア展開は、2025年におけるグローバルホテルチェーンのビジネス戦略を象徴する動きと言えるでしょう。アセットライト戦略による資本効率の最大化、ミッドスケールブランドによる成長市場へのアプローチ、そしてデジタルイノベーションと成熟した運営能力による基盤強化。これらが複合的に作用することで、持続可能な国際成長が実現されます。

しかし、忘れてはならないのは、これらの戦略が単なる数字の積み重ねではないということです。それぞれのホテルで働く現場のスタッフが、H Worldのブランド理念を理解し、現地のゲスト一人ひとりに寄り添ったホスピタリティを提供できるかどうかが、最終的な成功を左右します。本社が描く壮大なビジョンと、現場の細やかな「人間力」が融合したときにこそ、真のグローバルブランドとしての価値が生まれるのです。

2025年、ホテル業界は引き続き変化と成長の途上にあります。H World Groupの事例は、その中でいかに戦略的に、そして人間中心のアプローチでビジネスを展開していくべきかを示唆していると言えるでしょう。

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