はじめに
2025年のホテル業界は、単に宿泊施設を提供するだけでなく、ゲストに深く記憶に残る体験を創造することが求められる時代へと進化しています。特に、歴史的建造物を活用したホテルにおいては、その地の持つ独自の文化や物語をいかに現代のホスピタリティと融合させるかが、成功の鍵を握ります。単なる豪華さや利便性を超え、ゲストの心に響く「何か」を提供できるかどうかが、ブランドの真価を問うています。
本稿では、この現代的な挑戦に挑むホテルの事例として、Six Senses Romeの運営哲学に焦点を当て、ホテル運営において考慮すべき非テクノロジー的要素、すなわち「心」の価値、サステナビリティ、地域共生、そしてウェルネスの重要性について深く考察します。
歴史と文化を「心」で紡ぐホテル運営
老舗ホテルや歴史的建造物を再生したホテルは、その地の歴史と文化を体現する存在です。単に建物を修復するだけでなく、その「魂」を現代にどう伝え、ゲストの体験にどう織り込むかが問われます。Hospitality Netが2025年9月1日に報じた記事「Preserving a Palazzo and Pioneering Its Future with Six Senses Rome GM Francesca Tozzi」は、Six Senses Romeのゼネラルマネージャー、フランチェスカ・トッツィ氏の言葉を通じて、この本質的な問いに対する示唆に富んだ回答を提供しています。
記事では、トッツィ氏が次のように述べています。
This passion for culture, for history, for the people and for the people that give a property its sense of place is not something that can be fully quantified in a financial statement, and yet it is precisely the reason for why a hotel is one of the best in the world. Call it heart; call it soul. This core commitment to stewardship is reflected in the morale and demeanor of every team member, as well as in the exclusive experiences offered and, ultimately, the ADR that the hotel can command.
（文化、歴史、そしてその土地にその場所ならではの感覚を与える人々へのこの情熱は、財務諸表で完全に数値化できるものではありません。しかし、それこそがホテルが世界最高峰の一つである理由なのです。それを心と呼ぶか、魂と呼ぶかは自由です。この管理運営への核心的なコミットメントは、各チームメンバーの士気と態度、提供される特別な体験、そして最終的にホテルが獲得できるADR（平均客室単価）に反映されます。）
この言葉は、ホテル運営における「心」の重要性を明確に示しています。歴史的建造物をホテルとして運営する際、その価値は単に物理的な美しさや立地だけでは測れません。その建物が長年培ってきた物語、地域の人々との繋がり、そしてそこに関わる全ての従業員の「文化や歴史、人々への情熱」が、ホテルの真の価値を決定づけるのです。
Six Senses Romeは、15世紀のパラッツォ（宮殿）を改装して開業しました。このような歴史ある建物を現代のラグジュアリーホテルとして再生する過程では、単に最新の設備を導入するだけではなく、その建築が持つ歴史的意義や美学を深く理解し、尊重する姿勢が不可欠です。トッツィ氏が語る「心」とは、まさにこの深い敬意と、それをゲストに伝えるための人間的な努力を指すのでしょう。従業員一人ひとりがその情熱を共有し、ホテルの「管理人」としての意識を持つことで、ゲストは単なる宿泊以上の、その地に根差した本物の体験を得ることができます。このような「心」が宿るホテルは、競争が激化する現代において、他とは一線を画す独自のブランド価値を確立し、結果として高いADRにも繋がるのです。
サステナビリティと地域共生：未来への責任
現代のホテル運営において、サステナビリティと地域共生は避けて通れないテーマです。Six Senses Romeの事例は、歴史的建造物の保存と並行して、これらの要素を深く統合する運営モデルを示しています。記事によれば、Six Senses Romeは歴史的な建築を修復するだけでなく、再利用された素材や伝統的なローマの職人技を内装に取り入れ、地元の職人技との繋がりを強化しています。
これは単なる環境配慮に留まらず、その土地の文化や経済を尊重し、持続可能な形で未来へ繋いでいくという強い意志の表れです。地元の職人技を活かすことは、地域の文化遺産を保護し、地域経済に貢献するだけでなく、ゲストにとってもその土地ならではの「本物」の体験を提供します。画一的なデザインや素材ではなく、手仕事の温もりや歴史の息吹を感じられる空間は、現代の旅行者が求める深い満足感に繋がります。
さらに、Six Senses Romeは「Earth Lab（アースラボ）」を通じて地域社会との関わりを深めています。このEarth Labでは、持続可能な製品作りや環境保全に焦点を当てたインタラクティブなワークショップや教育的な講演が提供され、ゲストと地元住民の両方が参加できます。これはホテルが単なる宿泊施設ではなく、地域コミュニティの一員として、環境意識の向上や文化交流のハブとなる可能性を示しています。
ホテルが地域社会と積極的に関わることで、新たな価値が生まれます。地域住民との交流は、ゲストにその土地の日常生活や文化をより深く理解する機会を与え、地域にとってはホテルの存在が文化的な活性化や経済的恩恵をもたらします。このような地域共生の取り組みは、ホテルのブランドイメージを高めるだけでなく、長期的な視点で見れば、地域全体の持続可能な観光を促進する上で不可欠です。
ホテルは、地域社会の課題解決に貢献し、その魅力を最大限に引き出す役割を担うべきです。これは、難民ホテル問題が示す変革期：ホテルに求められる社会的役割と持続可能な運営でも考察したように、ホテルが果たすべき社会的役割の一環であり、単なる経済活動を超えた存在意義を確立するものです。また、ホテルは「体験創造業」へ変革：地域と人が紡ぐ非テクノロジー戦略でも述べたように、地域との連携こそが、テクノロジーだけでは生み出せない独自の体験価値を創造する源泉となります。
ウェルネスと感情的なホスピタリティ：ゲスト体験の深化
現代のラグジュアリーホテルは、単に贅沢な空間を提供するだけでなく、ゲストの心身の健康、すなわちウェルネスへの深い配慮が求められています。Six Senses Romeは、ウェルネス、サステナビリティ、そして地域文化への深いコミットメントによって、他の競合ホテルと差別化を図っていると記事は指摘しています。
特に注目すべきは、ブランドが掲げる「感情的なホスピタリティ（emotional hospitality）」です。これは、ゲストの快適さと体験が全てのタッチポイントの中心にあることを意味し、ユニークで没入感のある滞在を創造します。感情的なホスピタリティとは、マニュアル通りのサービスを超え、ゲスト一人ひとりの感情やニーズを深く理解し、それに応じたパーソナルな対応をすることです。例えば、ゲストが言葉にせずとも求めているものを察知し、先回りして提供するような、きめ細やかな配慮がこれに当たります。
ウェルネスへのコミットメントは、単にスパ施設を提供するだけでなく、ゲストの滞在全体を通じて心身のバランスを整えるためのプログラムや環境づくりを含みます。Six Senses Romeが提供するウェルネス体験は、科学に基づいたアプローチと、その土地の文化や自然を融合させた独自のものです。歴史的建造物という文脈でウェルネスを提供することは、過去の知恵や伝統的な癒しの方法を現代に蘇らせる機会でもあります。例えば、古代ローマの入浴文化やハーブの知識を現代のスパトリートメントに取り入れることで、より深みのある体験を提供できるでしょう。
このような感情的なホスピタリティとウェルネスへの注力は、ゲストに深い満足感と心の充足をもたらします。単なる物質的な贅沢だけでなく、精神的な豊かさを提供することで、ホテルはゲストにとって「第二の家」のような存在となり、強いロイヤルティを築くことができます。これは、ホテル業界の新たな競争軸「睡眠」：異業種連携がもたらす体験価値とマーケティング効果で述べた「睡眠体験」の提供にも通じる、ゲストの根源的なニーズに応えるアプローチです。また、ホテルに「遊び心」と「サプライズ」を：顧客の心に響く体験を創造する人間力戦略にもあるように、ゲストの心に響く体験は、最終的にホテルのブランド価値を大きく高めます。
ホテル運営における「心」の価値再考
Six Senses Romeの事例が示すように、2025年のホテル業界において、成功を収めるためには財務指標だけでは測れない「心」の価値を再認識することが不可欠です。この「心」とは、文化や歴史への深い敬意、地域社会への貢献、ゲスト一人ひとりへの共感、そして従業員全員が共有する情熱と誇りの集合体です。
1. 歴史と文化の継承
歴史的建造物を運営するホテルにとって、その建物が持つ物語や文化をいかに継承し、現代のゲストに伝えるかは重要な使命です。単なる観光資源としてではなく、生きた文化財として維持・発展させることで、ホテルは唯一無二の存在感を放ちます。これは、建物の修復方法、内装デザイン、提供されるサービス、そして従業員の教育に至るまで、あらゆる側面に反映されるべき運営哲学です。
2. サステナビリティと地域共生
環境への配慮と地域社会との共生は、もはや選択肢ではなく必須の要件です。地元の素材の活用、伝統技術の継承、地域住民との交流プログラムなどは、ホテルの持続可能性を高めるだけでなく、ゲストに深みのある体験を提供し、ブランドの信頼性を向上させます。ホテルが地域に根差し、その発展に貢献する姿勢は、現代の消費者が高く評価する要素です。
3. 感情的なホスピタリティとウェルネス
ゲストの心身の健康に寄り添うウェルネスプログラムと、マニュアルを超えた「感情的なホスピタリティ」は、ゲストに忘れられない感動を提供します。ゲストの潜在的なニーズを察知し、パーソナルなレベルで対応する能力は、従業員の人間力に大きく依存します。このような「おもてなし」は、単なるサービスではなく、人間同士の深い繋がりを築くものであり、ホテルのブランド力を飛躍的に高めます。
これらの要素は、財務諸表には直接計上されないかもしれませんが、ホテルの従業員の士気を高め、ゲストの満足度を向上させ、最終的にはブランドの評判と収益に計り知れない影響を与えます。トッツィ氏の言葉が示唆するように、この「心」こそが、ホテルが世界最高峰の一つである理由となるのです。
私たちは、2025年ホテル業界の持続的成長：曖昧な「おもてなし」を言語化する「人間力」戦略や、マニュアルを超えたホスピタリティ：ホテルを動かす「人間力」といった過去の記事でも、人間中心の価値や「おもてなし」の本質について繰り返し考察してきました。2025年という時代において、これらの非テクノロジー的要素が、ホテルが顧客に選ばれ続けるための最も重要な差別化要因となることは間違いありません。
まとめ
2025年のホテル業界は、単なる宿泊施設提供者から、文化、歴史、そして人間の感情に深く関わる「体験創造者」へとその役割を拡大しています。Six Senses Romeの事例は、歴史的建造物の運営において、その地の「心」を大切にし、サステナビリティ、地域共生、ウェルネス、そして感情的なホスピタリティを深く追求することが、いかにブランド価値を高め、長期的な成功に繋がるかを示しています。
ホテル運営者は、財務的な側面だけでなく、このような非テクノロジー的な価値に投資し、従業員一人ひとりがその哲学を共有できるよう、育成と文化醸成に努めるべきです。ゲストは、単なる快適さや豪華さだけでなく、そのホテルが持つ物語、そこで働く人々の情熱、そしてその地が育んできた文化に触れることで、真に記憶に残る体験を得ることができます。このような「心」のこもった運営こそが、激変するホテル業界において、持続可能な成長と競争優位性を確立するための羅針盤となるでしょう。
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