はじめに:ホテルは「泊まる場所」から「旅の目的地」へ
単に宿泊機能を提供するだけのハコモノとしてのホテルは、もはや過去の遺物となりつつあります。現代の旅行者が求めるのは、その土地ならではの体験と、心に残る物語です。この潮流を象徴するようなニュースが、森トラスト株式会社のプレスリリースから発表されました。
森トラスト ホテル&リゾート事業のご紹介 | 森トラスト株式会社のプレスリリース
この発表で語られているのは、単なるホテル開発計画ではありません。それは、「各地域の特性を活かし、国内外から旅の目的地として選ばれるホテルづくり」という、明確な思想に基づいた事業戦略です。大手デベロッパーが打ち出すこの方針は、これからのホテル業界が向かうべき未来を力強く指し示しています。本記事では、この森トラストの戦略を深掘りし、あらゆる規模のホテルが「目的地」となるために何をすべきか、そのヒントを探ります。
「デスティネーション・ホテル」という概念の本質
森トラストの戦略の核心は、「デスティネーション(目的地)・ホテル」という概念に集約されます。これは、ホテルそのものが旅行の主目的となるような、強い引力を持つ存在を目指す考え方です。なぜ今、この概念が重要なのでしょうか。
1. 価値観のシフト:モノ消費からコト消費へ
旅行者の価値観は、高価なものを所有する「モノ消費」から、そこでしか得られない体験を重視する「コト消費」へと大きくシフトしました。特にミレニアル世代やZ世代といった若い層は、SNSで共有できるようなユニークな体験に価値を見出します。ありふれた客室やサービスでは、もはや彼らの心を掴むことはできません。その土地の文化や自然と深く結びついた、唯一無二の体験こそが求められています。
2. 市場の成熟とコモディティ化
国内外のホテルブランドが乱立し、市場は飽和状態にあります。特に都市部では、似たようなスペックのホテルが価格競争を繰り広げる「コモディティ化」が深刻です。この消耗戦から抜け出すには、「価格」以外の明確な差別化要因が不可欠です。ホテルがその地域ならではの魅力を取り込み、独自の物語を紡ぐことで、価格競争とは無縁の独自のポジションを築くことができます。
3. 地域経済への貢献という新たな使命
ホテルはもはや、地域から独立した存在ではいられません。森トラストが「地域経済の活性化や各地域の伝統・文化の保存に寄与する」と明言しているように、ホテルには地域社会と共生し、その魅力を高める「ハブ」としての役割が期待されています。地域と連携し、新たな観光資源を創出することで、ホテル自身も持続的な成長を遂げることができるのです。この視点は、当ブログの過去記事「ラブローカル」が鍵。ホテルが街の「HUB」になる新戦略でも論じた通り、今後のホテル戦略の根幹をなすものです。
「目的地化」を実現する3つのアプローチとDXの役割
では、具体的にホテルを「目的地化」するためには、どのようなアプローチが考えられるのでしょうか。そして、そこにテクノロジー(DX)はどのように貢献できるのでしょうか。
1. コンテンツの造成:地域資源の再発見と編集
「目的地化」の第一歩は、ホテルが立地する地域の資源を深く理解し、それを魅力的なコンテンツとして「編集」することです。
例えば、ただ地元の食材を使うだけでなく、生産者である農家と提携し、収穫体験やシェフとの料理教室をアクティビティとして提供する。あるいは、地域の伝統工芸の職人を招き、宿泊者限定のワークショップを開催する。重要なのは、単にモノを並べるのではなく、その背景にある物語や人の想いを体験としてデザインすることです。こうした体験は、ゲストにとって忘れられない思い出となり、ホテルの強力な付加価値となります。
DXの活用ポイント:
ここでDXが果たす役割は、パーソナライゼーションです。CRMシステムを活用して顧客データを分析し、ゲストの興味関心に合わせた体験コンテンツを提案する。例えば、過去にワインを楽しんだゲストには、近隣ワイナリーの特別ツアーを自動でレコメンドするなど、データに基づいた「おもてなし」が可能になります。
2. コミュニティの形成:人と人、人と地域を繋ぐ場
ホテルは、宿泊者同士、あるいは宿泊者と地域の人々が交流するコミュニティの拠点となり得ます。例えば、ロビーやラウンジを単なる待合スペースではなく、地域のアーティストの作品を展示するギャラリーや、地元のキーパーソンを招いたトークイベントの会場として活用する。これにより、ゲストは旅行者としてだけでなく、地域コミュニティの一員として滞在を楽しむことができます。こうした交流から生まれる偶発的な出会いや発見こそ、旅の醍醐味であり、リピート利用の強い動機付けとなります。
DXの活用ポイント:
ホテル独自のアプリやSNSコミュニティを運営し、タビマエからタビアトまでゲストとのエンゲージメントを維持します。イベントの告知や参加者募集、滞在後の体験の共有などを通じて、ゲストとホテル、ゲスト同士の繋がりを深め、ロイヤリティの高いファンコミュニティを育成することが可能です。
3. ストーリーテリング:体験価値を伝える情報発信
どれだけ素晴らしいコンテンツやコミュニティがあっても、その魅力が伝わらなければ意味がありません。ホテルの持つ独自の物語や世界観を、一貫性のあるメッセージとして発信し続ける「ストーリーテリング」が不可欠です。なぜこの地でホテルを営むのか、どのような体験を提供したいのか。その情熱的な物語は、ゲストの共感を呼び、ブランドへの愛着を育みます。
DXの活用ポイント:
自社サイトやSNSは、ストーリーテリングの最も重要な舞台です。美しい写真や動画、スタッフの想いを綴ったブログなどを通じて、ホテルの世界観を多角的に伝えます。特に、実際に滞在したゲストが発信するUGC(User Generated Content)は、何よりも雄弁な物語となります。ハッシュタグキャンペーンなどを通じてUGCの創出を促し、それを戦略的に活用することで、信頼性の高いストーリーを拡散させることができます。
まとめ:すべてのホテルに「目的地」となる可能性がある
森トラストが示す「目的地として選ばれるホテルづくり」という戦略は、資本力のある大手だけの特権ではありません。むしろ、地域に深く根ざした小規模なホテルほど、その土地ならではのユニークな物語を紡ぎやすいと言えるでしょう。重要なのは、自らのホテルの存在意義を問い直し、地域社会における役割を再定義することです。
私たちのホテルは、ゲストに何を提供できるのか。この地域に、どのように貢献できるのか。その問いに対する真摯な答えこそが、ホテルの揺るぎない個性となり、ゲストを惹きつける引力となります。テクノロジーを賢く活用し、地域との共創を深めることで、すべてのホテルが「旅の目的地」となるポテンシャルを秘めているのです。2025年以降のホテル業界において、この視点を持つか持たないかが、企業の未来を大きく左右することは間違いないでしょう。
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