なぜ、あなたのホテルは「選ばれない」のか?採用ミスマッチを防ぐエンプロイヤー・ブランディング戦略

宿泊業での人材育成とキャリアパス

なぜ、あなたのホテルは「選ばれない」のか?

ホテル業界は今、深刻な人手不足という大きな課題に直面しています。インバウンド需要の急回復に現場が追いつかず、採用活動に奔走する人事担当者の方も多いのではないでしょうか。しかし、ただ採用人数を増やすだけでは、問題は解決しません。厚生労働省の調査によると、2022年の宿泊業・飲食サービス業の離職率は25.6%と、依然として全産業で最も高い水準にあります。この数字は、多くのホテルが「選ばれる職場」になれていないという厳しい現実を突きつけています。詳しくは、過去の記事「離職率25.6%の衝撃。ホテルが「選ばれる職場」になるための新常識」でも掘り下げています。

問題の根源は、採用活動と入社後の現実との間に横たわる「ミスマッチ」にあります。先日、総合人材サービス企業のランスタッド株式会社が日本ホテル協会のトップセミナーで「従業員にとっての『今』の価値観を捉えた人材採用と定着」について講演したというニュースは、この問題を考える上で非常に示唆に富んでいます。現代の働き手、特にZ世代やミレニアル世代が仕事に求める価値観は、かつてのそれとは大きく変化しています。この変化を捉えきれないまま、旧来の採用手法を続けていては、ミスマッチは増える一方です。

本記事では、採用段階から定着率の向上を見据え、自社を「選ばれる職場」へと変革するための戦略、「エンプロイヤー・ブランディング」について、具体的なアクションプランと共に掘り下げていきます。

「憧れ」だけでは響かない。Z世代がホテルに求める「リアル」

かつて、ホテル業界は「華やか」「一流」「おもてなしのプロフェッショナル」といったイメージが強く、多くの若者にとって「憧れの職場」でした。しかし、その「憧れ」だけで人材を惹きつけられた時代は終わりを告げつつあります。現代の、特にZ世代と呼ばれる若者たちは、企業を選ぶ際に、より現実的で多角的な視点を持っています。彼らが重視する価値観を理解しないままでは、採用メッセージは空振りに終わってしまうでしょう。

彼らが企業に求める主な価値観は、以下のように整理できます。

  • 透明性 (Transparency): 企業の美辞麗句だけでなく、仕事の厳しさや課題、バックヤードのリアルな姿も含めた、ありのままの情報を求めています。ポジティブな情報だけの発信は、かえって不信感につながります。
  • 成長機会 (Growth Opportunity): 入社後にどのようなスキルが身につき、どのようなキャリアを歩めるのか、具体的な道筋を重視します。体系的な研修制度や、多様な経験を積めるジョブローテーションの仕組みは、大きな魅力となります。この点については、「「点」の経験を「線」にする。ホテルのジョブローテーションをキャリアの武器に変える思考法」でも詳しく解説しています。
  • 働きがいと貢献 (Purpose & Contribution): 自分の仕事が単なる作業ではなく、顧客や社会にどのような価値を提供しているのかを実感したいと考えています。企業の理念やビジョンへの共感が、働くモチベーションに直結します。
  • ワークライフバランス (Work-Life Balance): プライベートな時間を犠牲にして働くことを良しとしません。長時間労働の是正や、柔軟なシフト制度、有給休暇の取得しやすさなど、健全な労働環境が前提条件となります。
  • 心理的安全性 (Psychological Safety): 自分の意見を安心して発言でき、失敗を過度に恐れることなく挑戦できる組織文化を求めます。風通しの良い人間関係や、オープンなコミュニケーションが不可欠です。職場の心理的安全性は、定着率を左右する重要な要素です。

これらの価値観を無視し、「やりがい」や「伝統」といった曖昧な言葉だけで採用活動を行うことは、入社後の「こんなはずではなかった」というギャップを生み出す最大の原因となります。

エンプロイヤー・ブランディング:ホテルの「働く価値」を再定義し、発信する

そこで重要になるのが、「エンプロイヤー・ブランディング」という考え方です。これは、自社を「従業員にとって魅力的な雇用主(Employer)」としてブランド化し、その価値を社内外に戦略的に発信していく活動を指します。顧客に対して自社の魅力を伝えるマーケティング活動と同様に、採用候補者や従業員に対しても「このホテルで働くことの独自の価値」を伝え、共感を醸成していくのです。

なぜ今、ホテル業界でエンプロイヤー・ブランディングが不可欠なのでしょうか。その理由は、人材獲得競争がもはや業界内に留まらないからです。柔軟な働き方や高い専門性を武器にする他業界も、同じ土俵で優秀な人材を奪い合っています。また、SNSの普及により、現役社員や元社員による企業の「生の声」は瞬時に拡散されます。ネガティブな評判は、どんなに美しい採用パンフレットよりも強い影響力を持ちます。ミスマッチによる早期離職は、採用コストや教育コストを無駄にするだけでなく、現場の士気低下にも繋がります。

エンプロイヤー・ブランディングを推進するステップは以下の通りです。

  1. EVP (Employee Value Proposition) の明確化: まず、「なぜ、数あるホテルの中から、私たちのホテルで働くべきなのか?」という問いに明確に答えられる「独自の価値提案」を定義します。これは、給与や福利厚生といった条件面だけでなく、得られる成長機会、独自の組織文化、仕事のやりがい、社会への貢献度など、従業員がその企業で働くことで得られる価値の総体を指します。
  2. ターゲット人材のペルソナ設定: どのような価値観やスキルを持った人材に仲間になってほしいのか、その人物像(ペルソナ)を具体的に描きます。ペルソナが何を重視し、どのような情報に触れているかを理解することで、より効果的なメッセージを発信できます。
  3. 情報発信チャネルの最適化: 定義したEVPを、設定したペルソナに届けるための最適なチャネルを選定します。自社の採用サイトはもちろん、SNS(Instagram, X, LinkedInなど)、社員インタビューを掲載したブログ、職場の雰囲気を伝える動画コンテンツなど、多角的なアプローチが求められます。

採用ミスマッチを防ぐ具体的なアクションプラン

エンプロイヤー・ブランディングの考え方に基づき、人事担当者が明日からでも着手できる具体的なアクションプランをいくつかご紹介します。

1. 採用サイトの徹底的な「正直」化

採用サイトは、候補者が最初に深く企業を知るための重要な入り口です。ホテルの華やかな側面だけでなく、バックヤードでの地道な作業や、時には厳しい現実も正直に伝えましょう。例えば、「お客様の笑顔の裏には、膨大な量の洗濯物と緻密な清掃スケジュールがあります」といったリアルな情報開示は、候補者の覚悟を促し、入社後のギャップを減らします。また、画一的なキャリアパスだけでなく、フロントからマーケティングへ異動した社員や、育児と両立しながら活躍する女性支配人など、多様なキャリアを歩む社員のインタビューを掲載することも有効です。これは、候補者が自身の未来を具体的に描く手助けとなります。多様なキャリアの可能性については、「「越境」がホテリエの価値を高める。業界の壁を越えるキャリア戦略」でも触れています。

2. 選考プロセスに「相互理解」の場を設ける

面接は、企業が候補者を見極める場であると同時に、候補者が企業を見極める場でもあります。一方的な質疑応答に終始するのではなく、相互理解を深めるための工夫を取り入れましょう。例えば、現場の若手社員とのカジュアルな座談会を設定し、候補者が本音で質問できる機会を設ける、あるいは半日程度の職場見学ツアーを組み込み、実際のオペレーションの様子を見てもらうといった方法が考えられます。面接においては、スキルや経験だけでなく、自社の価値観や文化と候補者の価値観がどれだけ一致するか、いわゆる「カルチャーフィット」を重視した質問を投げかけることが重要です。詳しくは「「カルチャー採用」が鍵。辞めない組織を作る、次世代ホテル人材戦略」の記事も参考にしてください。

3. オンボーディング・プログラムの再設計

採用はゴールではなく、定着に向けたスタートラインです。入社後の数ヶ月間は、新入社員が最も不安を感じ、ギャップに苦しむ時期。この期間をいかにサポートするかが、早期離職を防ぐ鍵となります。単なる業務マニュアルの読み合わせで終わる研修ではなく、企業の歴史や理念を共有するセッション、他部署の業務を体験する機会、年の近い先輩が相談役となるメンター制度、そして上司との定期的な1on1ミーティングなどを組み合わせ、新入社員が組織にスムーズに溶け込み、孤立しないための包括的なプログラムを設計しましょう。

採用ブランディングがもたらす、定着率向上とその先の未来

エンプロイヤー・ブランディングへの投資は、短期的な採用数の増加だけでなく、長期的で持続可能な組織成長の基盤を築きます。

採用ミスマッチが減少すれば、早期離職率は自然と低下し、それに伴い採用や再教育にかかるコストも大幅に削減できます。自社の価値観に共感して入社した従業員は、エンゲージメントが高く、仕事への誇りを持って質の高いサービスを提供するようになります。その結果、顧客満足度が向上し、ホテルの評判も高まるという好循環が生まれます。

そして何より、「あのホテルは、従業員を大切にしている」「成長できる環境がある」というポジティブな評判は、新たな広告塔となり、優秀な人材を自然と惹きつけるようになります。これは、単なる人事戦略に留まらず、従業員体験(EX)を向上させ、ひいてはホテル全体のブランド価値を高める経営戦略そのものなのです。EXの重要性については、「「顧客視点」を従業員へ。EX(従業員エクスペリエンス)が創る、選ばれるホテルの条件」で詳しく論じています。

人手不足という課題は、裏を返せば、自社の「働き方」や「組織のあり方」を見つめ直す絶好の機会です。なぜ、私たちのホテルは「選ばれない」のか。その問いに向き合い、自社ならではの「働く価値」を再定義し、それを誠実に発信し続けること。それこそが、不確実な時代を乗り越え、未来のホテル業界を担う人材から「選ばれる」ための、唯一の道筋ではないでしょうか。

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