「個」の力だけでは勝てない。ホテリエのキャリアを加速させる「巻き込み力」の重要性

宿泊業での人材育成とキャリアパス

はじめに:最高の「おもてなし」は、一人では決して生まれない

ホテル業界への就職や転職を考えている皆さん、そして既にホテリエとしてキャリアを歩み始めた皆さん。この世界に飛び込むとき、多くの人が「最高のおもてなしを提供したい」「お客様の笑顔を直接見たい」という熱い想いを抱いていることでしょう。その想いは、ホテリエにとって最も大切な原動力です。

しかし、キャリアを重ねる中で、多くの人が一つの壁に突き当たります。それは、「個人のスキルだけでは、提供できる価値に限界がある」という現実です。一人のスーパープレイヤーがいるだけでは、ホテルという巨大な客船を動かすことはできません。フロント、レストラン、宴会、調理、客室清掃、セールス、マーケティング、管理部門…。これら無数のプロフェッショナルたちが、まるでオーケストラのように連携して初めて、お客様の心を揺さぶるような感動的な体験が生まれるのです。

そこで今回は、これからのホテリエに不可欠な「巻き込み力」というスキルに焦点を当ててみたいと思います。これは単なるコミュニケーション能力とは一線を画す、あなたのキャリアを大きく飛躍させる可能性を秘めた力です。業界の先輩として、少しでも皆さんのキャリア形成のヒントになれば幸いです。

ホテリエの「巻き込み力」とは何か?

「巻き込み力」と聞くと、リーダーシップやプレゼンテーション能力のような、人をぐいぐい引っ張っていく姿を想像するかもしれません。しかし、ホテルにおける「巻き込み力」は、それだけではありません。

一言で言えば、「共通の目標(=お客様の満足)のために、部署や役職の垣根を越えて、周囲から主体的な協力を引き出す力」です。それは、力強いリーダーシップだけでなく、相手への深い理解と敬意、そして丁寧なコミュニケーションに裏打ちされた、しなやかなスキルセットと言えるでしょう。

なぜ、この力がホテル業務でそこまで重要なのでしょうか。具体例を挙げてみましょう。

  • 事例1:リピーターゲストへのサプライズ
    フロントスタッフが、毎年結婚記念日に宿泊されるお客様の情報をキャッチ。ただ部屋を用意するだけでなく、レストラン部門に「お客様の好きな食材を使った特別なデザートを用意できないか」、客室部門に「お祝いのメッセージカードと小さな花束を部屋に置けないか」と働きかけます。各部署が快く協力してくれた結果、お客様は想像以上の歓迎に深く感動し、ホテルの大ファンになりました。
  • 事例2:急な大規模宴会の受注
    セールス部門が、急遽舞い込んだ大規模な国際会議の案件を獲得。しかし、準備期間はわずか。セールス担当者は、宴会運営、調理、宿泊、音響、警備など、関連する全部門のキーパーソンをすぐに集め、案件の重要性と成功した場合のインパクトを熱心に説明。各部署が「これはホテル全体の挑戦だ」と捉え、知恵を出し合い、セクションの壁を越えて協力したことで、不可能と思われたイベントを大成功に導きました。

これらの事例に共通するのは、誰か一人が頑張ったのではなく、一人の働きかけをきっかけに、多くのスタッフが「自分ごと」として捉え、自発的に協力している点です。これが「巻き込み力」の本質です。お客様の多様化・複雑化するニーズに応え、感動的な体験を創出するためには、組織の総合力が不可欠であり、その触媒となるのが「巻き込み力」なのです。

キャリアステージで進化する「巻き込み力」の鍛え方

「巻き込み力」は、キャリアの初期段階から意識的に育てていくことができるスキルです。ここでは、ステージごとにその鍛え方を見ていきましょう。

ステージ1:若手・新人時代(入社1〜3年目)

この時期は、何よりもまず「信頼残高」を貯めることが重要です。周囲から「あの人に頼めば、きちんとやってくれる」と思われることが、巻き込み力の土台となります。

1. 自分の仕事を完璧にこなす:当たり前のことですが、これが全ての基本です。まずは与えられた持ち場で120%のパフォーマンスを発揮し、プロフェッショナルとしての信頼を勝ち取りましょう。

2. 他部署の仕事に興味を持つ:自分の部署の仕事だけでなく、ホテル全体がどのように機能しているのかを理解しようと努めましょう。例えば、フロントにいながらも、バックオフィスの経理や人事の役割を知る、レストランの仕込みの流れを学ぶなど、好奇心を持つことが大切です。可能であれば、ジョブローテーションの機会なども積極的に活用しましょう。

3. 「Why」を伝える習慣をつける:他部署に何かを依頼する際、「〇〇してください」という「What」だけでなく、「なぜなら、お客様が△△を望んでいるからです」という「Why(目的・背景)」を必ずセットで伝えましょう。理由がわかるだけで、相手の仕事へのモチベーションは大きく変わります。

4. 感謝を具体的に伝える:協力してもらった後は、「ありがとうございました」の一言で終わらせず、「〇〇さんが急いで対応してくれたおかげで、お客様が『また来ます』と言ってくれました。本当に助かりました」など、結果と感謝を具体的にフィードバックしましょう。この積み重ねが、次の協力を生み出します。

ステージ2:中堅・チームリーダー時代(入社4〜8年目)

個人の信頼だけでなく、チームや部署を代表して他部署と連携する場面が増えてきます。より視野を広げ、調整役としての役割が求められます。

1. 部署を越えたプロジェクトに飛び込む:ホテルの季節装飾チーム、社内イベントの企画、新しいサービスの導入プロジェクトなど、部署横断のタスクフォースに積極的に手を挙げましょう。公式な場で他部署のキーパーソンと協業する経験は、非公式な場での協力関係にも繋がります。

2. 他部署の「痛み」を理解する:自分の部署の都合だけを押し付けるのではなく、相手の部署が抱える課題や繁忙期、人員体制などを理解しようと努めましょう。相手の状況を配慮した上で提案することで、「この人は分かってくれている」という信頼感が生まれます。時には、交渉力を駆使し、お互いにとってメリットのある着地点(Win-Win)を探る姿勢が重要です。

3. 小さな成功体験を共有する:部署間で連携してうまくいった事例があれば、それを朝礼やミーティングなどで積極的に共有しましょう。「フロントとレストランの連携で、お客様からこんなお褒めの言葉をいただきました」といったポジティブな情報共有は、組織全体の協力体制を強化する文化を育みます。

この時期に発揮する力は、若手が発揮すべきリーダーシップそのものであり、将来のマネージャーへの試金石となります。

ステージ3:管理職・マネジメント層

このステージでは、個別の事案を調整するだけでなく、ホテル全体のビジョンを示し、組織全体を同じ方向に動かしていく、より高度な巻き込み力が求められます。

1. ビジョンで巻き込む:「私たちのホテルが目指すのは、ただ快適なだけでなく、お客様の人生に寄り添う感動を提供する場所です」といった、魅力的で共感を呼ぶビジョンを語り、全部署のスタッフが「その実現のために自分は何ができるか」を考えられるように導きます。

2. データで巻き込む:各部署の利害が対立する場面では、感情論ではなく客観的なデータを用いて説明責任を果たすことが重要です。例えば、計数管理能力を活かし、顧客満足度調査のデータや収益データを示しながら、「この施策に投資することが、なぜホテル全体の利益に繋がるのか」を論理的に説得します。

3. 外部を巻き込む:視野をホテルの中だけでなく、外にも広げます。ホテルのオーナー、地域の観光協会(DMO)、取引先企業、近隣住民など、多様なステークホルダーと良好な関係を築き、彼らを巻き込みながらホテル、ひいては地域全体の価値を向上させるような大きな戦略を描き、実行していきます。

「巻き込み力」は、あなたの市場価値を劇的に高める

「巻き込み力」を意識的に磨くことは、あなたのホテリエとしてのキャリアに計り知れないほどの好影響をもたらします。

まず、複雑な課題や前例のないリクエストに対しても、多様な専門家たちの協力を得て解決に導けるため、「問題解決能力」が高い人材として社内で際立った存在になります。また、部署を越えた強力な人脈は、思わぬキャリアチャンスを引き寄せてくれるかもしれません。

そして何より、このスキルはマネジメントへの道を開く上で不可欠です。チームや部署を率い、成果を出すためには、メンバーや他部署を巻き込み、一つの方向に導く力が絶対に必要だからです。総支配人をはじめとする経営層は、卓越した「巻き込み力」の持ち主であると言っても過言ではありません。

おわりに

ホテリエの仕事は、華やかに見えて地道なことの連続です。しかし、その一つ一つの仕事は、必ず他の誰かの仕事に繋がっています。自分の仕事が、誰かの仕事を支え、その連鎖の先に、お客様の「ありがとう」がある。そのダイナミズムを感じられることこそ、ホテルで働くことの醍醐味の一つです。

個人の専門スキルを磨き続けることはもちろん大切です。それに加えて、ぜひ明日から「周囲を巻き込む」という視点を持って仕事に取り組んでみてください。隣の部署の同僚に、普段より一歩踏み込んで声をかけてみる。自分の仕事の目的を、少しだけ丁寧に説明してみる。そんな小さな一歩が、あなたのホテリエとしての未来を、より豊かで大きなものへと変えていくはずです。

この記事が、皆さんの輝かしいキャリアの一助となることを心から願っています。

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