価格高騰のジレンマ。日本人客を失うホテル、選ばれるホテルの分岐点

ホテル業界のトレンド

好景気の裏で起きている「静かなる顧客離れ」

2025年、ホテル業界はインバウンド観光客の完全回復に沸き、客室単価は過去最高水準を更新し続けています。多くのホテルにとって、まさに我が世の春と言える状況かもしれません。しかし、その華やかな光の裏で、深刻な影が忍び寄っていることにお気づきでしょうか。

先日、こんな衝撃的なニュースが話題となりました。

参考記事:ビジホの料金は「かつてのシティホテル並み」に。“コンビニ泊”は「ホテルから押し出された日本人旅行者」の受け皿になるか(週刊SPA!) – Yahoo!ニュース

この記事が示すのは、インバウンド需要に牽引された価格高騰の波から、日本人旅行者が弾き出されているという厳しい現実です。かつて手頃な価格で利用できたビジネスホテルは、今や出張族や国内のレジャー客にとって高嶺の花となりつつあります。結果として「コンビニ泊」や「ネットカフェ泊」といった、本来想定されていなかった代替手段に人々が流れ始めているのです。

これは単なる「顧客単価の上昇」というポジティブな側面だけでは語れない、日本のホテル業界が直面する構造的なジレンマです。今回はこの問題の根源を深掘りし、ホテルが今後取るべき戦略について考察します。

なぜホテル価格は高騰し続けるのか?

まず、なぜこれほどまでに宿泊価格が高騰しているのか、その要因を整理してみましょう。理由は一つではなく、複数の要素が複雑に絡み合っています。

1. 爆発的なインバウンド需要と円安

最大の要因は、言うまでもなくインバウンド需要の急回復です。特に円安は海外からの旅行者にとって強力な追い風となり、日本の宿泊施設は「高品質なのに割安」という魅力的な商品になりました。彼らにとっては、日本のホテルが1泊2万円、3万円に値上がりしても、自国の物価に比べれば依然としてリーズナブルです。この旺盛な需要が、価格全体を押し上げる強力なエンジンとなっています。

2. あらゆる運営コストの上昇

需要側だけでなく、供給側にも価格を上げざるを得ない事情があります。光熱費、リネン代、食材費、アメニティなど、ホテル運営に関わるあらゆるコストが上昇しています。これらのコスト増を吸収し、利益を確保するためには、価格への転嫁は避けられない選択です。

3. 深刻な人手不足と人件費の高騰

ホテル業界は、コロナ禍で多くの人材が流出した影響から、今なお深刻な人手不足に喘いでいます。少ない人材を確保するためには、賃金水準の引き上げが不可欠です。この人件費の上昇圧力も、宿泊価格に直接的に反映されています。人手不足の問題は、単なるコスト増だけでなく、サービスの質を維持する上でも大きな課題となっています。詳細については、当ブログの過去記事人手不足の「次」の危機。ホテル業界を揺るがす2024年問題とは?でも詳しく解説しています。

4. ダイナミックプライシングの普及

テクノロジーの進化も価格高騰の一因です。多くのホテルが導入するダイナミックプライシングは、需要と供給に応じてリアルタイムに価格を変動させ、収益を最大化する仕組みです。AIが需要を予測し、自動的に最適な価格を設定するため、需要が集中する時期には価格が青天井に上昇しやすくなっています。

失われる国内需要という、静かなる時限爆弾

インバウンド需要に乗り、収益が最大化されている今、国内需要の取りこぼしを「些細な問題」と捉える経営者もいるかもしれません。しかし、これは将来の経営基盤を揺るがしかねない、静かなる時限爆弾です。

「お得意様」を失うことの代償

ホテルにとって、安定した収益をもたらしてくれる国内のビジネス客やリピーターは、経営の生命線でした。しかし、彼らが現在の価格高騰によって離れてしまった場合、簡単には戻ってきません。一度「高くて泊まれないホテル」「自分たちのためのホテルではない」という認識が定着すれば、たとえ将来価格が落ち着いたとしても、顧客の心は戻らないでしょう。ロイヤルティの再構築には、失う以上のコストと時間がかかります。顧客との長期的な関係構築の重要性については、「お得意様」を育てる技術。ホテルロイヤルティプログラムの再発明の記事もご参照ください。

インバウンド依存の脆弱性

現在の好景気が、不安定な国際情勢や為替の変動といった外的要因に大きく依存していることを忘れてはなりません。パンデミック、国際紛争、急激な円高など、たった一つの要因でインバウンド需要は一瞬にして冷え込みます。その時、支えとなるべき国内需要が失われていたらどうなるでしょうか。コロナ禍で多くのホテルが国内のマイクロツーリズムに活路を見出した教訓を、私たちはもう一度思い出す必要があります。

国内観光市場の縮小リスク

「ホテルが高いから日帰りにしよう」「旅行自体をやめよう」という動きが広がれば、それは個々のホテルの問題にとどまらず、地域経済や日本の観光産業全体の地盤沈下につながります。ホテルは単なる宿泊施設ではなく、地域観光の核となる存在です。そのホテルが国民から遊離してしまえば、観光立国としての持続可能性そのものが問われることになります。

価格高騰時代を生き抜くための4つの戦略

では、この困難な状況を乗り越え、持続的な成長を遂げるために、ホテルは何をすべきでしょうか。4つの戦略的視点を提案します。

1. ターゲットの再定義と価値の再構築

もはや「すべてのお客様へ」という八方美人な戦略は通用しません。自社のホテルが「誰のために存在するのか」を改めて問い直し、ターゲット顧客を明確に定義する必要があります。インバウンド富裕層に特化するならば、価格に見合うだけの特別な体験価値や、きめ細やかなパーソナライズを提供しなくてはなりません。一方で、国内顧客を大切にするならば、価格競争に陥るのではなく、「定額の出張費でも快適に過ごせる」「家族旅行の思い出作りをサポートする」といった、彼らのニーズに寄り添った価値を再構築することが求められます。

2. OTA依存からの脱却とダイレクトマーケティングの強化

OTA(Online Travel Agent)経由の予約は、不特定多数のインバウンド客には有効ですが、価格が高騰しやすく、手数料もかかります。今こそ、自社予約サイトや公式アプリを強化し、ダイレクトマーケティングに注力すべきです。自社チャネルであれば、国内顧客向けの限定プランや、リピーター向けの特典など、柔軟な価格戦略を展開できます。CRM(顧客関係管理)ツールを活用して顧客データを分析し、パーソナライズされたアプローチで優良顧客を囲い込む戦略が不可欠です。詳しくはOTA依存からの脱却。ホテルが自社予約比率を高めるべき理由と実践的戦略でも論じています。

3. 収益源の多様化によるリスク分散

宿泊収益への一本足打法経営は、需要変動のリスクを直接的に受けます。レストランやバーといったF&B部門の強化はもちろん、宴会場や客室をデイユースのコワーキングスペースとして提供する、地域住民向けのイベントを開催するなど、宿泊に依存しない収益の柱を複数育てることが、経営の安定化に繋がります。これにより、宿泊需要が落ち込んだ際にも耐えうる、しなやかな経営体質を構築できます。この点については「宿泊」に頼らない収益構造へ。ホテルF&B部門をプロフィットセンターに変える戦略でさらに詳しく解説しています。

4. DXによる徹底的な生産性向上

上昇し続けるコストを吸収し、価格競争力を維持するためには、テクノロジーを活用した生産性向上が急務です。スマートチェックイン/アウトシステム、清掃ロボット、AIチャットボットによる問い合わせ対応、RPAによるバックオフィス業務の自動化など、投資すべき分野は多岐にわたります。DXによって創出された余力を、人でなければできない「おもてなし」や「新たな価値創造」に振り向けることが、これからのホテル経営の鍵となります。

まとめ:ホテルの「哲学」が問われる時代へ

現在の宿泊価格高騰は、ホテル業界に大きな利益をもたらしている一方で、その足元を支えてきた国内顧客との間に深い溝を生み出しています。このジレンマにどう向き合うか。それは、単なる経営戦術の問題ではなく、自社のホテルが社会においてどのような存在でありたいのかという「哲学」そのものが問われていると言えるでしょう。

目先の利益を追い求めるのか、それとも長期的な視点で顧客との信頼関係を築くのか。インバウンドという追い風が吹く今だからこそ、一度立ち止まり、自社の進むべき針路を慎重に見定める必要があります。この分岐点が、数年後の「選ばれるホテル」と「忘れ去られるホテル」を分けることになるのかもしれません。

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