はじめに:なぜ今、ホテルにとって「MICE」が重要なのか?
インバウンド観光の本格的な回復とともに、日本のホテル業界は新たな成長フェーズに突入しています。円安を背景としたレジャー客の増加が注目される一方で、もう一つの巨大な収益機会として再び脚光を浴びているのが「MICE(マイス)」市場です。MICEとは、Meeting(企業等の会議)、Incentive Travel(報奨・研修旅行)、Convention(国際会議)、Exhibition/Event(展示会・イベント)の頭文字を取った造語で、ビジネスイベントの総称を指します。
コロナ禍でオンライン開催への移行が進みましたが、リアルなコミュニケーションの価値が再認識され、対面・ハイブリッド形式での需要が力強く回復しています。MICEは、一般的な観光客とは異なり、平日の稼働率向上、高い顧客単価、そして飲食や宴会といった付帯施設の売上を最大化する上で極めて重要な役割を果たします。さらに、企業の意思決定者や有力者が参加することも多く、成功したイベントはホテルのブランド価値向上や将来の優良顧客獲得に直結します。
しかし、MICEの誘致競争は激化しており、単に会場を貸し出すだけの旧来型ビジネスモデルでは勝ち抜けません。本記事では、2025年以降のホテル業界においてMICEを収益の太い柱に育てるため、デジタル技術を駆使した次世代のイベント戦略について深掘りします。
MICE市場の最新動向とホテルが狙うべきターゲット
MICE市場は、コロナ禍を経て大きな変革を遂げました。その最も大きな変化が「ハイブリッド開催」の一般化です。リアル会場とオンラインを組み合わせることで、地理的な制約なく参加者層を拡大できるメリットがあり、主催者側もこの形式を積極的に採用しています。ホテル側は、高品質な映像配信設備や安定した高速インターネット環境といったテクノロジーインフラの整備が不可欠となっています。
また、イベントの目的も多様化しています。単なる情報共有の場から、チームビルディング、イノベーション創出、従業員エンゲージメント向上といった、より体験価値を重視する傾向が強まっています。特に、企業のオフサイトミーティングやインセンティブ旅行では、その土地ならではの文化体験や特別なアクティビティを組み込んだユニークなプランが求められます。
ホテルがMICE誘致で成功するためには、自社の強みを理解し、ターゲットを明確に設定することが第一歩です。
1. 企業ミーティング・研修
最も取り組みやすいターゲットです。規模は数名から数百名まで様々。特に、経営合宿や部門のキックオフミーティングなど、集中できる環境と質の高いサービスが求められる場合にホテルは有力な選択肢となります。IT、製薬、金融業界などは研修・会議への投資に積極的です。
2. インセンティブ旅行
成績優秀な社員への報奨として行われる旅行です。参加者の満足度が最重要視されるため、ラグジュアリーな宿泊体験、特別な食事、ユニークなアクティビティの提供が鍵となります。これは、ラグジュアリーホテルが得意とする領域ですが、地域の特色を活かせば、あらゆるタイプのホテルにチャンスがあります。
3. 学会・小規模な国際会議
数百名規模の学会や協会ミーティングも有望なターゲットです。専門分野に特化したこれらの会議は、毎年定期的に開催されることが多く、安定したリピート需要が見込めます。大学や研究機関が集中する都市部のホテルにとって特に重要です。
これらのターゲットに対し、画一的なアプローチは通用しません。各セグメントのニーズを深く理解し、パーソナライズされた提案を行うことが、OTAに依存しない直接契約を獲得する鍵となります。
MICE誘致を加速させるBtoBデジタルマーケティング戦略
MICEの顧客は法人であり、その意思決定プロセスは個人旅行とは大きく異なります。したがって、マーケティングもBtoB(Business to Business)に特化したアプローチが必要です。DX(デジタルトランスフォーメーション)は、このBtoBマーケティングを効率化し、成果を最大化するための強力な武器となります。
1. MICE専用Webページの構築とコンテンツの充実
企業のイベント担当者が最初に情報を探すのはWebサイトです。ホテルの公式サイト内に、MICEに特化した魅力的なページを用意することが不可欠です。掲載すべき情報は以下の通りです。
- 会場のスペック情報:各会議室・宴会場の面積、天井高、収容人数(スクール形式、シアター形式などレイアウトごと)、利用可能な機材リストなどを詳細に記載します。
- 360°バーチャルツアー:写真だけでは伝わらない会場の雰囲気や広さを直感的に理解してもらうためのVRコンテンツは、遠方の担当者にとって非常に有効です。
- 導入事例・お客様の声:過去に実施されたイベントの成功事例を、主催者の許可を得て掲載します。「どのような課題を、当ホテルでどのように解決できたか」というストーリーは、強力な説得力を持ちます。
- モデルプランと料金体系:会議パッケージ、研修プランなど、目的別のモデルプランと概算料金を提示することで、担当者は予算感を掴みやすくなります。
- 専門スタッフの紹介:経験豊富なMICE担当者の顔写真やプロフィールを掲載し、相談しやすい体制をアピールします。
2. ターゲットにリーチするデジタル広告
Webサイトを構築したら、次に見込み客を呼び込む施策が必要です。BtoBでは、ビジネス向けSNSであるLinkedIn広告が有効です。特定の業界、役職、企業規模のユーザーに絞って広告を配信できるため、効率的に意思決定者にアプローチできます。また、Google広告でも「会議室 東京」「研修 ホテル」といったキーワードで検索しているユーザーに的を絞ってアプローチすることが重要です。
3. CRM/MAツールを活用した顧客管理とナーチャリング
問い合わせがあった見込み客の情報をExcelで管理する時代は終わりました。CRM(顧客関係管理)やMA(マーケティングオートメーション)ツールを導入し、顧客情報を一元管理しましょう。これにより、過去の問い合わせ履歴ややり取りを踏まえた上で、適切なタイミングでフォローアップメールを送ったり、新しいプランを提案したりといった、継続的な関係構築(ナーチャリング)が可能になります。
テクノロジーが変えるMICEの体験価値
マーケティングで誘致したイベントを成功に導き、リピートにつなげるためには、当日の「体験価値」が決定的に重要です。ここでもDXは、運営の効率化と参加者満足度の向上に大きく貢献します。
・シームレスなイベント体験の提供
イベント専用アプリを導入することで、参加者は手元のスマートフォンから最新の議題、登壇者情報、会場マップなどを確認できます。プッシュ通知で重要なアナウンスを届けたり、参加者同士のネットワーキングを促進する機能も搭載できます。また、QRコードを使ったスマートチェックインは、受付の混雑を解消し、スムーズなイベント開始を実現します。
・データに基づいた運営改善と次回提案
イベント中にアプリやWi-Fiの利用状況、各セッションの参加者数などのデータを収集・分析することで、イベント運営のボトルネックを発見し、改善につなげることができます。例えば、特定のセッションに人気が集中していれば、次回の会場レイアウトの参考にできます。イベント終了後、これらのデータ活用能力を活かして具体的な改善提案を行えば、主催者からの信頼を獲得し、次回の契約へとつながる可能性が高まります。
MICE成功の鍵を握る「人」と「組織」
どれだけ優れたテクノロジーを導入しても、それを使いこなし、顧客と向き合うのは「人」です。MICEビジネスを成功させるためには、専門性の高い人材と、部門の垣根を越えた連携が不可欠です。
MICEの営業やコーディネーションを担当するスタッフには、単なる接客スキルだけでなく、顧客の複雑な要望を汲み取り、社内外の関係者を調整しながらイベントを成功に導く高度なプロジェクトマネジメント能力が求められます。また、法人顧客との折衝には、ビジネスレベルの交渉力も欠かせません。
さらに、MICEは営業部門だけで完結するものではありません。宿泊、料飲、宴会調理、情報システム、マーケティングなど、ホテル内の全部門が連携し、一体となって主催者と参加者をサポートする体制がなければ、最高の体験は提供できません。サイロ化された組織を打破し、MICEという共通の目標に向かって協力する文化を醸成することが、持続的な成功の基盤となります。
まとめ
MICEは、ホテル業界にとって単なる「会議室ビジネス」から、体験価値を創出する「ソリューションビジネス」へと進化しています。インバウンドのレジャー需要が注目される今だからこそ、安定した収益基盤となるMICEに戦略的に投資することは、将来の経営を左右する重要な一手と言えるでしょう。
自社の強みを定義し、ターゲットを明確にした上で、DXを駆使したBtoBマーケティングを展開する。そして、テクノロジーと人の力を融合させ、参加者の期待を超えるイベント体験を創り出す。このサイクルを回し続けることが、激化する競争を勝ち抜き、「選ばれるホテル」となるための王道です。MICEという成長エンジンを手に入れ、ホテルの新たな可能性を切り拓いていきましょう。
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