はじめに:SNSで話題の「カップ麺のスープ問題」
先日、大阪市難波にある「ホテルビースイーツ」のTikTok投稿が話題を呼びました。それは、多くの宿泊客が一度は経験したことがあるであろう「客室で食べたカップ麺の残ったスープをどう処理するか」という問題提起です。洗面台に流すべきか、トイレに流すべきか、それとも…?この誰もが一度は抱いたことのある些細な、しかし共感性の高い悩みに光を当てたのです。
同ホテルは、この「あるある」な悩みに対して「スープを固める凝固剤を用意しているので、ぜひ使ってください」という解決策を提示しました。この一連の投稿は多くのユーザーから「神対応!」「これ本当に困ってた」「このホテル泊まりたい」といった絶賛のコメントを集め、大きな反響を呼びました。
本記事では、この事例を単なる「面白いバズ投稿」として片付けるのではなく、現代のホテルマーケティングにおける極めて重要な示唆を含んだ戦略として深掘りします。顧客が口に出すことのない「小さな不便」をいかに発見し、それを顧客満足とブランド価値の向上に繋げていくか。その具体的な手法とビジネスインパクトについて考察します。大規模な投資や派手な広告キャンペーンだけではない、顧客インサイト起点の新しいマーケティングの形が見えてくるはずです。
なぜ「小さな不便」への共感が強力な武器になるのか
ホテルビースイーツの事例が多くの人々の心を掴んだのはなぜでしょうか。その背景には、現代の消費者の心理を巧みに捉えたいくつかの要因があります。
1. 潜在的ニーズの可視化と共感の連鎖
カップ麺のスープ問題は、多くの人が「不便だ」と感じつつも、わざわざホテルにクレームを入れたり、改善を要求したりするほどではない「潜在的な不満」です。ホテル側がこの問題を先回りして取り上げ、解決策を提示したことで、顧客は「そうそう、それ困ってた!」「自分の気持ちを分かってくれている」という強い共感と親近感を抱きます。この共感は、いいねやシェア、コメントといった形でSNS上に拡散され、UGC(User Generated Contents/ユーザー生成コンテンツ)のポジティブな連鎖を生み出します。結果として、広告費をかけずともホテルの認知度と好感度が飛躍的に向上するのです。
2. サイレントマジョリティへのアプローチ
顧客の中には、不満があってもそれを表明しない「サイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)」が大多数を占めます。彼らは不満を口にしない代わりに、静かにそのホテルから離れ、二度と利用しないという選択をします。しかし、「小さな不便」を解消する姿勢を見せることは、このサイレントマジョリティの心に直接響きます。「このホテルは、言わなくても顧客のことを考えてくれる素晴らしいホテルだ」という印象を与え、顧客ロイヤルティの向上、ひいてはリピート利用へと繋がるのです。
3. 「体験価値(CX)」の本質
豪華な設備や高級なアメニティも重要ですが、現代の顧客が求める「体験価値(CX – Customer Experience)」は、よりパーソナルで、細やかな配慮に宿ることが増えています。自分の小さな困りごとが解決されるという体験は、高価なシャンパンをウェルカムドリンクで提供されること以上に、心に残るポジティブな記憶となる場合があります。こうした小さな感動の積み重ねこそが、他ホテルとの決定的な差別化要因となり、強力なブランドイメージを構築するのです。
顧客の「小さな不便」を発見する3つの方法
では、自社のホテルに潜む「小さな不便」をどのように見つけ出せばよいのでしょうか。以下に、明日からでも実践できる具体的な方法を3つご紹介します。
1. SNSや口コミサイトの「行間」を読む
まずは、顧客の生の声(VoC – Voice of Customer)が集まるSNSやOTAの口コミサイトを徹底的に分析することから始めましょう。ただし、単に高評価や低評価のレビューを眺めるだけでは不十分です。注目すべきは、評価の星の数ではなく、コメントの「行間」に隠された本音です。
例えば、「快適でしたが、コンセントがベッドから遠くて少し不便でした」「部屋は綺麗で満足。ただ、ちょっとした書き物をする時にデスクライトがあればもっと良かった」といった、ポジティブな評価の中に添えられた「小さな要望」。これらこそが、改善のヒントが詰まった宝の山です。また、X(旧Twitter)などでホテル名を検索するだけでなく、「ホテル 〇〇(地名) あったらいいな」「出張先 ホテル 不便」といった、より広いキーワードで検索することで、自社だけでなく業界全体の「小さな不便」を把握することができます。
2. 現場スタッフは「インサイトの宝庫」
顧客と日々最も近い距離で接しているのは、現場のスタッフです。フロント、客室清掃、レストラン、ベルスタッフなど、各部署のスタッフは、顧客の何気ない表情の変化や、ふとした瞬間の困りごとを肌で感じています。
「お客様がよく延長コードの貸し出しを希望される」「雨の日に、傘を借りた後でタオルを求める方が多い」「チェックアウト後に荷物を預けるお客様が、その荷物から小さなものを取り出すのに苦労されている」…これらはすべて、サービス改善に直結する貴重なインサイトです。定期的に部門横断で「お客様の“ちょっと困った”共有会」のような場を設け、現場の気づきを収集し、議論する仕組みを構築することが極めて重要です。ボトムアップで改善案を吸い上げる文化は、従業員のモチベーション向上にも繋がります。
3. 顧客になりきって「体験の旅」をしてみる
時には、自社のホテルに顧客として宿泊してみる「サービス・サファリ」も有効です。予約からチェックイン、客室での滞在、食事、チェックアウトまで、一連のカスタマージャーニーを自ら体験することで、普段の業務では気づかなかった多くの「小さな不便」が見えてきます。
「Wi-Fiのパスワードはどこに書いてある?すぐに見つかるか?」「シャワーの水圧は適切か?温度調節はしやすいか?」「夜中に小腹が空いた時、自動販売機やルームサービスの案内は分かりやすいか?」など、顧客の視点で一つひとつのタッチポイントを評価します。この際、先入観を捨てて「初めてこのホテルを利用する旅行者」になりきることが成功の鍵です。
発見から発信へ:マーケティングに転換する実践ステップ
「小さな不便」を発見したら、次はいかにしてそれをマーケティング施策に昇華させるかです。重要なのは、単に改善して終わりにするのではなく、そのプロセスを顧客に伝え、共感を呼ぶストーリーに仕立て上げることです。
Step 1: 共感型コンテンツの作成
発見した「不便」を、ホテルビースイーツのように「あるあるネタ」としてコンテンツ化します。ショート動画やイラスト、マンガなど、ユーザーが直感的に理解しやすく、楽しめるフォーマットが効果的です。堅苦しいお知らせではなく、「実はこんなことでお困りではありませんか?」と、親しみやすいトーンで語りかけることが共感を生むポイントです。
Step 2: 解決策の提示と「言行一致」
コンテンツ内で「そこで当ホテルでは、こうしました!」という具体的な解決策を提示します。例えば、「お客様の声にお応えして、全室にマルチ充電ケーブルを設置しました!」「雨の日には、玄関に吸水性の高いタオルをご用意しています」といった具合です。ここで最も重要なのは「言行一致」。SNSで発信するだけでなく、実際にそのサービスが提供されていなければ、顧客の信頼を失うことになります。
Step 3: 改善ストーリーの共有
「このサービスは、お客様からいただいた貴重なご意見から生まれました」というストーリーを伝えることで、顧客はホテルの運営に「参加」しているような感覚を抱きます。改善前(Before)と改善後(After)を比較して見せるのも良いでしょう。ホテルの真摯な姿勢と、顧客の声を大切にする企業文化をアピールすることができ、ファンを増やすことに繋がります。
まとめ:小さな配慮が、大きな価値を生む時代へ
インバウンド需要の回復や国内旅行の活発化により、ホテル業界の競争はますます激化しています。そのような市場環境において、他社との差別化を図るために巨額の投資を行うことは容易ではありません。
しかし、今回見てきたように、顧客一人ひとりの「小さな不便」に真摯に耳を傾け、それを解消するための細やかな配慮を積み重ね、そのプロセスをSNSなどを通じて発信していくことは、コストをかけずに実現できる極めて強力なマーケティング戦略です。それは、顧客ロイヤルティを高め、ポジティブな口コミを誘発し、何よりも「私たちのことを分かってくれるホテル」という揺るぎないブランドイメージを構築します。
今、あなたのホテルのお客様は、何に「ちょっとだけ」困っているでしょうか。その声なき声に耳を澄ますことこそが、未来のビジネスを切り拓く第一歩となるはずです。
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