はじめに:ホテリエという仕事の未来
ホテル業界への就職や転職を考えている皆さんが「ホテリエ」と聞いて思い浮かべるのは、どのような姿でしょうか。洗練された立ち居振る舞いでゲストを迎え、流暢な語学で世界中のお客様とコミュニケーションをとる姿かもしれません。もちろん、それらは今も昔も変わらずホテリエにとって非常に重要なスキルです。
しかし、テクノロジーが急速に進化する現代において、伝統的なスキルだけでは、これからのホテル業界でキャリアを築き、輝き続けることは難しくなってきているのも事実です。顧客データがリアルタイムで蓄積され、AIが需要を予測し、ロボットが業務の一部を担う時代。そんな中で、未来のホテリエには「接客スキル」「語学力」に次ぐ「第3のスキル」が求められています。
それが、今回テーマとして掘り下げる「デジタルスキル」です。この記事では、なぜ今ホテリエにデジタルスキルが必要なのか、そして具体的にどのようなスキルを身につければ、自身のキャリアをより豊かにできるのかを、ホテル業界の先輩として、少し先の視点からお伝えしたいと思います。
なぜ、ホテリエに「デジタルスキル」が必要なのか?
「デジタルは専門の部署の仕事でしょう?」と思う方もいるかもしれません。しかし、現代のホテル運営は、もはやデジタル技術と切り離しては考えられません。その理由は大きく3つあります。
1. 顧客体験のパーソナライズ化
現代の旅行者は、単に宿泊する場所を求めているわけではありません。「自分だけの特別な体験」を求めています。過去の宿泊履歴や食事の好み、誕生日といった情報を基に、先回りしたサービスを提供できれば、顧客満足度は飛躍的に向上します。これを実現するのが、顧客管理システム(CRM)などに蓄積されたデータです。データを読み解き、次のアクションに繋げる力は、これからのホスピタリティの質を左右します。
2. 業務効率化による「おもてなし」への集中
ホテル業界は、慢性的な人手不足という課題を抱えています。この課題を解決する鍵もまた、デジタル技術にあります。予約管理、客室割り当て、清掃管理などを効率化するプロパティ・マネジement・システム(PMS)や各種ツールを使いこなすことで、これまで手作業にかけていた時間を大幅に削減できます。そうして生まれた時間を、本来ホテリエが最も注力すべき、お客様一人ひとりへの温かい「おもてなし」に振り分けることができるのです。
3. データに基づいた収益の最大化
ホテルの経営は、客室という「 perishable product(消えもの商品)」をいかに最適な価格で販売するかにかかっています。過去の販売実績、競合の価格、周辺イベント、季節変動といった膨大なデータを分析し、需要を予測して価格を決定する「レベニューマネジメント」は、今やホテル経営の心臓部です。現場のスタッフがデータに明るくなることで、ホテル全体の収益向上に貢献できる場面は格段に増えていきます。
キャリアを拓く3つのデジタルスキル
では、具体的にどのようなデジタルスキルを身につければ良いのでしょうか。ここでは、特に重要だと考えられる3つのスキルをご紹介します。
スキル1:データリテラシー(情報を読み解き、活用する力)
これは、単にPCが使える、システムを操作できるというレベルの話ではありません。PMSやCRMに蓄積された数字の羅列から、「意味」を読み解く能力です。
- 基本的な経営指標の理解:ADR(平均客室単価)、RevPAR(販売可能な客室あたりの収益)、稼働率といった基本的な指標を理解し、自ホテルの状況を客観的に把握する。
- データに基づく仮説構築:「今月、特定の国からのお客様が少ないのはなぜだろう?」「この宿泊プランの予約が伸び悩んでいる原因は何か?」といった疑問をデータから見つけ出し、改善策を考える。
- 学び方:まずは自ホテルで使われている日報や月報の数字に興味を持つことから始めましょう。なぜこの数字になったのかを先輩や上司に質問するのも良い方法です。より専門的に学びたい場合は、HSMAIなどが認定するレベニューマネジメントの資格取得を目指したり、オンライン講座で統計学の基礎を学んだりするのも有効です。
スキル2:システム運用能力(ツールを「使いこなす」力)
多くのホテルでは、PMSを始め、複数のシステムが導入されています。これらのシステムを「ただ使う」だけでなく、「使いこなす」ことができれば、あなたの市場価値は大きく高まります。
- 機能の深い理解:自分が担当する業務範囲だけでなく、システムが持つ機能を広く深く理解し、より効率的な使い方や、これまで使われていなかった便利な機能の活用を提案する。
- 部門間連携のハブとなる:例えば、フロントがCRMに入力した顧客の好みを、レストラン部門がシステム経由で確認し、サービスに活かす。こうした部門間のデータ連携を円滑にするための知識や動きができる人材は非常に貴重です。
- 学び方:導入されているシステムのベンダーが提供するマニュアルを読み込んだり、研修会に参加したりするのが一番の近道です。また、他部門のスタッフがシステムをどのように使っているのかに関心を持つことも、新たな発見に繋がります。
スキル3:オンラインマーケティングの基礎知識
今や、お客様がホテルを探し、予約する場所は、そのほとんどがオンライン上です。自社のウェブサイト、OTA(Online Travel Agent)、SNS、Web広告など、お客様との接点は多岐にわたります。
- OTAの管理画面を理解する:自ホテルのプランがOTA上でどのように表示され、どのような写真や文章がお客様の予約に繋がっているのかを分析する。クチコミへの返信も重要な業務です。
- SNSの活用:ホテルの魅力を発信し、ファンを増やすための基本的なSNS運用知識。どのような投稿がエンゲージメントを高めるのかを理解する。
- 学び方:無料で学べるGoogle デジタル ワークショップなどでWebマーケティングの基礎を学ぶのがおすすめです。また、Web担当者Forumのような専門メディアを読んだり、競合や人気ホテルのオンラインでの見せ方を研究したりすることも、日々の業務に活かせるヒントに満ちています。
デジタルスキルが拓くキャリアパス
これらのスキルを身につけることで、あなたのキャリアパスは大きく広がります。フロントやベル、コンシェルジュといった現場のプロフェッショナルとして、データに基づいた質の高いサービスを提供し続ける道はもちろんのこと、以下のような専門職への道も開けてきます。
- レベニューマネージャー:データ分析を専門とし、ホテル全体の収益を最大化する戦略家。
- マーケティング担当:デジタルマーケティングを駆使し、ホテルのブランド価値向上と集客を担う。
- IT/システム担当:ホテルのDXを推進し、現場と経営を繋ぐ重要な役割。
- 支配人/マネージャー:データに基づいた的確な経営判断ができる、次世代のリーダー。
さらに、ホテルで培ったデジタルスキルとホスピタリティの知見は、ホテルテックと呼ばれるIT企業や、ホテル専門のコンサルタントといった、業界を横断したキャリアの可能性ももたらしてくれます。
おわりに
ここまでデジタルスキルの重要性についてお話してきましたが、最後に強調したいのは、テクノロジーはあくまで「手段」であるということです。ホテリエとしての根幹にあるべきは、お客様に喜んでいただきたいという「ホスピタリティの心」に他なりません。
デジタルスキルは、その温かい心を、より多くの人に、より深く届けるための強力な武器です。これからホテル業界を目指す皆さんも、すでに現場で活躍されている皆さんも、ぜひ「デジタル」という新しい視点を持って、ご自身の仕事やキャリアを見つめ直してみてはいかがでしょうか。まずは、毎日使っている予約システムの画面を、昨日までとは少し違う目で眺めてみること。そこから、あなたの新しい未来が始まるかもしれません。
コメント