はじめに:ホテルは「泊まる場所」から「所有するもの」へ?
2025年のホテル業界を語る上で、もはや無視できない存在となっているのが、不動産とテクノロジー、そしてホスピタリティを融合させた新たなビジネスモデルです。その筆頭格として注目を集めているのが、「NOT A HOTEL(ノット ア ホテル)」。その名の通り「ホテルではない」と謳いながら、従来のホテルの概念を根底から覆す可能性を秘めたサービスです。marie claire誌のこちらの記事でも特集されているように、著名な建築家が手がけた唯一無二の空間を、複数のオーナーで「所有」するという革新的なアプローチは、富裕層を中心に急速に支持を広げています。
この動きは、単なる新しい宿泊施設の登場を意味するものではありません。これは、人々の「所有」に対する価値観の変化と、それを実現するテクノロジーの進化が交差した点に生まれた、次世代のライフスタイル提案です。本記事では、NOT A HOTELのビジネスモデルを深掘りし、この新しい潮流がこれからのホテル運営、特にホテルDXにどのような影響を与え、何を問いかけているのかを考察します。
NOT A HOTELとは何か?単なるタイムシェアとの決定的違い
NOT A HOTELの核心は、ホテルのように利用できる別荘の「共同所有権」を販売している点にあります。オーナーは、購入した物件の所有権(正確には持分)を登記された資産として保有し、年に10日から利用が可能です。利用しない日は、同社がホテルとして一般の宿泊客に貸し出し、その収益の一部がオーナーに還元される仕組みです。これにより、オーナーは資産価値の向上を期待しつつ、維持管理の手間なく、極上の空間を我が家のように利用できるのです。
このモデルは、一見すると従来のタイムシェアに似ているかもしれません。しかし、決定的な違いがいくつか存在します。
1. 資産性: タイムシェアが施設の「利用権」を購入するものであるのに対し、NOT A HOTELは不動産の「所有権」です。つまり、不動産市況に応じて売買が可能であり、キャピタルゲインを狙える資産となり得ます。
2. 相互利用の柔軟性: オーナーは自身が所有する物件だけでなく、日本各地に展開する他のNOT A HOTELの拠点を、専用アプリを通じて簡単に予約・利用できます。これにより、「所有」の安定感と「旅」の自由度を両立させています。
3. シームレスなテクノロジー体験: 予約からチェックイン、室内のスマートホーム機能の操作まで、すべてが専用アプリで完結します。この徹底したデジタル化が、ストレスフリーでパーソナライズされた滞在体験を実現しています。これは、多くのホテルが目指す「客室体験のOS化」の先を行くモデルと言えるかもしれません。
このビジネスモデルは、ホテルと民泊、そして不動産投資の境界線を曖昧にするものであり、かつてOYOの登場が示したような業界の垣根が消える動きを、さらに加速させる可能性を秘めています。
従来のホテル業界への示唆と学ぶべきこと
NOT A HOTELの台頭は、特にラグジュアリーホテルにとって、新たな競合の出現を意味します。しかし、これを単なる脅威と捉えるのではなく、自社のビジネスモデルを進化させるためのヒントとして捉えるべきでしょう。ホテル業界がこの潮流から学べる点は、大きく3つあると考えられます。
1. 「アセット」の価値を再定義する
NOT A HOTELの魅力の根源は、世界的な建築家が手がけた唯一無二の「建物」そのものです。これは、ホテルが単なる宿泊機能を提供する箱ではなく、それ自体が目的となる「デスティネーション」でなければならないという事実を改めて突きつけています。ホテルのハードウェアは、単なる器ではありません。その土地の歴史や文化を映し出し、ゲストに感動を与える物語の舞台です。自社のホテルが持つ独自の建築的価値やストーリーを掘り起こし、それをゲスト体験に繋げる視点が、これまで以上に重要になります。まさに建築が「生きる」ホテルというコンセプトや、価格競争から脱却するストーリーテリング戦略が、その鍵を握るでしょう。
2. 新たな収益モデルとしての「アセットライト」と「所有」
ホテル業界では、不動産を所有せず運営に特化する「アセットライト」化が大きな潮流となっています。NOT A HOTELのモデルは、この流れに新たな視点を提供します。例えば、ホテルが最上級スイートやレジデンス区画の共同所有権を販売する、というモデルは考えられないでしょうか。これにより、ホテルは開発資金の早期回収や新たな収益源の確保が可能になります。同時に、オーナーとなった顧客は、単なるリピーターを超えた、極めてエンゲージメントの高いロイヤルカスタマーとなるでしょう。これは、「所有」から「運営」へというアセットライト化の潮流の中で、新たなハイブリッドモデルを模索するきっかけとなります。
3. 「所有感」を醸成するコミュニティ戦略
すべての顧客が不動産を所有したいわけではありません。しかし、「自分だけの特別な場所」「このコミュニティの一員である」という感覚は、顧客ロイヤルティを醸成する上で非常に強力な武器となります。NOT A HOTELのオーナーが感じるであろう特別な帰属意識を、従来のホテルはどのように提供できるでしょうか。それは、画一的なポイントプログラムを超えた、よりパーソナルでエクスクルーシブな体験の提供に他なりません。例えば、特定の顧客だけが参加できるイベントの開催や、個々の趣味嗜好に合わせた未公開プランの提案などが考えられます。将来的には、NFTを活用したデジタル会員権などが、この「所有感」を擬似的に創出し、新たなロイヤルティプログラムの形となるかもしれません。
まとめ:業界の常識を疑い、未来の「体験価値」を創造する
NOT A HOTELの挑戦は、ホテル業界に対して「宿泊」というサービスのあり方を根本から見直すことを迫っています。彼らが提供しているのは、単なる「空間」ではなく、「理想のライフスタイルを所有する」という新しい価値提案です。テクノロジーを駆使して資産性と流動性を両立させ、唯一無二のハードウェアを核にコミュニティを形成する。この戦略は、今後のホテルDXやマーケティング戦略を考える上で、非常に示唆に富んでいます。
ホテル業界で働く私たち、あるいはこれからこの業界を目指す人々は、既存の枠組みに囚われることなく、常に新しい価値創造の可能性を探求し続ける必要があります。NOT A HOTELが壊そうとしている「常識」の先には、ホテルが提供できる新たな「体験価値」の広大なフロンティアが広がっているのです。
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