はじめに
ホテルビジネスは、顧客への「おもてなし」や「体験」の提供がその本質であると同時に、大規模な「不動産」を基盤とする事業でもあります。この不動産としての側面が、時にビジネスの成功を左右し、予期せぬ形でその終焉をもたらすことがあります。2025年10月、テルアビブで世界的に評価されたカクテルバー「Imperial」が閉鎖するというニュースは、単なる飲食店の閉店以上の深い示唆をホテル業界に投げかけています。
世界が認めたバーの閉鎖が示すもの
Ynetnewsの報道によると、テルアビブのImperial cocktail barは、13年間の歴史に幕を閉じます。このバーは「The World’s 50 Best Bars list」に名を連ねるほどの成功を収め、国際的な注目を集めていました。しかし、閉鎖の理由は、その成功とは裏腹に、バーが入居していたImperial Hotelの建物の再開発にあります。この建物は、長らく延期されていた都市再生プロジェクトの一環として取り壊される予定であり、Imperial barだけでなく、LP restaurant、La Otra、8ballといった他のテナントも全て閉鎖を余儀なくされます。
参照元:Tel Aviv’s world-acclaimed Imperial cocktail bar to close after 13 years – Ynetnews
この事例は、ホテルビジネス、ひいてはそのテナントビジネスが、いかに物理的な「場所」と強く結びつき、同時にその「場所」に起因する外部リスクに晒されているかを鮮明に示しています。世界的な評価を得るほどのブランドと顧客基盤を築き上げたImperial barでさえ、建物の取り壊しという不可抗力の前には、事業継続の道を閉ざされることになったのです。
ホテルビジネスにおける「不動産」の重み
ホテルは、その運営を支える物理的な建物と土地が不可欠です。これは、単に宿泊施設を提供するだけでなく、レストラン、バー、会議室、スパなど、多岐にわたるサービスを提供する「ハコモノ」としての側面が非常に大きいことを意味します。そのため、ホテルの事業計画やマーケティング戦略を考える上で、不動産としての特性を深く理解し、そのリスクと機会を織り込むことが極めて重要になります。
1. 立地と都市計画
ホテルの成功は、その立地に大きく左右されます。アクセス性、周辺環境、観光資源への近さなどが収益性に直結します。しかし、都市の発展は常に変化しており、都市計画や再開発プロジェクトは、ホテルの価値を向上させることもあれば、Imperial Hotelの事例のように、既存の建物の存続を脅かすこともあります。長期的な事業計画には、こうした都市の変遷を見越したリスク評価が不可欠です。
2. 建物の老朽化と投資
建物は時間とともに老朽化し、大規模な修繕や改修が必要となります。これは多額の資本投資を伴い、ホテルの財務状況に大きな影響を与えます。また、新築のホテルが次々と登場する中で、競争力を維持するためには、常に設備やサービスを最新の状態に保つ努力が求められます。このような大規模な投資判断については、過去記事「ホテル大規模投資の真意:競争力強化と「未来のゲスト体験」を創る戦略」でも触れています。
3. 所有と運営の分離(アセットライト戦略)
近年、多くのホテルチェーンが採用している「アセットライト戦略」は、不動産を所有せず、運営に特化することで、資本効率を高め、リスクを分散する手法です。これにより、ホテル企業は不動産価格の変動リスクや大規模な修繕費用の負担から解放され、ブランド展開やサービス品質向上に注力できます。しかし、Imperial Hotelの事例は、たとえ運営側が不動産を所有していなくても、建物の存続自体が事業の生命線であるという根本的な事実を改めて浮き彫りにします。
都市開発がもたらす機会と課題
都市の再開発は、ホテル業界に新たな機会をもたらすことがあります。例えば、新しい商業施設や交通インフラの整備は、新たな顧客層を呼び込み、地域の魅力を高めます。これにより、既存ホテルの稼働率が向上したり、新規ホテルの開発が促進されたりすることもあります。過去には、アスコットの「マルチタイポロジー」戦略のように、変動市場で不動産を柔軟に活用し、収益を最大化する事例も見られます。(アスコットの「マルチタイポロジー」戦略:変動市場で「収益最大化」を叶える現場の知恵)
一方で、Imperial Hotelのケースのように、再開発が既存のビジネスにとって「終焉」を意味することもあります。特に、歴史的価値を持つ建物や、地域に根差したランドマーク的なホテルが、都市計画の都合で姿を消すことは、経済的損失だけでなく、文化的な損失にも繋がりかねません。ホテル経営者は、外部環境の変化を常にモニタリングし、不確実な時代を生き抜くための知恵と戦略が求められます。(不確実な時代を生き抜くホテルの知恵:マクロ変動を「機会」に変える「現場力」)
ブランドと「場所」のジレンマ
Imperial barは、その卓越したサービスと雰囲気で世界的なブランドを確立しました。このブランド価値は、間違いなくその「場所」、つまりImperial Hotelの建物に深く根差していました。特定の場所でしか味わえない体験が、顧客を惹きつけ、唯一無二の存在感を放っていたのです。
しかし、その「場所」が失われる時、ブランド価値はどのように継承されるのでしょうか。新たな場所で再出発するにしても、これまでの歴史や雰囲気、そして顧客が培ってきた記憶を完全に再現することは容易ではありません。これはホテルブランドにも共通する課題です。ホテルのブランドは、単なるロゴやサービス基準だけでなく、その建物、立地、そしてそこで生まれる「物語」によって形成されます。過去記事「ホテルブランドの真価:現場の「泥臭い努力」が築く「記憶と物語」」でも触れたように、ブランド価値は物理的なものと密接に絡み合っています。
このような状況下で、ホテル経営者は、物理的な場所の制約を超えて、いかにブランドの本質的な価値を抽出し、それを普遍的な体験として提供できるかを考える必要があります。例えば、期間限定のポップアップイベント、オンラインでのブランド体験、あるいは他の施設とのコラボレーションを通じて、ブランドの精神を異なる形で表現する試みなどが考えられます。
ホテル経営者が学ぶべき教訓
Imperial barの閉鎖は、ホテル業界が直面するビジネスの複雑さと脆弱性を浮き彫りにします。この事例から、ホテル経営者は以下の重要な教訓を得るべきです。
- 長期的な視点でのリスクマネジメント: 都市計画、不動産市場の動向、建物の老朽化といった外部環境の変化を常に注視し、事業計画にこれらのリスクを組み込む必要があります。テナント契約においても、再開発や取り壊しに関する条項を慎重に検討し、万が一の事態に備えることが重要です。
- ブランド価値の再定義: 物理的な場所と強く結びついたブランドは強力ですが、その場所が失われるリスクも伴います。ブランドの核となる価値を抽出し、それを多様な形で表現できるような柔軟なブランド戦略が求められます。
- アセットライト戦略の再考: 不動産リスクを回避できるアセットライト戦略は有効ですが、建物の存続自体が事業の前提であるという点を忘れてはなりません。不動産オーナーとの関係性や、長期的な賃貸契約の安定性など、不動産に起因するリスクを完全に排除することはできないことを認識すべきです。
まとめ
テルアビブのImperial cocktail barの閉鎖は、ホテルビジネスが単なるサービス業ではなく、不動産という物理的な基盤に深く依存する事業であるという事実を改めて私たちに突きつけます。卓越したホスピタリティやマーケティング戦略も、その「場所」が失われてしまえば、事業継続は困難になります。
2025年現在、ホテル業界は常に変化する市場環境と向き合っています。この変化の波を乗り越え、持続的な成長を遂げるためには、おもてなしの追求はもちろんのこと、不動産としてのホテルの価値、都市開発との関係性、そしてそれらが事業に与える影響を深く理解し、戦略的に対応していくことが不可欠です。物理的な制約の中で、いかに「体験」と「ブランド」の価値を最大化し、未来へと繋げていくか。これが、現代のホテル経営者に問われる本質的な課題と言えるでしょう。
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