ホテルの競合はホテルだけではない。豪華フェリーが示す「体験価値」競争の新時代

ホテル業界のトレンド

はじめに:海に浮かぶリゾートホテルという衝撃

先日、乗りものニュースに掲載されたある記事が、宿泊業界に身を置く私たちの固定観念を静かに、しかし確実に揺さぶりました。

部屋の広さは日本一!? 北海道行き“長距離フェリー”がまるでリゾートホテル 豪華16時間20分の旅(乗りものニュース)

この記事で紹介されているのは、商船三井さんふらわあが運航する長距離フェリー「さんふらわあ かむい/ふらの」です。驚くべきは、その客室のクオリティと船内設備の充実度。プライベートバルコニー付きのスイートルーム、広々とした展望浴場、そして海を眺めながら食事を楽しめるレストラン。記事は、これを単なる「移動手段」ではなく、乗船している時間そのものが旅の目的となる「リゾートホテル」のようだと伝えています。

このニュースは、ホテル業界にとって何を意味するのでしょうか。「船は船、ホテルはホテル」と、対岸の火事として眺めていて良いはずがありません。この記事は、顧客が「宿泊」に求める価値が大きく変化し、私たちの競争相手がもはや同業者だけではないという厳しい現実を突きつけています。今回はこの事例を深掘りし、異業種が仕掛ける「体験価値」競争の時代に、ホテルがどう向き合い、生き残っていくべきかを考察します。

「移動」から「滞在体験」へ:異業種による宿泊価値の再定義

今回のフェリーの事例は、氷山の一角に過ぎません。近年、様々な業界が従来のサービスの枠を超え、「滞在体験」という付加価値を提供することで新たな市場を切り拓いています。

プロセスそのものを商品化するビジネスモデル

かつて、旅行における移動は目的地にたどり着くための「手段」であり、宿泊は活動の拠点となる「場所」でした。しかし、価値観の多様化に伴い、移動や宿泊のプロセスそのものを楽しみたいというニーズが高まっています。

例えば、JR各社が運行する豪華クルーズトレインを思い浮かべてみてください。「ななつ星in九州」や「TRAIN SUITE 四季島」などは、移動しながら最高級の食事とサービス、そして移りゆく車窓からの絶景を楽しむという、まさに「走るホテル」です。予約は数ヶ月先まで埋まり、その価格は数十万円から百万円を超えるにもかかわらず、多くの人々を魅了し続けています。

また、アウトドア業界では「グランピング」がすっかり定着しました。これは、キャンプの醍醐味である自然との一体感を、ホテルのような快適な設備とサービスの中で体験できるという、まさにホテルとアウトドアの融合です。これらもまた、私たちの競合と言えるでしょう。

なぜ顧客は「動くホテル」を選ぶのか

では、なぜ顧客は従来のホテルではなく、こうした異業種の提供する「滞在体験」を選ぶのでしょうか。そこにはいくつかの理由が考えられます。

  • 非日常性と独自性: 船上や列車内という限定された空間で過ごす時間は、日常から完全に切り離された特別な体験を提供します。これは、どんなに素晴らしいシティホテルやリゾートホテルでも提供が難しい、ユニークな価値です。
  • 時間効率と快適性の両立: 寝ている間に目的地に到着するフェリーや夜行列車は、時間を有効に使いたいというニーズに応えます。同時に、窮屈な座席ではなく、快適なベッドで休めるというメリットは計り知れません。
  • オールインクルーシブの魅力: 多くの豪華列車や一部のフェリープランでは、移動、宿泊、食事がすべて含まれています。旅の計画を立てる手間が省け、純粋に体験に集中できる手軽さが、多忙な現代人にとって魅力的に映ります。

これらのサービスは、顧客の可処分時間と可処分所得を、私たちホテル業界から静かに奪っているのです。もはや、顧客は「A市で泊まるならどのホテル?」と探すのではなく、「次の週末、どんな特別な体験をしようか?」という視点で選択肢を探しているのかもしれません。

ホテル業界が直面する「見えざる競合」との戦い

従来のホテル経営における競合分析は、周辺エリアの同価格帯のホテルや、ターゲット層が重なる旅館、近年では民泊施設などが中心でした。しかし、フェリーの事例が示すように、今や私たちの競争相手は、全く異なる業界に潜んでいます。

これは、顧客の選択基準が「スペック(立地、価格、部屋の広さ)」から「エクスペリエンス(そこでしかできない体験、得られる感動)」へと大きくシフトしていることを意味します。顧客の頭の中にある選択肢のテーブルには、私たちのホテルと並んで、豪華フェリーやグランピング施設、あるいは日帰りの高級スパやエンターテイメント施設までが同列に並べられているのです。

この「見えざる競合」の存在を認識しないまま、近隣ホテルとの価格競争やスペック競争に明け暮れていては、ジリ貧になることは避けられません。私たちは、自らが提供する価値を再定義し、異業種にはないホテルならではの強みを磨き上げる必要があります。まさに、「単独」で戦う時代は終わったのです。業界の垣根を越えた視点で、自社のポジショニングを見つめ直す時が来ています。

異業種競合時代にホテルが磨くべき「独自の価値」

では、豪華フェリーやグランピングといった競合に対して、ホテルはどのような独自の価値を提供できるのでしょうか。彼らの強みを認識した上で、ホテルならではの優位性を再確認し、戦略的に強化していく必要があります。

1. 「点」としての立地の圧倒的優位性

フェリーや列車が「線」の移動体験を提供するのに対し、ホテルは「点」としての立地に絶対的な強みを持ちます。都市の中心部、絶景を望む海岸線、歴史的な観光地のすぐそばなど、その場所に根ざしているからこそ提供できる価値があります。

この強みを最大化するには、単に「便利な場所にある」だけでは不十分です。ホテルがその地域のハブとなり、「街のコンシェルジュ」としての役割を果たすことが求められます。地域の文化、歴史、食、人々との交流を宿泊体験に織り交ぜることで、そのホテルでしか得られない価値が生まれます。まさに、「地域」が最強の武器になるのです。DMOとの連携や、地域のアクティビティ事業者との提携を強化し、宿泊プランに組み込むといった取り組みがより一層重要になります。

2. 専門性とサービスの「深さ」

移動体をベースとする宿泊施設は、スペースや設備の制約から、サービスの専門性を深めるには限界があります。ここにホテルの勝機があります。

  • F&B(料飲部門): ミシュランの星を獲得するような本格的なファインダイニング、あるいは特定の食材やコンセプトに特化した専門レストランは、ホテルだからこそ展開できる領域です。
  • ウェルネス施設: 天然温泉、本格的なスパトリートメント、最新鋭のフィットネスジムなど、心身を癒し、整えるための施設と専門スタッフを充実させることで、強力な差別化が可能です。近年高まるウェルネスツーリズムの需要は、ホテルにとって大きなチャンスです。
  • MICE機能: 大規模な宴会場や会議室を備え、国際会議や大型イベントを誘致できるのは、多くのホテルが持つユニークな強みです。

これらの専門分野を磨き上げ、「あのレストランで食事をしたいから、あのホテルに泊まる」「最高のリラクゼーションを求めて、あのスパに行く」といったデスティネーション(目的)としての魅力を高めることが重要です。

3. 滞在の「柔軟性」と「パーソナライズ」

決まったダイヤグラムに沿って運行するフェリーや列車と異なり、ホテルはゲストの滞在スタイルに合わせた柔軟な対応が可能です。連泊利用、アーリーチェックインやレイトチェックアウト、ビジネスとレジャーを組み合わせた「ブリージャー」需要への対応など、ゲスト一人ひとりの都合に寄り添うことができます。

この柔軟性をさらに進化させるのが、DXの活用です。CRM(顧客関係管理)システムに蓄積された過去の利用履歴や嗜好データを分析し、ゲストが到着する前からパーソナライズされたおもてなしを準備することが可能です。例えば、記念日での宿泊と分かればサプライズを用意したり、以前好んで飲んでいたワインをルームサービスメニューでさりげなく提案したり。こうした次世代のパーソナライゼーションは、ゲストに「自分のことを理解してくれている」という深い満足感を与え、強いロイヤリティを育みます。

まとめ:「泊まる」の価値を再定義し、未来へ

豪華フェリーが「リゾートホテル」と称される時代。これは、ホテル業界にとって脅威であると同時に、自らの存在価値を見つめ直し、進化するための絶好の機会でもあります。

もはや「ベッドと朝食を提供する場所」という旧来の定義に安住することは許されません。私たちの競争相手は、業界の垣根を越えて、顧客の貴重な時間を奪い合っています。この厳しい現実を直視し、ホテルならではの強みである「立地」「専門性」「柔軟性」を、テクノロジーの力も借りながら徹底的に磨き上げることが不可欠です。

ゲストがホテルに到着してからチェックアウトするまでの体験、すなわちマイクロエクスペリエンスの集合体を、いかに感動的で忘れられないものにデザインできるか。そこに、これからのホテルの真価が問われています。「泊まる」という行為の価値を再定義し、異業種の挑戦を乗り越えた先に、ホテル業界の新たな未来が拓けるはずです。

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