はじめに:おもてなしの、その先へ
「ホテリエ」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、洗練された立ち居振る舞いでゲストを迎え、心温まるおもてなしを提供するプロフェッショナルの姿でしょう。そのイメージは決して間違いではありません。しかし、現代のホテル業界でキャリアを築き、より高みを目指すためには、伝統的な「おもてなし」のスキルだけでは不十分になりつつあります。競争が激化し、テクノロジーが進化する中で、ホテルというビジネスを動かし、成長させる「収益創出力」が、これからのホテリエにとって不可欠なスキルとなっているのです。
この記事では、ホテル業界でのキャリア形成を考える就活生や若手ホテリエの方々に向けて、自身の市場価値を飛躍的に高める鍵となる「レベニューマネジメント」のスキルについて深掘りしていきます。これは単なる専門職の話ではありません。すべてのホテリエが持つべき、新しい時代の必須教養なのです。
なぜ今、ホテリエにレベニューマネジメントスキルが必要なのか?
かつてのホテル経営は、支配人の経験や勘に頼る部分が多くありました。しかし、OTA(Online Travel Agent)の台頭、民泊のような新たな競合の出現、そして顧客ニーズの多様化により、市場環境は複雑さを増しています。このような状況下で、感覚だけに頼った経営判断は大きなリスクを伴います。
そこで重要になるのが、データに基づいた客観的な意思決定です。レベニューマネジメントは、まさにその中核をなす考え方であり、需要を正確に予測し、客室という「限りある在庫」の価値を最大化するための科学的アプローチです。ホテルの収益性を高めることは、単に会社の利益を増やすだけではありません。生み出された利益は、施設の改修や新しいサービスへの投資、そして何よりも従業員の待遇改善や教育へと再投資されます。この好循環こそが、ホテルのサービス品質を維持・向上させ、最終的には顧客満足度、そして従業員満足度を高めることに繋がるのです。
レベニューマネジメントとは何か?
レベニューマネジメントを専門用語で定義すると、「適切な商品を、適切な顧客に、適切な価格で、適切なタイミングで、適切な販売チャネルを通じて提供し、収益を最大化する戦略」となります。少し難しく聞こえるかもしれませんが、本質はシンプルです。
例えば、あなたが所有するホテルに100の客室があるとします。これをすべて同じ価格で販売するのが最も儲かるでしょうか?答えはノーです。週末や連休、周辺で大規模なイベントが開催される日には需要が高まるため、価格を高く設定しても客室は埋まるでしょう。逆に、平日の閑散期には価格を下げなければ、空室だらけになってしまいます。また、直前に予約するビジネス客と、数ヶ月前から予約するレジャー客では、価格に対する感度も異なります。
レベニューマネジメントは、こうした様々な要因を分析し、日々の需要を予測しながら、客室の価格や販売条件をダイナミックに変動させていきます。主な業務には以下のようなものがあります。
・過去の販売実績や市場データに基づく需要予測
・競合ホテルの価格調査と分析
・イベントや季節性を考慮した価格設定(プライシング)
・OTAや自社サイトなど、販売チャネルごとの在庫・料金コントロール
・稼働率、ADR(平均客室単価)、RevPAR(販売可能客室数あたり客室売上)といった主要業績評価指標(KPI)の分析とレポーティング
全ホテリエが持つべき「レベニュー」の視点
これらの業務は「レベニューマネージャー」という専門職が担うことが多いですが、その視点はすべてのポジションで活かすことができます。
・フロントスタッフ
最前線で顧客と接するフロントは、情報の宝庫です。お客様からの「今日は料金が高いですね」「このプランは魅力的だ」といった生の声は、価格設定の妥当性を測る貴重なフィードバックになります。また、稼働に余裕がある日に、よりグレードの高い部屋への有償アップセルを提案することも、客単価を上げる立派なレベニューマネジメント活動です。
・予約担当
予約担当者は、日々OTAの管理画面やPMS(ホテル管理システム)と向き合います。単に予約を受け付けるだけでなく、「最近、特定の国からの予約が増えている」「このプランの売れ行きが鈍い」といった変化に気づき、レベニューマネージャーや支配人に報告・提案することができれば、その価値は大きく変わります。
・マーケティング/セールス担当
広告宣伝や営業活動を行う際も、レベニューの視点は不可欠です。どの顧客層に、どのようなプランを、いくらで訴求すれば最も費用対効果が高くなるのか。需要が逼迫している日に、わざわざ割引率の高い団体客を受け入れる必要はありません。需要予測に基づき、収益性の高い個人客や法人客にアプローチをかけるといった戦略的な判断が求められます。
・支配人/マネージャー
言うまでもなく、ホテル全体の収益責任者として、レベニューマネジメント戦略の最終的な意思決定を担います。各部門から上がってくる情報を統合し、データに基づいてホテル全体の舵取りを行うことがミッションです。
レベニューマネジメントスキルを身につけるための具体的ステップ
では、どうすればこの重要なスキルを身につけることができるのでしょうか。明日から実践できる4つのステップを紹介します。
1. 基礎知識を学ぶ
まずは体系的な知識をインプットすることから始めましょう。幸いなことに、今では書籍やオンラインコースで専門知識を学ぶことができます。コーネル大学が提供するホスピタリティマネジメントのオンラインプログラム「eCornell」などは世界的に有名ですし、Courseraのようなプラットフォームでも関連講座を見つけることができます。まずは入門書を一冊読んでみるだけでも、視野が大きく広がるはずです。
2. データを意識する
自ホテルの「数字」に興味を持ちましょう。日々の稼働率、ADR、RevPARといったKPIがどのように推移しているのか。なぜ昨日は稼働が良かったのか、なぜ今日は単価が低いのか。PMSやサイトコントローラーに眠っているデータを眺め、自分なりに仮説を立てる習慣をつけることが、データドリブンな思考への第一歩です。
3. 競合を分析する
周辺の競合ホテルが、OTAでどのような価格を打ち出しているか、定期的にチェックしてみましょう。「なぜあのホテルは今日、強気な価格なのだろう?」「このホテルは新しいプランを始めたな」といった気づきから、市場のダイナミズムを肌で感じることができます。単なる価格の比較だけでなく、その背景にある戦略を推測する訓練が重要です。
4. ツールに触れる
多くのホテルでは、レベニューマネジメントシステム(RMS)やBIツールが導入されています。もし職場にそうしたツールがあれば、積極的に触れてみましょう。たとえ専門のツールがなくても、Excelを使いこなすだけでも高度な分析が可能です。ピボットテーブルやグラフ機能を駆使して、データを可視化するスキルは、どんな職種でも役立つ強力な武器になります。
まとめ
レベニューマネジメントスキルは、もはや一部の専門家だけのものではありません。それは、おもてなしの心という「アート」と、データに基づき収益を最大化する「サイエンス」を融合させ、ホテルというビジネスを成功に導くための羅針盤です。このスキルを身につけることは、単に昇進や昇給に繋がるだけでなく、ホテル業界で長期的に活躍し続けるための、そして何より仕事の面白さを何倍にも増幅させるためのパスポートとなるでしょう。これからのキャリアを考える上で、ぜひ「収益を創るホテリエ」という視点を加えてみてください。
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