ひとこと要約
顧客を単なるリピーターから熱狂的な「ファン」へと育てる「推し活」マーケティング。本記事では、ファンコミュニティ形成や地域連携を通じて、ホテルの独自価値を高め、OTAへの価格競争から脱却し持続的な成長を実現するための具体的な戦略と事例を解説します。
ホテル業界は、インバウンド需要の回復という追い風を受けつつも、一方で深刻な人手不足、エネルギーコストの高騰、そしてOTA(Online Travel Agent)を中心とした価格競争の激化という構造的な課題に直面しています。多くのホテルが日々のオペレーションに追われ、新規顧客の獲得に多大なコストと労力を費やしているのが現状です。
しかし、こうした状況だからこそ、視点を変える必要があります。それは、不特定多数の「新規顧客」を追い求める消耗戦から脱却し、自社のホテルを心から愛し、応援してくれる「ファン」を育てるという視点です。本記事では、現代の消費トレンドである「推し活」の概念をホテルマーケティングに応用し、顧客との長期的な関係性を築くことで持続的な成長を目指す「ファンベース・マーケティング」について深掘りしていきます。
リピーターと「ファン」の決定的な違い
まず、混同されがちな「リピーター」と「ファン」の違いを明確にしておきましょう。
- リピーター:立地が良い、価格が手頃、ポイントが貯まるなど、合理的な理由で繰り返し利用する顧客。より良い条件の競合が現れれば、簡単に乗り換える可能性があります。
- ファン:ホテルのコンセプト、世界観、スタッフ、提供する体験など、情緒的な価値に強く共感し、愛着を持っている顧客。「このホテルでなければならない」という強い動機を持ち、自発的に他者へ推奨(UGC: User Generated Contentの創出)し、ホテル側の発信する情報を積極的に追いかけ、時には応援のために高価格帯のプランや商品を厭わず購入してくれます。
ビジネスの安定性を考えたとき、どちらの顧客層を大切にすべきかは明らかです。ファンは、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)が極めて高いだけでなく、彼らの発信するポジティブな口コミやSNS投稿は、何よりも信頼性の高い広告塔となります。広告費をかけずに新規顧客を呼び込んでくれる、まさに「歩くメディア」なのです。
あなたのホテルを「推し」てもらうための3つの要素
では、どうすれば顧客に「推される」ホテルになることができるのでしょうか。単に快適な客室や美味しい食事を提供するだけでは、ファン化への道のりは遠いかもしれません。必要なのは、顧客の心を揺さぶり、記憶に深く刻まれる「物語」と「体験」です。ここではそのための3つの重要な要素を解説します。
1. 唯一無二の「コンセプト」を尖らせる
「誰にでも好かれよう」とする八方美人なホテルは、結局誰の心にも強く響きません。ファンを作る第一歩は、「私たちは、何者なのか」「誰に、どのような価値を提供したいのか」というコンセプトを極限まで尖らせることです。例えば、以下のような切り口が考えられます。
- 「本に囲まれて眠る」がコンセプトのホテル:ただ本棚があるだけでなく、選書のこだわり、コンシェルジュによる本の推薦、作家を招いたイベントなどを通じて、本好きにはたまらない空間を演出する。
- 「地域の食文化をとことん味わう」オーベルジュ:珍しい地元食材をただ使うだけでなく、生産者である農家さんとの交流イベントや、シェフと一緒に市場へ出かけるツアーなど、食の裏側にあるストーリーまで体験させる。
- 「デジタルデトックス」を追求する宿:客室にテレビやWi-Fiをあえて置かず、代わりにアナログなボードゲームや質の高い書籍、自然の音に浸れる環境を提供する。現代のストレスから解放されたいという強いニーズに応える。
コンセプトが明確であればあるほど、それに共鳴する特定の層に深く刺さり、「私のためのホテルだ」という強い当事者意識が芽生え、ファン化の土台ができます。
2. 「人」を最大の魅力にする
どれだけ素晴らしい施設やコンセプトがあっても、最終的に顧客の心を掴むのは「人」です。マニュアル通りの丁寧な接客を超え、スタッフ一人ひとりの個性や情熱が感じられる瞬間に、顧客は感動し、そのホテルやスタッフ個人のファンになります。
例えば、地域の歴史や文化に誰よりも詳しいカリスマコンシェルジュ、ゲストの好みを完璧に記憶し、さりげない気遣いを見せるレストランのサーバー、いつも笑顔で声をかけてくれる清掃スタッフなど、ホテル内で「推せるスタッフ」を見つけ、育て、積極的に発信していくことが重要です。ブログやSNSでスタッフのインタビュー記事を掲載したり、特定のスタッフが案内する館内ツアーを企画したりすることで、スタッフは単なる「従業員」から、顧客が会いに来たくなる「スター」へと変わります。
3. 宿泊以外の「体験価値」をデザインする
ファンは、単に「泊まる」ことだけを求めていません。そのホテルでしか得られない「特別な体験」を求めています。宿泊という行為の前後に、どのようなユニークな体験をデザインできるかが、ファンを熱狂させる鍵となります。
- 会員限定イベント:一般には公開されないシェフの新作料理試食会、支配人と語らう夜会、常連客だけが招かれる季節のイベントなどを開催し、特別感と帰属意識を高める。
- バックヤードツアー:ホテルの裏側、例えば厨房やリネン室、機械室などを支配人自らが案内するツアー。普段見られない世界に触れることで、ホテルへの理解と愛着が深まります。
- スキルアップ・ワークショップ:バーテンダーから学ぶカクテル教室、フラワーアレンジメント体験、地域の職人を招いた伝統工芸ワークショップなど、ゲストが新たな発見や学びを得られる機会を提供する。
これらの体験は、SNSでの格好の投稿ネタにもなり、UGCの創出を強力に後押しします。
ファンを育て、繋がるためのコミュニティ戦略
熱心なファンが生まれ始めたら、次のステップは彼らを孤立させず、繋がりを感じられる「コミュニティ」を形成することです。コミュニティは、ファン同士の交流を促し、ホテルへのエンゲージメントをさらに高める強力な装置となります。
会員制度を「コミュニティの入り口」へ
多くのホテルが導入している会員制度ですが、その多くは割引やポイント付与といった機能的価値の提供に留まっています。これを「ファンコミュニティの入り口」として再設計しましょう。ランクが上がるにつれて、前述したような会員限定イベントへの参加権や、一般客がアクセスできない情報へのアクセス権など、情緒的な価値や希少性の高い特典を付与します。これにより、会員であること自体が一種のステータスとなり、より上位のコミュニティへ参加したいという意欲を掻き立てます。
オンラインとオフラインでの交流
Facebookの非公開グループやLINEのオープンチャット、あるいはDiscordといったツールを活用し、オンライン上でファンが集う場を作るのも有効です。そこでは、ホテルからの情報発信だけでなく、ファン同士が「前回の滞在でこんな素敵なことがあった」「次はこのプランが気になる」といった情報交換を活発に行えるようにします。ホテル側は、こうした声に耳を傾け、時には議論に参加することで、顧客とのダイレクトな関係性を築くことができます。
そして年に数回、ファンミーティングのようなオフラインイベントを開催し、オンラインでの繋がりをリアルな体験へと昇華させましょう。スタッフとファン、そしてファン同士が顔を合わせることで、コミュニティへの結束はより強固なものになります。
地域共創:「ホテル推し」から「まち推し」へ
ファンの輪をさらに広げ、ホテルの価値を最大化する究極の戦略が「地域との共創」です。ホテル単体を「点」として推してもらうだけでなく、ホテルがハブとなり、周辺地域全体を「面」として推してもらうのです。
例えば、近隣の魅力的なパン屋さん、こだわりのコーヒーロースター、歴史ある酒蔵、腕の良い職人がいる工房などと積極的に連携します。宿泊プランに「あのパン屋さんの焼き立てパンと、あのロースターの淹れたてコーヒーで始まる朝食」を組み込んだり、「伝説の職人と作る一点物の器」体験ツアーを提供したりするのです。これにより、ゲストはホテル滞在を通じて地域全体の魅力を深く知ることになります。
結果として、ファンは「あのホテルに泊まりたい」から「あのホテルがある、あの街に行きたい」へと意識が変化します。ホテルは単なる宿泊施設ではなく、地域文化の発信拠点となり、唯一無二の存在価値を確立できるのです。これは、サステナビリティや地域貢献という観点からも、現代の旅行者が重視する価値観と合致しています。
まとめ
価格競争や人手不足といった厳しい環境の中、これからのホテルが生き残る道は、顧客との深く、長期的な関係性を築くことにあります。顧客を単なる数字として捉えるのではなく、一人ひとりの顔が見える「ファン」として捉え、彼らを熱狂させる「推し」の対象となること。そのために、自社のコンセプトを磨き、スタッフという「人」の魅力を最大限に引き出し、地域と共に物語を紡いでいく。こうした地道な活動こそが、OTAの評価や価格だけに左右されない、揺るぎない経営基盤を築き上げる唯一の道と言えるでしょう。あなたのホテルには、ファンが「推したくなる」どんな物語が眠っているでしょうか。まずはその原石を見つけることから始めてみませんか。
コメント