令和6年能登半島地震、そして2025年7月30日の津波警報と、我が国は相次ぐ自然災害の脅威に直面しています。これらの災害は、ホテル・旅館業界に新たな社会的責任と使命を突きつけています。単なる宿泊施設を超え、地域の防災拠点として、観光客の生命を守る砦として、そして地域復興の核となる存在としての役割が求められているのです。
今、業界全体でテクノロジーと人の温かみを融合させた防災対策が模索されています。従来の防災マニュアルに加え、AIやIoT、データ分析などの最新技術を活用することで、より迅速で確実な災害対応が可能となっています。本記事では、そうした革新的な取り組みを通じて、宿泊業の未来をつくる新たな防災の姿を探ります。
災害時におけるホテル・旅館の新たな社会的役割
避難所機能の強化と二次避難所としての活用
災害発生時、ホテル・旅館は二次避難所として重要な役割を果たします。避難所の数が不足する場合、旅館・ホテル等の借り上げにより避難所を確保することが災害対策基本法でも想定されています。実際に、熊本県では令和2年7月豪雨の際、新型コロナウイルス感染症対策や子育て世帯のプライバシー保護として、県内全域で受入れ可能なホテル・旅館を確保し、要配慮者等の避難者を受け入れました。
能登半島地震では、1家族単位で1客室に配宿という方針で被災者を受け入れ、硬い床の一次避難所とは異なり、十分な睡眠とプライバシーを確保できる環境を提供しました。料金は1万円(東日本大震災時は5千円)で国から直接支払われ、旅館ホテルが儲けもしないが損もしないギリギリの設定となっています。
要配慮者への配慮と地域連携
高齢者、障害者、乳幼児、妊産婦などの要配慮者に対する配慮は、ホテル・旅館の重要な責務です。全国の自治体では、宿泊施設との災害協定の締結が進んでおり、グリーンズグループでは全国17の自治体と協定を締結し、福祉避難所としてホテルを提供しています。
墨田区では、Airbnb Japan株式会社と「災害時における民泊施設提供の協力に関する協定」を締結し、自宅での生活に近い環境で生活ができるという民泊施設の特徴を活かした避難場所の提供を開始しました。
能登半島地震から学ぶ教訓
和倉温泉「加賀屋」の事例は、災害時の迅速な対応の模範となっています。震災発生時、館内にいた400人の宿泊客を負傷者もなく翌日には全員の帰宅支援を完了させました。支配人の道下範人氏は「お客様が何を要望されるか。私はおそらくこの危険な和倉の地から離れたいのではないか」と考え、マイクロバス11台で通常の倍の3時間ほどかけてJR金沢駅まで送り届けました。
この教訓から、地域全体での連携の重要性が浮き彫りになりました。観光客の送迎が各ホテルの判断となり、避難所に取り残された人もいたことから、「地震に備えて、ふだんから地元の人と情報共有を行うなど地域全体で連携し助け合っていくことが大切」との知見が得られています。
テクノロジーが変革する災害対応システム
AIチャットボットによる多言語災害情報発信
災害発生時の情報発信において、AIチャットボット技術が革新をもたらしています。株式会社アクティバリューズが開発した「talkappi」の「災害時モード」は、多言語対応のAIチャットボットを通じて、災害時の迅速な情報発信を支援します。
このシステムの特徴は以下の通りです:
- 多言語対応:高精度の自動翻訳エンジンを搭載し、ゲストのデバイス言語に応じて自動表示
- 簡単操作:専門知識がなくても操作できるシンプルな編集画面
- 緊急時対応:通常の二段階認証を省略し、IDとパスワードのみでスピーディーにアクセス可能
- 一括反映:LINE、WeChat、各種SNSとも連携し、更新内容が一括反映
300室のホテル(平均稼働率50%)では年間27,375件の予約があり、災害時には数千件、場合によっては数万件の問い合わせが殺到する可能性があります。AIチャットボットの導入により、スタッフの対応負担を大幅に軽減できます。
IoTセンサーを活用したリアルタイム監視
IoT技術は、災害発生時のリアルタイムモニタリングを可能にします。地震、洪水、火災などの緊急事態において、センサーデータを即座に取得し、早期警告システムを構築することで、住民に対する迅速で正確な警報が可能となります。
具体的な活用例:
- 地震・津波監視:自然災害をリアルタイムで監視するセンサーネットワーク
- 火災検知:建物内の煙や異常な温度を検知し、自動的に通報
- 水位監視:河川やため池の水位をリアルタイムでモニタリング
- 電力供給監視:停電発生時の電力供給復旧状況をリアルタイムで把握
高松市では、カメラや水位・潮位センサーを用いて河川や海岸部の水位・潮位、アンダーパス冠水情報、避難所の安全情報をリアルタイムに収集し、災害発生時の迅速な対応に活用しています。
災害時連携システムの構築
観光庁が推進する「宿泊業界向け緊急時連携システム」は、災害時の情報共有の課題を解決します。このシステムの特徴は:
- リアルタイム報告:各宿泊施設が被害状況や受け入れ可能な部屋数を迅速に入力
- ダッシュボード機能:自治体や宿泊業界団体が情報を迅速に把握
- 予約システム連携:自治体が直接宿泊施設の予約を行えるポータルサイト
- 多言語対応:外国人観光客や海外スタッフ向けの言語サポート
全国1,300施設が参加した防災訓練では、情報共有のリアルタイム性を高めるために、スマートフォンを活用したプッシュ通知機能や、位置情報を活用したマッピング機能の導入が求められています。
ホテル業界のDXと防災対策の融合
スマートホテルの防災機能
スマートホテルは、IoTやAIなどの先端技術を活用し、業務効率化と顧客体験の向上を図る新しいホテルの形です。防災の観点では、以下の機能が注目されています:
- センシング技術:天候、防災情報の通知や、ラウンジの混雑状況、洗濯機の使用状況などリアルタイム情報の提供
- 自動制御システム:客室管理、エネルギー制御などの業務を自動化
- 緊急時対応:停電時でも館内放送設備や客室電話が使用できる電源確保
データ分析による災害予測と対策
ホテル業界におけるDXの進展により、過去のデータから学習し、将来の災害発生リスクを詳細に予測することが可能になりました。ビッグデータ分析を活用することで:
- 宿泊者の動向やニーズの把握
- 災害発生パターンの分析
- 避難行動の最適化
- リソース配分の効率化
自動化システムと人的対応の最適なバランス
DXの導入は人手不足の解消につながりますが、ホテル業界ではおもてなしの精神との調和が重要です。災害時においても、テクノロジーによる迅速な情報提供と、人による温かい対応を組み合わせることで、最適な顧客体験を提供できます。
例えば、老舗旅館では真心のこもったおもてなしが求められる一方、ビジネスホテルでは無人化の促進や非接触システムに需要があります。災害時には、DXの導入によって従業員の負担が軽減された分、より細やかな気遣いやサービスを提供することが可能になります。
実践的な災害対策マニュアルとガイドライン
地震・津波発生時の初動対応
津波浸水想定区域に宿泊施設がある場合、緊急地震速報が鳴った時点で「津波避難」が必要になるかもしれないとの心構えを普段からしておくことが重要です。
- 地震発生時(0~3分):
- 地震警報が鳴ったら、職員が相互に声をかけあってヘルメットをかぶって机の下に避難
- お客様は応対している人間がカウンターの下などに誘導
- 地震沈静時(3~10分程度):
- 在館最上位者が初期対応責任者となる
- マスターキー、懐中電灯、ラジオ、宿帳、識別用マグネット等を用意
- 津波避難が必要な場合は速やかに避難を開始
宿泊客の安全確保と避難誘導
- 津波警報が出たら速やかに避難を開始
- お客様が集まらなくても順次誘導
- 高台避難の場合は、必ずスタッフが誘導
- 津波に耐えられる構造の場合、余裕を持った上部階への避難を指示
- 宿泊者台帳からお客様の人数と外出中の人数などを把握
- 台帳を基に、手分けしてお客様の安否確認
- 安否の確認ができた部屋のドアには、マグネットやテープで印をする
- スタッフにはヘルメットを着用させ、一目でスタッフと分かるようにする
多言語対応と外国人観光客への配慮
災害時には外国人ゲストの不安を和らげるため、母国語での情報提供が求められます。株式会社PWANが開発した電子多言語防災ガイドブックは、ホテルのWi-Fi接続時に自動表示される多言語(日本語、英語、簡体語、繁体語、韓国語)対応の災害時避難マニュアルです。
多言語対応の特徴:
- ホテルWi-Fiに接続するだけで防災BOOKにアクセス可能
- 避難経路の表示でスムーズな避難を支援
- Kindle版とWeb版の両方を提供
- 様々なデバイスで手軽に情報にアクセス可能
未来への展望:レジリエントなホテル経営の実現
事業継続計画(BCP)の重要性
災害時の事業継続には、平時からの準備が不可欠です。宿泊業界における**BCP(事業継続計画)**は、以下の要素を含む必要があります:
- 従業員の安全確保と役割分担
- 顧客の安全確保と避難誘導
- 施設の被害状況把握と復旧計画
- 地域との連携体制
- 情報発信と風評被害対策
災害を機会に変える経営戦略
災害は破壊的な側面だけでなく、変化の機会としても捉えることができます。能登半島地震の経験を踏まえ、以下のような取り組みが注目されています:
地域社会との共生と持続可能な観光
Airbnbが設立した全国的な災害対策プログラムは、47都道府県の選定地域で24時間以内に緊急避難先となる宿泊施設を提供する仕組みを構築しました。これは民泊プラットフォームが地域防災に貢献する新しいモデルとして注目されています。
宿泊施設は単なる事業者を超え、地域の防災拠点として、観光復興の核として、そして持続可能な観光の推進者として、より大きな社会的責任を担っています。
まとめ:テクノロジーと人のおもてなしが織りなす新しい防災の形
ホテル・旅館業界における防災対策は、従来の人的対応に加え、AI、IoT、データ分析などの最新テクノロジーを融合させることで、新たな次元に到達しています。能登半島地震の教訓、2025年7月30日の津波警報への対応、そして全国各地で進む災害協定の締結など、業界全体が災害に強いレジリエントな体制を構築しています。
重要なことは、テクノロジーの導入が人の温かみを損なうものではなく、むしろそれを支援し、より質の高いおもてなしを可能にするということです。AIチャットボットが多言語で情報を提供する一方で、スタッフは避難誘導や心のケアに専念できる。IoTセンサーがリアルタイムで状況を監視する一方で、人間の判断と経験が最終的な意思決定を支える。
このテクノロジーと人のおもてなしの調和こそが、宿泊業の未来をつくる新しい防災の姿なのです。自然災害の脅威は避けられませんが、私たちはテクノロジーの力を借りながら、より安全で、より安心できる宿泊体験を提供し続けることができるでしょう。そして何より、地域社会の一員として、観光客の生命を守り、地域の復興を支える重要な役割を果たしていけるのです。
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