はじめに:都市の風景を変える「コンバージョンホテル」という選択肢
近年、東京や大阪といった大都市の中心部で、オフィスビルや商業施設、あるいは歴史的建造物が、その姿を保ちながらホテルとして生まれ変わる事例が増えています。これは「コンバージョンホテル」または「用途転換型ホテル」と呼ばれるもので、ホテル業界における新たなビジネスモデルとして大きな注目を集めています。背景には、コロナ禍を経て変化したワークスタイルによるオフィスの空室率上昇、インバウンド需要の急回復に対する客室供給の必要性、そして深刻化する建設コストの高騰や人手不足といった複合的な要因が存在します。今回は、この「コンバージョンホテル」という手法に焦点を当て、そのメリット、課題、そして未来の可能性について深掘りしていきます。
コンバージョンホテルとは何か?
コンバージョンホテルとは、既存の建物の主要な構造躯体(骨組み)を維持したまま、内装や設備を全面的に改修し、ホテルへと用途を変更(コンバージョン)して再生させる開発手法を指します。よく似た言葉に「リノベーション」がありますが、リノベーションが既存の用途のまま建物の価値を向上させる改修(例:古いホテルを新しいホテルに改装)であるのに対し、コンバージョンは建物の用途そのものを変えるという点で大きく異なります。例えば、オフィスビルをホテルに、倉庫をレストランに、といったケースがコンバージョンにあたります。
なぜ今、コンバージョンホテルが注目されるのか?
この手法が注目される背景には、ホテル事業者、不動産オーナー、そして社会全体にとって多くのメリットが存在します。
1. コスト削減と工期の短縮
最大のメリットは、新築に比べて開発コストと期間を大幅に圧縮できる点です。ゼロから建物を建設する場合、既存建物の解体費用、地盤改良、基礎工事などに莫大なコストと時間がかかります。コンバージョンでは、これらの工程を大幅に省略できるため、初期投資を抑え、よりスピーディーにホテルを開業することが可能です。昨今の資材価格高騰や建設業界の人手不足を考慮すると、このメリットは非常に大きいと言えるでしょう。
2. 一等地での開発可能性
都市部、特に駅前などの利便性が高いエリアでは、新たにホテルを建設するためのまとまった土地を確保することは年々困難になっています。しかし、働き方の多様化で空室が目立つようになったオフィスビルなどは、こうした一等地に存在することが少なくありません。コンバージョンという手法を用いることで、従来ではホテル開発が難しかった好立地の物件を宿泊施設として再生させ、高い集客力を持つホテルを創出するチャンスが生まれます。
3. サステナビリティへの貢献と企業価値向上
既存の建物を再利用することは、建設廃棄物の削減や、製造・輸送時に排出されるCO2の抑制に繋がります。これは、世界的な潮流であるSDGs(持続可能な開発目標)の達成に貢献する取り組みであり、環境配慮型経営をアピールする絶好の機会となります。サステナビリティを重視する投資家や、環境意識の高い旅行者からの評価を高め、企業のブランドイメージ向上にも寄与します。
4. 唯一無二の体験価値の創出
コンバージョンホテルの最も魅力的な側面の一つが、元の建物の歴史や個性を活かした独創的な空間を創造できる点です。例えば、銀行だった建物の重厚な金庫扉をバーのエントランスにしたり、工場の高い天井やむき出しの配管をデザインとして取り入れたりすることで、新築のホテルでは決して真似のできない「物語性」のある空間が生まれます。こうしたユニークな体験は、宿泊客にとって忘れられない思い出となり、SNSでの拡散やリピート利用に繋がりやすくなります。
最近の事例では、2025年7月に開業した「Minn 日本橋水天宮前」もオフィスビルを再生したホテルであり、地域の歴史に新たな息吹を吹き込んでいます。
コンバージョンホテルの課題と乗り越えるべき壁
多くのメリットがある一方で、コンバージョンには特有の難しさや課題も存在します。
1. 法規制というハードル
建物の用途を変更するには、建築基準法や消防法といった様々な法規制をクリアする必要があります。特に、不特定多数の人が宿泊するホテルは、オフィスビルよりも厳しい安全基準が求められます。耐震補強の要件、避難経路の確保、スプリンクラー設備の設置義務など、元の建物の構造によっては、これらの基準を満たすための追加工事に想定以上のコストがかかる場合があります。
2. 設計・構造上の制約
元の建物の構造は、ホテルとしての最適なレイアウトを実現する上で制約となることがあります。
- 客室レイアウト:オフィスビルは建物の中心部に窓のない空間(コア)が集中していることが多く、全ての部屋に窓を設けるのが難しい場合があります。
- 水回り:客室ごとにバスルームを設置するための給排水管の配置は、コンバージョンにおける技術的な難所の一つです。床を上げて配管スペースを確保するなどの工夫が必要になります。
- 設備容量:ホテルはオフィスに比べて電気や空調、給湯の使用量が格段に多いため、既存の設備容量では不足することが多く、インフラの更新に大規模な投資が必要になるケースもあります。
3. 綿密な事業性評価
「好立地の空き物件だから」という理由だけで安易にコンバージョンを進めるのは危険です。そのエリアに本当に宿泊需要があるのか、ターゲットとすべき顧客層は誰か、周辺の競合ホテルとの差別化をどう図るかなど、綿密なマーケティングと事業性の評価が不可欠です。元の建物の制約の中で、どれだけの客室数を確保でき、どの程度の宿泊単価を設定できるのかを正確に試算し、投資回収計画を立てる必要があります。
国内外の象徴的なコンバージョンホテル事例
課題を乗り越え、成功を収めているコンバージョンホテルは数多く存在します。
エースホテル京都(新風館)
1926年に建てられた旧京都中央電話局の建物を一部保存・再生し、商業施設とホテルからなる複合施設として生まれ変わりました。建築家・隈研吾氏がデザインを手掛け、歴史的建造物の赤レンガとモダンな建築が見事に融合。地域の文化と歴史を尊重しながら、世界中のクリエイターが集う新たなカルチャーの発信地となっています。
K5(東京・日本橋兜町)
1923年に竣工した旧第一国立銀行の別館をリノベーションした複合施設で、その中に小規模なホテルが併設されています。「都市における自然との共存」をテーマに、建物内に植栽を大胆に取り入れ、金融街の歴史を感じさせる重厚な空間と緑が調和したユニークな世界観を創り出しています。
The Ned(ロンドン)
1920年代に建てられた旧ミッドランド銀行本店を、252室の客室と9つのレストラン、メンバーズクラブなどを備える巨大なラグジュアリーホテルにコンバージョンした象徴的な事例です。かつての銀行カウンターが並ぶグランドバンキングホールは圧巻の一言で、歴史的建築の壮麗さを最大限に活かした空間デザインは世界中から注目を集めています。
まとめ:未来のホテル開発を担うサステナブルな一手
コンバージョンホテルは、単なるコスト削減や不動産の有効活用という枠を超え、都市の記憶を未来に継承し、環境負荷を低減しながら、宿泊者に唯一無二の価値を提供する、極めて戦略的な開発手法です。法規制や設計上の課題など乗り越えるべきハードルは少なくありませんが、それらをクリアした先には、新築では得られない大きな競争優位性が待っています。空き家・空きビル問題という社会課題の解決策としても期待されるこの手法は、今後のホテルビジネスのあり方を考える上で、ますます重要な選択肢となっていくことでしょう。
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