アメニティ戦略が変わる:単なる消耗品からブランド体験の主役へ

ビジネス戦略とマーケティング

はじめに:ホテル選びの基準が変わる時代

かつてホテル選びの基準は、立地や価格が中心でした。しかし、消費者の価値観が多様化し、「そこでしか得られない体験」を求める傾向が強まる中、ホテルの役割も大きく変化しています。単に宿泊する場所から、滞在そのものが目的となる「デスティネーション」へと進化を遂げているのです。

この変化を象徴するニュースとして、民泊運営大手のmatsuri technologiesと寝具ブランドNELLの業務提携が挙げられます。この提携は「泊まる=休む」から「泊まる=整う」という体験への転換を目指すものであり、「睡眠の質」という極めてパーソナルな体験価値が、宿泊施設の新たな付加価値として注目されていることを示しています。
参考:matsuri technologiesとNELLが業務提携 「民泊に、ホテル級の朝を。」 宿泊体験の常識をアップデート

このような流れの中で、これまで「あって当たり前」の消耗品として扱われがちだったアメニティや客室備品の存在価値が、今、見直されています。本記事では、アメニティや備品が単なるコストではなく、ホテルのブランド価値を高め、顧客ロイヤルティを醸成するための強力なマーケティングツールとなり得ることを、具体的な戦略とともに掘り下げていきます。

なぜ今、アメニティ戦略が重要なのか?

宿泊業界、特に競争の激しい都市部のホテル市場では、施設のコモディティ化が深刻な課題です。似たような価格帯、似たようなサービスのホテルが乱立する中で、ゲストの記憶に残り、再訪したいと思わせる「何か」がなければ、価格競争の渦に飲み込まれてしまいます。ここで鍵を握るのが、細部にまでこだわり抜いたアメニティ戦略です。

SNS時代の「UGC(ユーザー生成コンテンツ)」を誘発する力

現代のマーケティングにおいて、UGC、つまり顧客自身が発信する口コミやSNS投稿の影響力は絶大です。パッケージデザインが美しいシャンプー、地元由来の特別な香りがするバスソルト、高品質で肌触りの良いパジャマ。これらは、ゲストが思わず写真に撮って「#ホテルステイ」のハッシュタグと共にシェアしたくなる格好の「コンテンツ」です。

ホテルが多額の広告費を投じて宣伝するよりも、実際に滞在したゲストによるリアルな投稿の方が、遥かに高い訴求力と信頼性を持ちます。ユニークで質の高いアメニティは、UGCを自然発生させる強力なトリガーとなり、コストをかけずに認知度とブランドイメージを向上させる効果が期待できるのです。

ブランドストーリーを伝える媒体としての役割

アメニティは、ホテルのコンセプトやフィロソフィーをゲストに伝えるための重要な媒体です。例えば、環境保護を重視するホテルがサステナブルなブランドの製品を採用したり、地域の文化を大切にする旅館が地元の工房で作られた茶器や銘菓を用意したりすることで、その姿勢や世界観を雄弁に物語ることができます。

ただ高級なブランド品を並べるだけでは、ストーリーは生まれません。なぜそのアメニティを選んだのか、その背景にある物語やこだわりを伝えることで、ゲストは単なる「モノ」としてではなく、ホテルが提供する「体験」の一部としてアメニティを認識し、ブランドへの共感と愛着を深めていくのです。

成功するアメニティ戦略の3つの視点

では、具体的にどのような視点でアメニティ戦略を構築すればよいのでしょうか。ここでは「サステナビリティ」「パーソナライゼーション」「エクスペリエンス」という3つのキーワードから、現代のホテルに求められるアメニティ戦略を解説します。

1. サステナビリティ(持続可能性)

SDGsへの関心の高まりを受け、環境への配慮はホテルにとって必須の取り組みとなりました。特に2022年4月に施行された「プラスチック資源循環促進法」は、ホテルのアメニティ提供に大きな影響を与えています。

多くのホテルでは、使い捨ての歯ブラシやヘアブラシなどをフロントでの提供に切り替えたり、有料化したりする動きが加速しました。さらに一歩進んで、プラスチック使用量を削減した製品や、竹などの代替素材でできた製品を選ぶホテルも増えています。また、シャンプー類を個包装から、デザイン性の高い詰め替え式のボトルディスペンサーに切り替えることも、ゴミの削減とコスト削減、そしてブランドイメージの向上を同時に実現する有効な手段です。

こうしたサステナブルな取り組みは、環境意識の高い顧客層に強くアピールし、ホテルの社会的評価を高める上で不可欠な要素となっています。

2. パーソナライゼーション(個別最適化)

すべての顧客に同じものを画一的に提供する時代は終わりました。顧客一人ひとりの好みやニーズに合わせてサービスを最適化する「パーソナライゼーション」は、アメニティ戦略においても極めて重要です。

具体的な手法としては、複数のブランドや種類のシャンプー、コンディショナー、ボディソープなどを用意し、ゲスト自身が自由に選べる「アメニティバー」を設置する試みが注目されています。また、予約時やチェックイン時に、ウェブや客室タブレットを通じてアメニティの好みを事前にヒアリングし、客室にセットしておくサービスも顧客満足度を大きく高めます。

CRM(顧客関係管理)システムと連携させれば、さらに高度なパーソナライゼーションが可能です。リピーターの過去の選択履歴に基づき、「前回お選びいただいた〇〇をご用意しておきました」といった一歩踏み込んだサービスを提供することで、ゲストは「自分のことを覚えてくれている」という特別な満足感を得ることができるでしょう。

3. エクスペリエンス(体験価値の創出)

最終的にアメニティ戦略が目指すべきは、単なる「モノ」の提供ではなく、心に残る「体験」の創出です。そのアメニティがあるからこそ、そのホテルに泊まりたいと思わせるほどの魅力が求められます。

例えば、Aesop(イソップ)やLe Labo(ル ラボ)といったカルト的な人気を誇るライフスタイルブランドのアメニティは、それ自体が宿泊の強力な動機となり得ます。また、冒頭で紹介したNELLのように「最高の睡眠」をテーマに掲げ、高品質なマットレスだけでなく、肌触りの良いオーガニックコットンのパジャマ、数種類から選べる枕、癒やし効果のあるピローミスト、安眠を誘うハーブティーなどを総合的に提供するアプローチも、非常に強力な体験価値を生み出します。

コーヒー一杯をとっても、インスタントではなく、地元の有名ロースタリーが焙煎したスペシャルティコーヒーのドリップバッグと、こだわりのカップを用意するだけで、客室での時間がより豊かで特別なものに変わります。こうした細部へのこだわりが、忘れられない宿泊体験を創り上げるのです。

アメニティ戦略とテクノロジーの融合

これまで述べてきたような高度なアメニティ戦略を実現するためには、テクノロジーの活用が欠かせません。

まず、PMS(ホテル管理システム)やCRMに蓄積された顧客データを分析することで、アメニティの需要予測が可能になります。どの客層がどのアメニティを好むのか、季節や曜日によって需要はどう変動するのかを把握できれば、発注量を最適化し、無駄な在庫やコストを削減できます。

また、アメニティは新たな収益源にもなり得ます。客室に設置したアメニティをゲストが気に入った場合、その場で客室タブレットやQRコードからECサイトにアクセスし、購入できるようにするのです。これは物販によるアップセルというだけでなく、ゲストが自宅に戻ってからもホテルでの体験を追体験できる機会を提供し、ブランドとの長期的な関係を築く上で非常に有効です。

さらに、スマート客室の導入は、アメニティに関するゲストからのリクエスト対応を効率化します。ゲストが客室タブレットからワンタップでタオルやアメニティの追加をリクエストできれば、電話応対の必要がなくなり、スタッフはより迅速かつ正確に対応できます。これにより、スタッフの業務負荷を軽減しつつ、顧客満足度を向上させることが可能になります。

まとめ

アメニティや客室備品は、もはや単なるコストセンターや消耗品ではありません。ホテルのブランド価値を具現化し、顧客とのエンゲージメントを深め、競合との差別化を図るための「戦略的投資」と捉えるべきです。

「サステナビリティ」「パーソナライゼーション」「エクスペリエンス」という3つの視点を軸に自社のアメニティ戦略を見直し、そこにテクノロジーを融合させることで、顧客満足度と収益性を同時に高めることができます。

宿泊という行為がコモディティ化していく中で、ゲストの心に深く刻まれるのは、こうした細部にまで行き届いたこだわりと、それによって生み出される特別な体験です。これからのホテル経営において、アメニティ戦略こそが、持続的な成功を収めるための重要な鍵を握っていると言えるでしょう。

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