はじめに
ホテル業界への就職や転職を考えている皆さん、そして既にホテリエとして活躍されている皆さん。「ホテルで働く」と聞いて、どのような仕事を思い浮かべるでしょうか。多くの方が、心のこもったおもてなしや、お客様との温かい交流をイメージするかもしれません。もちろん、それはホテルという仕事の最も美しく、本質的な部分です。しかし、これからの時代を勝ち抜くホテリエには、もう一つ、非常に強力な武器が必要になります。それが「データ分析スキル」です。
「え、おもてなしの仕事なのにデータ?」と意外に思う方もいるかもしれません。しかし、現代のホテル運営において、データは石油にも匹敵する貴重な資源です。お客様の満足度をさらに高め、ホテルの収益を最大化し、そしてあなた自身のキャリアを切り拓くために、データという羅針盤をどう使いこなすかが問われています。この記事では、なぜ今ホテリエにデータ分析スキルが求められるのか、そしてそのスキルを現場でどのように活かし、身につけていけばよいのかを、具体的なステップに沿って解説していきます。
なぜホテリエにデータ分析スキルが必要なのか?
かつてのホテル運営は、支配人やベテランスタッフの経験と勘に頼る部分が多くありました。しかし、顧客ニーズが多様化し、競争が激化する現代において、経験や勘だけでは乗り越えられない壁に直面します。そこで重要になるのが、客観的な事実に基づいた意思決定、すなわちデータドリブンなアプローチです。
1. 顧客理解を「深化」させる
「お客様を理解する」ことは、おもてなしの第一歩です。データは、その理解を感覚的なものから、より深く、具体的なものへと進化させてくれます。例えば、ホテルの予約管理システム(PMS)や顧客管理システム(CRM)には、お客様の属性(年齢、居住地)、過去の宿泊履歴、利用した付帯施設、特別なリクエストといった情報が蓄積されています。これらのデータを分析することで、「リピート顧客はどのようなプランを好むのか」「記念日利用のお客様は、レストランでのサプライズを喜ぶ傾向がある」「特定の国からのお客様は、高層階を好む」といった、個々の顧客や顧客層ごとの特徴(インサイト)を発見できます。このインサイトに基づいたパーソナライズされたサービスは、お客様に「自分のことを分かってくれている」という特別な感動を与え、ロイヤリティの向上に直結します。
2. 収益管理(レベニューマネジメント)の精度を高める
ホテルの商品は「客室」という在庫であり、売れ残っても翌日に繰り越すことはできません。そのため、需要と供給を予測し、日々の客室単価を最適化するレベニューマネジメントは、ホテル経営の生命線です。このレベニューマネジメントの根幹を支えるのがデータ分析です。過去の宿泊実績、予約のペース、曜日、季節性、周辺のイベント情報、競合ホテルの価格動向など、無数のデータを分析することで、より精度の高い需要予測が可能になります。これは専門部署だけの仕事ではありません。フロントスタッフが「今日の予約ペースはいつもより速いな」と感じたことをデータで裏付けたり、宿泊予約担当が「来月の国際会議の期間、強気の価格設定でも予約は埋まるだろう」と予測したりする際にも、データ分析の視点は不可欠です。データに基づいた価格戦略は、売上と利益の最大化に大きく貢献します。
3. 業務の「効率化」と「質の向上」
データ分析は、お客様へのサービスだけでなく、バックヤード業務の改善にも大きな力を発揮します。例えば、時間帯ごとのチェックイン・チェックアウトの件数を分析すれば、フロントの人員配置を最適化し、お客様の待ち時間を減らすことができます。レストランでどのメニューがどのくらい注文されているかを分析(ABC分析など)すれば、人気メニューに合わせた食材の仕入れ計画を立て、フードロスを削減できます。また、お客様からのクレームやご意見をデータとして蓄積・分析すれば、「シャワーの水圧が弱い」といった設備の問題や、「朝食会場が混雑している」といった運営上の課題を特定し、優先順位をつけて改善に取り組むことができます。業務の効率化は、スタッフの負担を軽減し、より創造的で付加価値の高い仕事に集中する時間をもたらします。
現場で活かせるデータ分析の具体例
では、実際にホテルの現場でデータ分析はどのように活かせるのでしょうか。いくつかの部署を例に見てみましょう。
フロント業務:
お客様のチェックイン時、PMSの画面に表示された過去の宿泊履歴を見て、「〇〇様、いつもご宿泊いただきありがとうございます。前回は海側のお部屋でいらっしゃいましたが、今回も同じタイプのお部屋をご用意いたしました」とお声がけする。これは初歩的ですが、立派なデータ活用です。さらに、予約データから団体客の到着時間を予測し、事前にルームキーを準備しておく、あるいは個人客のチェックインが少ない時間帯に事務作業を集中させるといった工夫も、データに基づいた業務改善と言えるでしょう。
レストラン業務:
POSシステムの売上データを分析し、曜日や時間帯ごとの人気メニューを把握します。例えば、「平日のランチではAセットが圧倒的に人気だが、週末はコース料理の注文が増える」ということが分かれば、平日はAセットの食材を多めに準備し、週末はコース料理をお勧めするトークをスタッフで共有する、といった戦略が立てられます。これにより、お客様満足度の向上と売上アップ、食材ロスの削減という一石三鳥の効果が期待できます。
マーケティング・宿泊予約業務:
どの予約サイト(OTA)経由の予約が多いのか、公式サイトからの直接予約はどのような顧客層に響いているのかを分析します。もし、「20代のカップルは特定のOTA経由での予約が多い」という傾向が見えれば、そのOTAで若者向けの限定プランを打ち出す、といった施策が考えられます。また、顧客アンケートのテキストデータを分析し、「アクセスが良い」「朝食が美味しい」といったポジティブなキーワードや、「部屋が少し暗い」といったネガティブなキーワードを抽出することで、自社の強みと弱みを客観的に把握し、マーケティングメッセージや施設改善に活かすことができます。
データ分析スキルを身につけるための4ステップ
「自分には難しそう」と感じる必要はありません。特別な才能は不要です。日々の業務の中で少し意識を変えることから、誰でもデータ分析スキルを磨き始めることができます。
Step 1: 目の前の「数字」に興味を持つ
まずは、日々の業務報告書やミーティングで出てくる数字に「なぜ?」と問いかける癖をつけましょう。「今日の稼働率は85%だった」という事実に対して、「なぜ85%だったんだろう?」「先週の同じ曜日と比べてどう違う?」「目標に対してはどうだった?」と考えてみるのです。この小さな好奇心が、データ分析の入り口です。
Step 2: 「Excel」と友達になる
多くのホテルで最も身近なデータ分析ツールはExcelです。SUM(合計)やAVERAGE(平均)といった基本的な関数から、特定の条件に合うデータを集計するSUMIFやCOUNTIF、そして膨大なデータを自在に集計・分析できる「ピボットテーブル」まで、Excelの機能を使いこなせるようになると、見える世界が大きく変わります。まずは簡単な売上データを使って、曜日別の売上集計や商品別のランキングなどをピボットテーブルで作成してみることから始めるのがおすすめです。
Step 3: ホテルシステム(PMS/CRM)のデータを覗いてみる
あなたが働くホテルで使われているPMSやCRMには、どのようなデータが蓄積されているか知っていますか?上司や先輩に許可を得て、どのようなレポートが出力できるのか、どのような顧客情報が閲覧できるのかを確認してみましょう。「こんなデータも取れていたのか!」という発見が、新たな分析のアイデアにつながります。
Step 4: 外部のリソースで体系的に学ぶ
基礎を固め、さらにスキルアップを目指すなら、外部の学習リソースを活用するのも有効です。UdemyやCourseraといったオンライン学習プラットフォームには、データ分析入門や統計学の基礎に関する講座が豊富にあります。また、書店でデータ分析関連の入門書を手に取ってみるのも良いでしょう。もし、より専門的なキャリア(レベニューマネージャーやマーケターなど)を目指すのであれば、SQL(データベースを操作する言語)や、Tableau、Power BIといったBI(ビジネスインテリジェンス)ツールの使い方を学んでおくと、キャリアの可能性が大きく広がります。
まとめ
これからのホテリエにとって、データ分析スキルは、英語力やコミュニケーション能力と並ぶ、必須のスキルセットになっていくでしょう。それは、単にコンピュータに強くなるということではありません。「おもてなしの心」というアナログな強みと、「データに基づいた論理的思考」というデジタルな強みを掛け合わせることで、お客様一人ひとりに最適化された、真に価値のある体験を創造する力です。
データは、あなたに新しい視点を与えてくれます。日々の業務の中に隠された課題やチャンスを発見し、あなたの提案に客観的な説得力をもたらし、そして何よりも、あなたの仕事をもっと面白くしてくれます。データ分析スキルを身につけることは、あなた自身の市場価値を高め、将来のキャリアパスを支配人、マーケティング責任者、レベニューマネジメントの専門家など、多岐にわたって切り拓くための強力なエンジンとなるはずです。今日から、目の前の数字に少しだけ注意を向けてみませんか?その小さな一歩が、あなたのホテリエとしての未来を大きく変えるかもしれません。
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