はじめに:ホテルは「誰が」「どうやって」作るのか?
ホテルが開業するまでには、土地を確保し、建物を設計・建築する「開発」フェーズと、開業後に日々のサービスを提供し、収益を上げていく「運営」フェーズが存在します。従来、この二つは明確に分業されていました。不動産デベロッパーが「開発」を担い、完成した建物をホテルオペレーター(運営会社)が借り受けたり、運営を委託されたりして「運営」を行う。この分業体制は、それぞれの専門性を活かせる合理的な仕組みとして、長らくホテル業界のスタンダードでした。
しかし、市場が成熟し、ゲストのニーズが多様化する中で、この分業体制の弊害も指摘されるようになってきました。開発側の論理が優先され、運営現場の視点が反映されにくい「ハコモノ」が生まれてしまうケースです。そんな中、この常識に一石を投じる興味深いニュースが飛び込んできました。
Axion Hotels TENJIN(アクシオンホテルズ天神)グランドオープン!開発×運営の新たな挑戦、柴田産業とホテリエが手を組んだ宿泊事業 | 株式会社ホテリエのプレスリリース
福岡・天神エリアに新たに開業した「Axion Hotels TENJIN」は、LPガス事業などを手掛ける柴田産業が「開発」を、ホテル運営のプロフェッショナル集団である株式会社ホテリエが「運営」を担うだけでなく、開発段階から両者が密に連携して作り上げたホテルです。
この事例は、単なる新規開業のニュースに留まりません。「開発」と「運営」が手を取り合うことで、これからのホテル開発・運営はどう変わっていくのか。本記事では、この異業種タッグが示す新たな可能性を深掘りし、ホテル業界が向かうべき未来について考察します。
なぜ「開発」と「運営」は分かれていたのか?
そもそも、なぜホテル開発と運営は分業が基本だったのでしょうか。その背景には、それぞれの事業が求める専門性とリスク特性の違いがあります。
開発(デベロッパー)の役割と論理
不動産デベロッパーの主なミッションは、土地のポテンシャルを最大限に引き出し、不動産価値を最大化することです。用地買収から許認可の取得、設計・建設、そして資金調達まで、巨額の投資と複雑なプロジェクトマネジメントが求められます。彼らにとってホテルは、数ある不動産アセット(オフィス、商業施設、レジデンスなど)の一つであり、投資回収率(ROI)や不動産としての売却価値が重要な判断基準となります。
運営(オペレーター)の役割と論理
一方、ホテルオペレーターのミッションは、日々のオペレーションを通じてゲストに価値を提供し、継続的な収益を生み出すことです。人材の採用・育成、サービスの品質管理、マーケティング、レベニューマネジメントなど、労働集約的で専門的なノウハウが求められます。彼らにとって重要なのは、RevPAR(販売可能な客室1室あたりの売上)やGOP(総支配人利益)、そして顧客満足度です。
このように、両者は時間軸も評価指標も異なります。この違いが、時に両者の間に溝を生む原因となっていました。例えば、デベロッパーは建設コストを抑えるために、デザイン性は高いもののオペレーション効率の悪い設計を採用してしまうことがあります。逆にオペレーターは、長期的な運営を見据えて高品質な設備を求めますが、それが初期投資を圧迫することもあります。こうした構造的な課題を抱えつつも、専門分化による効率性とリスク分散の観点から、分業体制は維持されてきました。特に、ホテルを「所有」せず「運営」に特化するアセットライト化は、世界的なホテルチェーンの成長戦略の核となっています。
「融合」が生み出す3つの価値
では、「Axion Hotels TENJIN」のように開発段階から運営者が深く関与する「融合」モデルは、具体的にどのような価値を生み出すのでしょうか。大きく3つの点が挙げられます。
1. 顧客体験の最適化
最大のメリットは、ゲストとスタッフ、双方の視点が設計の初期段階から反映されることです。例えば、客室内のコンセントの位置や数、照明スイッチの分かりやすさ、シャワーの水圧といった細かな点は、実際に「泊まる」「働く」視点がなければ最適化が難しい部分です。また、清掃スタッフの動線やリネンの保管場所といったバックヤードの設計は、オペレーション効率に直結し、ひいてはサービスの質や人件費コストにも影響します。開発と運営が一体となることで、こうした「生きた知見」がハードに組み込まれ、真に使いやすい、満足度の高いホテルが生まれるのです。
2. 収益性の最大化
運営のプロは、その土地のマーケットを熟知しています。どのような客層をターゲットにすべきか、競合に対してどのような強みを持つべきか、そして、そのためにはどのような客室構成や付帯施設が必要か。こうした収益に直結する戦略を、開発の企画段階から反映させることができます。例えば、「周辺にはビジネスホテルが多いから、少し広めの客室でレジャー客を取り込もう」「インバウンドの長期滞在者向けに、ミニキッチン付きの部屋を増やそう」といった判断が、設計図に落とし込まれるのです。これにより、開業後のミスマッチを防ぎ、無駄な投資を避け、ホテルの収益性を最大化することが可能になります。
3. コンセプトの一貫性とブランド価値の向上
ホテルが提供する価値は、建物というハードと、サービスというソフトが一体となって初めて生まれます。開発と運営が分断されていると、どんなに立派なコンセプトを掲げても、ハードとソフトがちぐはぐになってしまうことがあります。「自然との共生」を謳いながら、実際には使いにくいデザインの客室だったり、「地域との連携」を掲げながら、レストランのメニューはありきたりなものだったり。開発の初期段階から運営者が関わり、ブランドのストーリーテリングを共有することで、ハードとソフトが完全にシンクロした、一貫性のある強力なブランドを構築することができるのです。
異業種タッグがホテリエの未来をどう変えるか
「開発×運営」の融合は、ホテルそのものの価値を高めるだけでなく、そこで働くホテリエのキャリアにも大きな影響を与えます。
これまでホテリエのキャリアパスは、ホテルという「現場」の中での昇進が主でした。しかし、開発段階からプロジェクトに関わる経験は、ホテリエに新たな視点とスキルをもたらします。それは、不動産開発の知識、ファイナンスの視点、そして建築家やデザイナーといった異分野のプロフェッショナルと渡り合う交渉力です。
こうした経験を積んだホテリエは、もはや単なる「運営のプロ」ではありません。ホテルの事業価値を根幹から創造できる「事業開発のプロ」へと進化します。これは、ホテリエの市場価値を飛躍的に高めることを意味します。将来的には、独立してホテル開発のコンサルティングを手掛けたり、自らがデベロッパーと組んで新しいホテルブランドを立ち上げたりといった、業界の壁を越えるキャリアが現実のものとなるでしょう。ホテル運営会社も、こうした人材をいかに育成し、社内にリテインしていくかが、今後の競争力を左右する重要な経営課題となります。
まとめ:ホテルは「作る」段階から「おもてなし」が始まっている
「Axion Hotels TENJIN」の挑戦は、ホテル業界における「開発」と「運営」の新しい関係性を象徴しています。もはやホテルは、完成した「ハコ」にサービスという「魂」を吹き込むものではありません。企画・開発という、いわばホテルのDNAが形成される段階から、ゲストの体験価値を最大化するという「おもてなし」の思想が組み込まれていなければ、真に選ばれるホテルにはなれない時代が来ています。
この動きは、ホテル業界全体に大きな問いを投げかけています。デベロッパーは、不動産価値だけでなく事業価値を共創するパートナーをどう見つけるか。オペレーターは、自社の運営ノウハウをいかに言語化し、開発プロジェクトに貢献できる「価値」として提示できるか。そしてホテリエ一人ひとりは、日々のオペレーションの先に、ホテルの価値創造の源流があることを意識し、学び続けることができるか。ハードとソフトの垣根が溶け合う時代、その変化に対応できた者だけが、次の時代のホテル業界をリードしていくことになるでしょう。
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