そのキャリア、ホテルの中だけで完結していませんか?
ホテル業界を志し、日々の業務に邁進するあなたへ。フロント、ベル、コンシェルジュ、レストランサービス、セールス、マーケティング…。一つの道を究めるべく、専門性を磨く毎日を送っていることでしょう。現場で経験を積み、スーパーバイザー、マネージャーへとステップアップしていく。それは、ホテリエとして王道ともいえるキャリアパスです。しかし、変化の激しいこの時代、そのレールの上を歩み続けるだけで、本当に未来は拓けるのでしょうか。
顧客の価値観は多様化し、テクノロジーは日進月歩で進化を遂げ、異業種からの参入も相次ぐホテル業界。昨日までの「当たり前」が、明日には通用しなくなるかもしれません。このような予測不能な時代において、自身の市場価値を高め、長く輝き続けるために必要なのは、一つの専門性を深める「深耕」に加えて、異なる分野へ意識的に足を踏み入れる「越境」という視点です。この記事では、これからのホテリエにとってなぜ「越境」が重要なのか、そして、どのようにキャリアに「越境」を取り入れ、自身の価値を飛躍させていくのかについて、具体的な方法と共に掘り下げていきます。
なぜ今、ホテリエに「越境」が必要なのか?
「越境学習」とは、もともと経営学の分野で注目されてきた概念で、自身が所属する組織の枠組みや常識を一度離れ、異なる環境に身を置くことで新たな視点やスキル、ネットワークを獲得する学びのスタイルを指します。これが今、ホテル業界で働く私たち一人ひとりにとって、極めて重要な意味を持つのです。
業界構造の変化と求められるスキルの多様化
かつてホテルは「ホテル」という閉じた世界で競争していました。しかし今は違います。民泊プラットフォームの台頭、IT企業による宿泊予約サービスの進化、さらには全く異なる業界が提供する「体験」そのものが競合となり得る時代です。こうした環境下でホテルが生き残るためには、施設というハコモノを提供するだけでなく、顧客体験をいかにデザインし、収益を最大化していくかという視点が不可欠です。それはつまり、現場のオペレーションスキルだけでは不十分であり、データ分析に基づいたマーケティング戦略、顧客との関係を深めるCRMの知識、新たな収益源を生み出す企画力、そしてそれらを実行するプロジェクトマネジメント能力など、より多岐にわたるスキルが求められることを意味します。これらのスキルは、必ずしもホテルの中だけで身につくものではありません。
キャリアの陳腐化リスクという現実
一つのホテル、一つの部署で長く働き続けることは、その分野のプロフェッショナルになるという側面がある一方で、無意識のうちに視野が狭まり、思考が固定化してしまうリスクを孕んでいます。いわゆる「うちのホテルではこうだから」という思考停止です。業界全体が大きな変革期にある中で、特定の組織の「常識」しか知らなければ、環境の変化に対応できず、自身のスキルセットが気づかぬうちに陳腐化してしまう恐れがあります。キャリアを会社に委ねるのではなく、自らデザインしていくという意識が、これまで以上に重要になっているのです。ジェネラリストとスペシャリストのどちらを目指すかという議論がありますが(ジェネラリストか、スペシャリストか。市場価値を高めるホテリエの専門性戦略)、そのどちらの道を選ぶにせよ、「越境」による外部の視点を取り入れることが、自身の価値を相対化し、高める上で不可欠なのです。
キャリアを飛躍させる4つの「越境」
では、具体的にどのような「越境」が考えられるのでしょうか。ここでは、キャリアのステージや個人の関心に応じて実践可能な4つの「越境」のタイプをご紹介します。
1. 組織内の越境(部署横断)
最も身近で、すぐにでも挑戦できるのが組織内での越境です。自分が所属する部署の壁を越えて、他部署の業務に積極的に関わってみましょう。
具体例:
- 宿泊部門のスタッフが、セールス部門の法人営業に同行させてもらう。
- レストランのサービススタッフが、広報・マーケティング部門のSNSコンテンツ企画会議に参加する。
- フロントスタッフが、経理部門と協力してレベニューマネジメントのデータ分析を手伝う。
得られるもの:
こうした経験を通じて、ゲストへのサービスという「点」の視点から、ホテルビジネスがどのように成り立っているのかという「面」の視点へと引き上げることができます。各部署がどのようなKPIを追い、どんな課題を抱えているのかを知ることは、ホテル全体の収益構造を理解することに繋がり、計数管理能力の基礎を養う絶好の機会です。また、他部署との連携がスムーズになり、部門間の「板挟み」を解消する調整力も磨かれます。
2. 組織間の越境(ホテル・ブランド横断)
一つの会社やブランドに留まらず、異なる文化やビジネスモデルを持つホテルへ移ることも、価値ある「越境」です。
具体例:
- 外資系のラグジュアリーホテルから、特化型で高効率なオペレーションを追求する日系のビジネスホテルチェーンへ転職する。
- 大規模なチェーンホテルから、支配人の裁量が大きく地域密着型の独立系ホテルへ移籍する。
- 都市部のホテルから、自然に囲まれたリゾートホテルへキャリアチェンジする。
得られるもの:
異なる環境に身を置くことで、これまで培ってきたスキルがどこまで通用するのか、その汎用性を試すことができます。また、新しいオペレーションやサービス哲学に触れることで、自らの「当たり前」が問い直され、思考の柔軟性が養われます。特に、多様なバックグラウンドを持つスタッフやゲストと接する機会は、語学力はもちろんのこと、その背景にある文化や価値観を理解しようとする異文化理解力を飛躍的に高めてくれるでしょう。
3. 業界間の越境(異業種経験)
さらに視野を広げ、ホテル業界の「外」に目を向けることも、キャリアに大きなブレークスルーをもたらす可能性があります。
具体例:
- 一度ホテル業界を離れ、IT企業でデジタルマーケティングやデータ分析の経験を積んだ後、再びホテル業界に戻りDX推進を担う。
- 航空会社の客室乗務員としての経験を活かし、ホテルのゲストリレーションズ部門で新たなサービスを創造する。
- 副業として、地域の観光協会と連携し、インバウンド向けの体験コンテンツを企画・運営する。
得られるもの:
異業種の論理やビジネスモデルを学ぶことで、ホテル業界の慣習を客観的に見つめ直し、新たな発想やイノベーションを生み出す源泉となります。特に、テクノロジー、エンターテインメント、リテールといった他業界の顧客体験設計の手法は、ホテルサービスを向上させる上で大きなヒントを与えてくれます。また、こうした越境は、多様なプロフェッショナルとの人脈を築くことにも繋がり、困難な課題に直面した際に周囲を巻き込みながら解決へと導く巻き込み力を実践的に鍛える貴重な機会となるでしょう。
4. 知の越境(学び直し)
物理的に場所を移動するだけでなく、新たな知識やスキルを学ぶ「知の越境」も、キャリアを豊かにする上で極めて有効です。
具体例:
- 働きながら社会人大学院に通い、経営学修士(MBA)を取得する。
- オンライン学習プラットフォームを活用し、プログラミングやデータサイエンスの基礎を習得する。
- ソムリエや利き酒師の資格を取得したり、地域の歴史や文化に関する講座に参加したりして、専門知識を深める。
得られるもの:
日々の業務で培った経験則を、体系的な知識によって裏付けることで、より説得力のある提案や意思決定が可能になります。論理的思考力や課題設定能力が磨かれ、物事を構造的に捉える力が身につきます。また、学びの場で出会う多様な業種・職種の人々との交流は、新たな視点や刺激を与えてくれ、自身のキャリアを客観的に見つめ直すきっかけにもなります。
「越境」をキャリアの武器にするための3つのステップ
「越境」は、ただ環境を変えればいいというものではありません。その経験を自らの血肉とし、キャリアの武器に変えていくためには、意識的な取り組みが必要です。
Step 1: 現在地の把握(自己分析)
まずは、自分自身が「何をしたいのか(Will)」「何ができるのか(Can)」「何をすべきか(Must)」を冷静に分析し、キャリアの現在地を把握することから始めましょう。これまでの経験で得たスキル、自身の強みや弱み、そして何に心を動かされるのか。これらを言語化することで、次に踏み出すべき「越境」の方向性が見えてきます。
Step 2: 小さな一歩を踏み出す(スモールステップ)
いきなり転職や大学院進学といった大きな決断をする必要はありません。大切なのは、コンフォートゾーン(快適な領域)から一歩踏み出す勇気です。まずは社内の公募プロジェクトに手を挙げてみる、興味のある分野のオンラインセミナーに参加してみる、副業として週末だけ新しいことに挑戦してみるなど、小さな一歩から始めてみましょう。挑戦には失敗がつきものですが、その経験こそが成長の糧となります。まさに「失敗は最高の教科書」なのです。
Step 3: 経験を言語化し、接続する(意味づけ)
「越境」経験を価値あるものにする上で最も重要なのが、このステップです。その経験から何を学び、どのような気づきがあったのか。そして、その学びが現在の仕事や将来のキャリアにどう繋がるのかを、自分自身の言葉で語れるように整理しましょう。一見バラバラに見える経験も、自らの言葉で意味づけし、繋ぎ合わせることで、あなただけのユニークなキャリアストーリーとなります。これは、過去の記事で触れた「「点」の経験を「線」にする」というプロセスそのものです。
まとめ:あなたのキャリアは、あなた自身がデザインするもの
もはや、会社がキャリアを用意してくれる時代は終わりました。ホテリエ一人ひとりが、自らのキャリアのオーナーとなり、主体的に未来をデザインしていく必要があります。その羅針盤となるのが、今回ご紹介した「越境」という考え方です。慣れ親しんだ環境から一歩踏み出し、異なる文化や知識、価値観に触れることは、時に困難や戸惑いを伴うかもしれません。しかし、その経験こそがあなたを成長させ、専門性をより際立たせ、誰も真似できない独自の価値を生み出す源泉となります。変化を恐れず、好奇心を持って「越境」を楽しみましょう。その先に、きっと今よりもっと面白く、可能性に満ちたホテリエとしての未来が待っているはずです。
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