はじめに:ホテルの存在価値が問われる時代
2025年のホテル業界は、インバウンド需要の完全回復と国内旅行の活発化により、活況を呈しています。しかしその一方で、オーバーツーリズムの問題、人材不足の深刻化、そして何より旅行者の価値観の多様化という大きな構造変化に直面しています。単に快適な客室と食事を提供するだけでは、数多ある宿泊施設の中に埋もれてしまう時代です。そんな中、ホテルの新たなブランド戦略の方向性を示す、非常に興味深いニュースが報じられました。
参考記事:「ブランド戦略の本質はラブローカル」 ホテルグリーンコアの「HUBするホテル2025」でスイデンテラスの中弥生総支配人が講演 」 – 観光経済新聞
この記事では、ホテルグリーンコアが主催したイベントで、山形県のホテル「スイデンテラス」の中弥生総支配人が語った「ブランド戦略の本質はラブローカル」という言葉が紹介されています。これは、単なる地域貢献や地産地消といった言葉で片付けられるものではありません。これからのホテルが価格競争や画一的なサービスから脱却し、持続的に成長するための核心的な経営戦略を指し示しています。本記事では、この「ラブローカル」という概念を深掘りし、ホテルが地域の「HUB(ハブ)」となることの重要性と、その具体的な実践方法について考察します。
なぜ今、「ラブローカル」がブランド戦略の核心なのか?
「ローカル」という言葉は、決して目新しいものではありません。しかし、なぜ今、それがブランド戦略の「本質」とまで言われるのでしょうか。その背景には、現代の旅行者と社会が抱えるいくつかの重要な変化があります。
1. 均質化された体験からの脱却
インターネットとSNSの普及により、世界中の情報が瞬時に手に入るようになりました。その結果、どの都市に行っても同じような店舗が並び、同じような体験しかできないという「観光の均質化」が起きています。多くの旅行者は、こうしたありきたりの体験に飽き足らず、その土地でしか味わえない、本物の文化や人との触れ合いを渇望するようになりました。「ラブローカル」は、このニーズに応えるための唯一無二の価値提供の源泉となります。地域の歴史、文化、食、自然、そして何よりも「人」との繋がりこそが、他のどのホテルも模倣できない強力な差別化要因となるのです。
2. サステナビリティと「意味のある消費」への関心
特にミレニアル世代やZ世代を中心に、自身の消費行動が社会や環境に与える影響を重視する傾向が強まっています。彼らにとって、ホテル選びは単なる宿泊場所の選択ではなく、自らの価値観を表現する行為でもあります。地域経済に貢献し、文化を尊重し、環境に配慮する「ラブローカル」な姿勢を持つホテルは、こうした価値観を持つ顧客から強く支持されます。これは、もはや企業の社会的責任(CSR)という枠を超え、顧客の共感を呼び、熱心なファンを育てるための重要なマーケティング活動と言えるでしょう。
3. 関係人口の創出とロイヤリティの深化
「ラブローカル」な取り組みは、ゲストと地域の間に深い絆を育みます。ホテルが地域の魅力的な人々やビジネスとゲストを繋ぐことで、ゲストは単なる「観光客」ではなく、その地域に愛着を持つ「関係人口」へと変化していきます。一度訪れただけでなく、「またあの人に会いに帰りたい」「あの店の新しい商品を試しに行きたい」と思わせることができれば、それは極めて強力なリピート動機となります。顧客ロイヤリティは、ポイントプログラムや割引だけで構築されるものではありません。こうした感情的な繋がりこそが、持続的な関係性の基盤となるのです。
「HUBするホテル」とは何か?宿泊施設を超えた新たな役割
前述の記事で紹介されている「HUBするホテル」という概念は、「ラブローカル」戦略を具現化する上で非常に重要な考え方です。これは、ホテルが単に宿泊機能を提供する場所(=Stay)から、人と情報、文化が交差し、新たな価値が生まれる地域の中心拠点(=HUB)へと進化することを意味します。
従来のホテルは、地域の中に存在する「点」でした。しかし、「HUBするホテル」は、地域の様々なプレイヤー(生産者、職人、アーティスト、商店、住民など)を繋ぐ「線」となり、地域全体を活性化させるプラットフォームとしての役割を担います。具体的には、以下のような機能が考えられます。
- 地域のショーケース機能:ロビーやパブリックスペースで、地元のアーティストの作品を展示したり、伝統工芸品や特産品を販売したりする。レストランでは、地域の生産者から直接仕入れた食材のストーリーと共に料理を提供する。
- 情報と体験のゲートウェイ機能:紋切り型の観光情報ではなく、スタッフが実際に体験し、感動した地域の隠れた名店やスポットを紹介する。また、地域のパートナーと連携し、ホテルを起点としたユニークな体験コンテンツ(例:農場での収穫体験、酒蔵見学ツアー、職人によるワークショップ)を企画・提供する。
- コミュニティの交流拠点機能:宿泊客だけでなく、地域住民も気軽に立ち寄れるカフェやバー、ライブラリーなどを併設。定期的にマルシェや音楽イベント、トークショーなどを開催し、宿泊客と地域住民が自然に交流できる場を創出する。
このような役割を担うことで、ホテルは地域にとって「なくてはならない存在」となり、そのブランド価値を飛躍的に高めることができるのです。
自ホテルを「HUB」化するための4つのステップ
では、具体的に自ホテルを地域の「HUB」へと変革していくためには、何から始めればよいのでしょうか。以下に4つの実践的なステップを提案します。
Step 1: 地域と自ホテルの「価値の棚卸し」
まずは、自分たちの足元を見つめ直すことから始めます。ホテルの周辺地域には、まだ光が当たっていないどのような魅力(歴史、文化、人物、産品など)が眠っているのか。そして、自ホテルはその中でどのようなユニークな価値を提供できるのか。この「地域の魅力」と「自ホテルの強み」の掛け合わせから、独自の「HUB」としてのコンセプトを定義します。例えば、「食」が強みの地域であれば「地域の食の魅力を発信するガストロノミーHUB」、「アート」が盛んな地域であれば「若手アーティストを支援するクリエイティブHUB」といった方向性が考えられます。
Step 2: 共創パートナーとの対話と関係構築
コンセプトが固まったら、次にそれを実現するための地域のパートナーを探します。重要なのは、単なる「取引先」としてではなく、共に新しい価値を創り出す「共創パートナー」としてアプローチすることです。地域の商店街、農家、漁師、伝統工芸の職人、NPO、そしてDMO(観光地域づくり法人)など、様々なプレイヤーとの対話を重ね、ビジョンを共有し、信頼関係を構築していく地道なプロセスが不可欠です。この連携は、ホテルのサービスを豊かにするだけでなく、地域全体のブランド価値向上にも繋がります。まさに、「地域」が最強の武器になる瞬間です。
Step 3: 小さな成功体験(スモールウィン)を積み重ねる
壮大な構想も、実行に移さなければ意味がありません。最初から大規模なプロジェクトを立ち上げるのではなく、まずは小さくても具体的なアクションから始めることが成功の鍵です。例えば、「ロビーの一角で週末だけ開くプチマルシェ」「地元農家の野菜を使った朝食の新メニュー」「近隣のカフェで使えるウェルカムドリンクチケット」など、すぐに実行可能で、かつゲストや地域の人々の反応が見えやすい施策から着手しましょう。こうした小さな成功体験を積み重ねることが、スタッフのモチベーションを高め、次のより大きな挑戦への推進力となります。
Step 4: 「HUB」を担う人材の育成
ホテルを「HUB」化する上で最も重要な資産は「人」です。コンシェルジュは地域の案内人であると同時に、ゲストと地域を繋ぐコーディネーターとしての役割が求められます。レストランのサービススタッフは、料理の背景にある生産者の想いを語るストーリーテラーでなければなりません。こうした役割を果たすためには、マニュアル通りのサービススキルだけでは不十分です。地域への深い愛情と知識、そして多様な関係者を繋ぎ、プロジェクトを推進していく「巻き込み力」が不可欠です。研修制度を見直し、スタッフが能動的に地域と関わる機会を創出するなど、組織全体で人材を育成していく視点が求められます。
まとめ:ホテルは「街のインフラ」へ
「ブランド戦略の本質はラブローカル」という言葉は、これからのホテルの役割が、単なる旅行者のための「宿泊施設」から、地域社会全体の価値を高める「インフラ」へと進化していくことを示唆しています。ホテルが地域の「HUB」となることで、ゲストはより深く豊かな体験を得ることができ、地域は活性化し、ホテル自身も持続的な成長を遂げることができます。これは、ゲスト、地域、ホテルの全てが豊かになる「三方よし」の経営モデルと言えるでしょう。
この変革は、決して容易な道のりではありません。しかし、自らのホテルの存在意義を問い直し、地域社会に深く根ざすことこそが、不確実な未来を乗り越え、顧客から真に愛されるブランドを築くための唯一の道なのかもしれません。あなたのホテルは、地域にとってどのような「HUB」になることができるでしょうか。その問いから、新たな挑戦が始まります。
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