「マス」の終焉。ホテルが実践すべきペルソナマーケティング戦略

宿泊ビジネス戦略とマーケティング

はじめに:顧客が見えない時代

インバウンドの本格的な回復、国内旅行の活発化。ホテル業界には追い風が吹いているように見えます。しかし、その一方で、顧客のニーズはかつてないほど多様化・細分化しています。かつてのように「ビジネス客」「ファミリー層」「シニア夫婦」といった大きな括りだけで顧客を捉えるマスマーケティングは、もはや通用しなくなりつつあります。情報過多の時代、ありきたりなメッセージは誰の心にも響かず、莫大な広告費が空を切るだけ、という事態に陥りかねません。

価格競争から脱却し、「あなたに泊まりたい」と強く思ってもらうためには、顧客一人ひとりの顔を思い浮かべ、その心に深く寄り添うアプローチが不可欠です。そこで強力な武器となるのが「ペルソナマーケティング」です。本記事では、なぜ今ホテル業界でペルソナマーケティングが重要なのか、そして具体的な実践方法について深く掘り下げていきます。

なぜ今、ホテルに「ペルソナ」が必要なのか?

ペルソナとは、自社の製品やサービスの典型的な顧客像を、具体的な人物として詳細に設定したものです。単なるターゲット層の分析とは異なり、その人物のライフスタイル、価値観、悩み、情報収集の方法までをリアルに描き出す点に特徴があります。では、なぜこのペルソナが現代のホテル経営において重要なのでしょうか。

マスマーケティングの限界と価値観の多様化

インターネットとSNSの普及により、誰もが膨大な情報にアクセスし、自ら発信できるようになりました。消費者の価値観は細分化され、「みんなが良いというもの」よりも「自分に合ったもの」を求める傾向が強まっています。特に、今後の消費の中心となるミレニアル世代やZ世代は、物質的な豊かさよりも体験価値(コト消費)を重視します。このような市場環境において、不特定多数に向けた画一的なメッセージは効果が薄く、マーケティングROI(投資対効果)の低下を招きます。

「自分ごと化」を促すOne to Oneマーケティングの起点

ペルソナマーケティングの最大の目的は、顧客に「これは、まさに私のためのホテルだ」と感じてもらう、すなわち「自分ごと化」を促すことにあります。詳細に設定されたペルソナの視点に立つことで、ホテル側は「この人なら、どんな情報に興味を持つだろうか」「どんなサービスを喜んでくれるだろうか」と、顧客目線で施策を考えられるようになります。これが、真のOne to Oneマーケティングを実現するための第一歩となるのです。

ホテルにおけるペルソナ作成の具体的な3ステップ

では、実際にホテルのペルソナはどのように作成すればよいのでしょうか。ここでは、データに基づいた実践的な3つのステップを紹介します。

Step 1: データ収集と分析 ― 顧客を深く知る

ペルソナは空想の産物ではありません。あらゆるデータを駆使して、リアルな顧客像を浮かび上がらせる必要があります。収集すべきデータは多岐にわたります。

  • 定量データ: PMS(宿泊管理システム)やCRM(顧客管理システム)に蓄積された予約データ(宿泊日、予約経路、リピート率、利用プラン、支払い金額など)、公式サイトのアクセス解析データ(流入経路、閲覧ページ、滞在時間など)、顧客アンケートの集計結果。
  • 定性データ: 口コミサイトやSNS上のレビュー・投稿、顧客アンケートの自由記述欄、コンシェルジュやフロントスタッフが直接ヒアリングしたお客様の声。

これらのデータを分析することで、「どのようなお客様が、いつ、どのチャネル経由で、何を目的として宿泊し、何に満足・不満を感じたか」という顧客の輪郭が見えてきます。データ分析は、これからのホテリエにとって不可欠なスキルです。詳細は『これからのホテリエに必須のスキルとは?データ活用能力で拓くキャリアの未来』でも詳しく解説しています。

Step 2: 顧客セグメントのグルーピング

収集・分析したデータを基に、共通の属性や行動パターンを持つ顧客をグループ分け(セグメンテーション)します。例えば、「平日に連泊するビジネス利用の30代男性」「週末に高単価の記念日プランを利用する20代カップル」「インバウンドからのOTA経由で長期滞在するファミリー」といった具体的なグループが見えてくるはずです。この段階では、自社の強みやポジショニングと照らし合わせ、特に注力すべきセグメントはどれか、優先順位を付けることも重要です。

Step 3: ペルソナの具体化 ― 人物像に命を吹き込む

グルーピングしたセグメントの中から、最も重要度の高いものを選び、そのグループを象徴する架空の人物像を創り上げます。以下の項目を参考に、ストーリーが語れるほど具体的に設定しましょう。

  • 基本情報: 顔写真(フリー素材などでイメージに合うもの)、名前、年齢、性別、居住地、職業、年収、家族構成
  • ライフスタイル: 趣味、休日の過ごし方、価値観、性格、口癖
  • 情報収集: よく利用するSNS、情報収集に使うWebサイトや雑誌、意思決定に影響を与える人物(インフルエンサーなど)
  • ホテルとの関わり: 旅行の目的、ホテル選びで重視するポイント、滞在中に抱える課題や悩み、期待する体験

このプロセスを経て完成したペルソナは、マーケティング部門だけでなく、サービス開発、現場の接客スタッフまで、全社で共有されるべき重要な資産となります。

【実践例】多様化する顧客ペルソナとマーケティングアプローチ

ここでは、現代のホテル市場で考えられる3つの具体的なペルソナと、それぞれに有効なアプローチを考察します。

ペルソナA:「推し活」に全力なZ世代・鈴木みきさん(22歳・大学生)

人物像: 都内在住の大学4年生。アイドルグループ「Starlight Kiss」の熱狂的なファン。週末は全国のコンサート会場を飛び回る。アルバイト代のほとんどを「推し活」に注ぎ込む。ホテルは寝るだけと割り切りつつも、安全で清潔な場所を求めている。ライブ後は仲間と感想を語り合いたい。情報収集は主にX(旧Twitter)とInstagram。

アプローチ戦略:
彼女のような顧客にとって、価格や豪華さよりも「推し活のしやすさ」が最優先事項です。

  • Web/SNS: コンサート会場からの徒歩分数や最寄り駅からのアクセスを前面に押し出す。ハッシュタグ「#〇〇(会場名)周辺ホテル」「#遠征女子」などでSNS投稿。
  • プラン/サービス: 公演前後の荷物預かり無料サービス。チェックイン/アウト時間延長プラン。「推し色」をテーマにしたウェルカムドリンクやスイーツの提供。うちわやペンライトを並べて撮影できるフォトスポットの設置。
  • 客室: 全室無料Wi-Fiはもちろん、友人と動画を見るための大型テレビや映像投影用プロジェクターの貸し出し。

ペルソナB:心身を整えたいウェルネス志向のソロトラベラー・高橋聡子さん(38歳・外資系コンサルタント)

人物像: 都心で働く独身の会社役員。多忙な日々で心身の疲れがピークに。週末を利用し、誰にも邪魔されずに自分をリセットする時間を求めている。価格よりも質を重視し、静かな環境、健康的な食事、上質な睡眠、癒やしの体験を求めている。旅行の情報は、信頼する雑誌のWeb版やライフスタイル系インフルエンサーから得る。

アプローチ戦略:
彼女が求めるのは非日常の「癒やし」です。ホテル全体で一貫したウェルネス体験を提供する必要があります。ウェルネスツーリズムの台頭は、こうした層のニーズを的確に捉えています。

  • Web/SNS: 静謐な空間や自然光が差し込む客室の写真を多用。スパの施術メニューや食事のこだわりを詳細に紹介。
  • プラン/サービス: 専門家監修のヨガや瞑想プログラム付き宿泊プラン。館内スパでのトリートメントとヘルシーディナーのセット。デジタルデトックスを促す(スマホを預かる)サービス。
  • 客室: 高品質な寝具(マットレス、枕、リネン)。アロマディフューザーの設置。ハーブティーやオーガニックのバスアメニティ。

ペルソナC:働く場所を選ばないデジタルノマド・田中健太さん(30歳・フリーランスWebデザイナー)

人物像: 特定のオフィスを持たず、国内外を旅しながら仕事をするフリーランサー。1〜2週間の単位で同じ場所に滞在することが多い。ホテル選びの絶対条件は、高速で安定したWi-Fiと快適なワークスペース。仕事の合間には、その土地ならではの文化に触れたい。他の滞在者との緩やかな交流も求めている。

アプローチ戦略:
彼は「暮らすように泊まる」ことを求めており、長期滞在を前提とした施設とサービスが響きます。こうしたニーズは、ホテルサブスクリプションのような新しいビジネスモデルの広がりにも繋がっています。

  • Web/SNS: Wi-Fi速度の実測値を明記。客室デスク周りの写真やコワーキングスペースの様子を詳しく紹介。
  • プラン/サービス: ウィークリー/マンスリーの長期滞在割引プラン。24時間利用可能なコワーキングスペースや会議室。プリンターや外部モニターの貸し出し。滞在者向けの交流イベント(ウェルカムパーティなど)の開催。地域と連携した文化体験ツアーの案内。
  • 客室: 長時間座っても疲れないワークチェア。十分な数の電源コンセント。簡易キッチンやランドリー設備。

まとめ:ペルソナは「選ばれるホテル」になるための羅針盤

ペルソナマーケティングは、単なる机上の空論ではありません。顧客を深く理解し、商品開発から情報発信、現場のサービスに至るまで、すべての企業活動に一貫した軸を通すための強力な羅針盤です。ペルソナという共通言語を持つことで、組織全体が同じ方向を向き、顧客に最適化された体験を効率的に提供できるようになります。

重要なのは、一度作って終わりにするのではなく、市場の変化や新たに蓄積される顧客データを基に、ペルソナを定期的に見直し、アップデートしていくことです。まずは自社の顧客データを改めて見つめ直し、「私たちのホテルは、本当は『誰』に価値を提供しているのだろうか?」と問い直すことから始めてみてはいかがでしょうか。その先に、価格競争から一歩抜け出し、顧客から熱狂的に愛されるホテルへの道が拓けているはずです。

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