はじめに:なぜ今、ロイヤルティプログラムなのか?
インバウンド需要の完全回復、国内旅行の活発化。ホテル業界は活況を取り戻しつつありますが、その一方で競争はますます激化しています。OTA(Online Travel Agent)への手数料負担、広告費の高騰など、新規顧客の獲得コストは上昇の一途をたどっています。このような状況下で、持続的な成長を遂げるために不可欠なのが、一度訪れた顧客を「お得意様」、つまりロイヤルカスタマーへと育成する戦略です。
その中核をなすのが「ロイヤルティプログラム」です。しかし、「ポイントを貯めて割引」といった旧来型の発想だけでは、顧客の心をつなぎとめることは困難になっています。現代の消費者は、単なる金銭的なメリット以上に、特別な「体験」や「パーソナライズされたおもてなし」を求めているからです。本記事では、ホテル業界におけるロイヤルティプログラムの重要性を再確認し、大手チェーンの戦略に学びつつ、独立系ホテルでも実践可能な、テクノロジーを活用した次世代のロイヤルティプログラムについて深掘りしていきます。
大手ホテルチェーンの戦略に学ぶ「規模」と「データ」の力
ホテルのロイヤルティプログラムと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、マリオットの「Marriott Bonvoy」やヒルトンの「ヒルトン・オナーズ」といった世界的なホテルチェーンのプログラムでしょう。これらのプログラムはなぜこれほどまでに強力なのでしょうか。
圧倒的なネットワークと特典の魅力
大手チェーンの最大の強みは、そのグローバルなネットワークです。世界中の何千ものホテルでポイントを貯め、利用できる利便性は、出張や旅行で頻繁に移動する顧客にとって絶大な魅力を持ちます。無料宿泊はもちろん、客室のアップグレード、レイトチェックアウト、専用ラウンジの利用など、ステータスに応じた魅力的な特典が、顧客の「このチェーンを使い続けたい」という動機を強力に喚起します。
参考:Marriott Bonvoy
参考:ヒルトン・オナーズ
データ活用によるパーソナライゼーション
彼らの強さは規模だけではありません。巨大な会員基盤から得られる膨大な顧客データを活用し、パーソナライズされたマーケティングを展開しています。過去の宿泊履歴、予約した部屋のタイプ、利用したレストラン、さらには予約時のリクエスト内容まで、あらゆるデータがCRM(Customer Relationship Management)システムに蓄積・分析されます。これにより、「この顧客は海側の高層階を好む」「記念日での利用が多い」といったインサイトを抽出し、次の滞在で先回りした提案やサービスを提供することが可能になるのです。これが、顧客に「自分のことを理解してくれている」という特別な満足感を与え、エンゲージメントを深化させます。
独立系ホテルが生き残るための「独自価値」創出戦略
では、大手のような規模を持たない独立系ホテルは、ロイヤルティプログラムにおいて太刀打ちできないのでしょうか。答えは「いいえ」です。大手の土俵で戦うのではなく、自館ならではの強みを活かした独自の価値を提供することで、熱量の高いファン、つまり真のロイヤルカスタマーを育成することが可能です。
戦略1:徹底した「超」パーソナライゼーション
大手チェーンが膨大なデータを「広く浅く」活用するのに対し、独立系ホテルは顧客一人ひとりとの関係性を「狭く深く」掘り下げることに勝機があります。顧客の顔と名前が一致する規模だからこそ実現できる、きめ細やかなおもてなしが最大の武器となります。
例えば、CRMシステムに「A様は炭酸水がお好き」「B様のお子様は卵アレルギー」といった詳細な情報を記録しておき、次回の来館時に何も言われなくてもそれを提供できれば、顧客は大きな感動を覚えるでしょう。誕生日や結婚記念日に手書きのメッセージカードを用意する、以前の会話で話題になった地元の隠れた名店の情報を伝える、といったアナログなアプローチも、顧客との心理的な距離を縮める上で非常に有効です。テクノロジー(CRM)を、効率化のためだけでなく、人間味あふれるおもてなしを強化するために活用する視点が重要です。
戦略2:ホテルを核とした「地域連携」プログラム
独立系ホテルは、その地域に根差した存在であるという強みを持っています。この強みを活かし、地域の魅力的な店舗や施設と連携したロイヤルティプログラムを構築するのです。例えば、以下のような特典が考えられます。
- 提携する人気レストランでの会員限定ディナーコース
- 地元の工芸作家による制作体験ワークショップへの優待参加
- 近隣の観光施設の入場券や、隠れ家的なバーで使えるドリンクチケットの提供
こうした取り組みは、顧客に「このホテルに泊まれば、この街をもっと楽しめる」という付加価値を提供します。ホテルを単なる宿泊場所ではなく、地域体験のハブと位置づけることで、大手チェーンには真似のできない独自の魅力を創出できるのです。これは、DMO(Destination Management/Marketing Organization)との連携を視野に入れることで、さらに大きな広がりを持つ可能性を秘めています。
戦略3:ファンが集う「コミュニティ」の醸成
ロイヤルティプログラムの究極の目標は、顧客を「ファン」にし、ホテルを中心としたコミュニティを形成することです。会員限定のイベントは、そのための強力なツールとなります。
- 料理長による料理教室や、ソムリエによるワインセミナー
- 懇意にしているアーティストを招いたミニコンサート
- 常連客だけが集まるクローズドなパーティー
このようなイベントは、顧客同士の交流を促し、「あのホテルに行けば、同じ価値観を持つ仲間に会える」という新たな来館動機を生み出します。オンラインサロンやSNSの限定グループを活用し、オフラインのイベントがない期間もコミュニケーションを維持することも有効です。ホテルが「泊まる場所」から「好きな人たちが集う場所」へと進化する時、そのロイヤルティは極めて強固なものになります。
次世代ロイヤルティプログラムを支えるテクノロジー
これらの戦略を実現するためには、テクノロジーの活用が不可欠です。特に重要なのが、CRMとMA(Marketing Automation)です。
CRM (Customer Relationship Management)
前述の通り、CRMは顧客情報を一元管理し、パーソナライズされたサービスを提供する上での心臓部です。予約情報(PMS連携)、レストラン利用履歴(POS連携)、問い合わせ履歴、顧客の嗜好といったあらゆる情報を統合し、スタッフ全員がリアルタイムで共有できる環境を構築することが第一歩です。これにより、どのスタッフが対応しても、一貫性のある質の高いおもてなしが可能になります。
MA (Marketing Automation)
MAツールは、CRMに蓄積されたデータに基づき、顧客へのコミュニケーションを自動化・最適化します。例えば、
- 宿泊後3日後に、感謝の意を伝えるサンキューメールを自動送信
- 前回の宿泊から半年が経過した顧客に、再訪を促す特別オファーを配信
- 誕生月の顧客に、お祝いメッセージと共にレストランの割引クーポンを送付
といったシナリオを設計することで、最小限の労力で顧客との関係性を維持・強化できます。重要なのは、一斉配信のメルマガではなく、顧客の属性や行動履歴に基づいてセグメント化し、一人ひとりに響くメッセージを届けることです。
まとめ:顧客との「関係性」をデザインする時代へ
これからのホテルマーケティングは、不特定多数に広告を打って新規顧客を獲得するフロー型のビジネスから、既存顧客との関係性を深化させ、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)を高めていくストック型のビジネスへとシフトしていきます。その変革の鍵を握るのが、ロイヤルティプログラムの再発明です。
ポイントや割引といったインセンティブだけでなく、パーソナライゼーション、地域連携、コミュニティといった「感情的な価値」をいかに提供できるか。そして、その価値提供をCRMやMAといったテクノロジーがいかに支えることができるか。この問いに向き合い、自館ならではの答えを見つけ出すことが、競争の激しい市場で「選ばれ続けるホテル」になるための唯一の道と言えるでしょう。
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