はじめに
近年、特定の趣味やアーティストの活動を熱心に支援する「推し活」市場が急成長しています。特に地方から都市部へのライブ遠征など、宿泊を伴う推し活は、ホテル業界にとって無視できない大きな収益源となりつつあります。
本記事では、新宿プリンスホテルが打ち出した「遠征女子の“一番可愛い”を叶える」宿泊プラン(出典:PR TIMES)を具体例として分析し、なぜ大手ホテルがニッチな「推し活」市場に本格参入し、高付加価値戦略で収益を最大化しようとしているのか、そのビジネス上の狙いをホテル経営とマーケティングの視点から深掘りします。
この記事を読むことで、ターゲットを絞り込んだニッチ市場戦略が、単なる客室提供を超え、どのように顧客の行動全体に付加価値を提供し、結果として高単価・高満足度を実現しているのか、その具体的な構造を理解できます。
結論(先に要点だけ)
- 新宿プリンスホテルの「推し活」プランは、高単価を実現するニッチ戦略であり、客室提供ではなく「イベント参加体験のトータルサポート」を販売している。
- 遠征女子は「時間消費」と「自己実現」に高い可処分所得を投じる層であり、現場で生じる「準備のストレス」をホテルが解消することで高い対価を得ている。
- サービスは、美容家電完備、専門的なヘアメイク導線、イベント後の「没入空間(イマーシブルーム)」によって、一連の体験価値を最大化する設計になっている。
- この戦略は、顧客の行動全体(ジャーニー)を把握し、そこにある「摩擦(ストレス)」を除去することが、現代のホテル収益最大化の鍵であることを示している。
なぜ大手ホテルは「推し活市場」を狙うのか?—Fandom経済圏の経済構造
ホテルが推し活客に注目する経済的な理由とは?
ホテル業界において、特定のイベント参加を目的とする宿泊需要は常に重要でしたが、「推し活」層は従来のレジャー客やビジネス客とは異なる、独自の経済特性を持っています。ホテルがこのニッチ市場を積極的に狙う背景には、主に以下の3つの経済的要因があります。
1. 高い消費意欲と可処分所得の集中
「推し活」を行う遠征客は、対象のイベントやコンテンツに対して強い愛着と忠誠心を持っています。このFandom経済圏(ファンによる経済活動)では、グッズ購入やチケット代だけでなく、遠征に伴う交通費や宿泊費にも「推しに会う」ための費用として高いモチベーションで投資されます。結果として、この層は価格感応度が比較的低く、満足度の高いサービスには高単価を支払う傾向が明確に見られます。
単に宿泊するだけでなく、最高の状態でイベントに臨むための「準備」や、イベント後の「余韻」の消費に時間や費用を惜しみません。
2. イベント連動型で変動が予測可能
ライブやコンサート、舞台公演といった推し活の主要なイベントは、事前に日程が公表されます。これにより、ホテル側は需要が集中する日を正確に予測でき、レベニューマネジメント(RM)戦略を立てやすくなります。特に、週末や長期休暇中のイベント開催時には、一般の観光需要と組み合わさることで、高い稼働率と高単価を同時に実現しやすくなります。
3. ニーズの明確化とサービス開発の容易性
推し活客がホテルに求めるニーズは非常に明確です。「イベントに最適な自分になること」「イベントの余韻に浸ること」「イベントに関連するグッズや仲間との交流スペース」の3点に集約されるため、画一的なサービスではなく、特定の課題解決に特化したプラン(例:美容家電の充実、大型ミラーの設置など)を提供しやすいのが特徴です。
「遠征女子」の現場の困りごとをどう解消するのか?—体験設計の分析
新宿プリンスホテルが提供する「推しに会う日ときめきビューティーステイ」プラン(出典:PR TIMES)の成功の鍵は、ターゲットである「遠征女子」がイベント前後に抱える具体的な「摩擦」を徹底的に解消している点にあります。この摩擦の解消こそが、付加価値の源泉です。
イベント前の「準備ストレス」の具体的な解消法
遠征女子にとって、ホテル滞在の最大の目的の一つは、イベント会場へ向かう前に最高の状態に身支度を整えることです。しかし、従来のビジネスホテルや一般的なシティホテルでは、この準備過程で多くのストレスが発生していました。
1. 美容家電の準備不足と持ち運びの手間
遠征客は、通常、ヘアアイロン、ドライヤー、美顔器など、多くの美容機器を自宅から持ち運ぶ必要があり、これが大きな荷物となります。本プランでは、人気美容ブランドの製品を含む多様な美容家電が客室に標準完備されており、
① 荷物の削減(移動のストレス軽減)
② 普段使えない高級品を試せる体験付与
を実現しています。
2. 複数人での身支度における「導線の渋滞」
友人同士で宿泊する場合、鏡や電源の数、広さの制約から、身支度時間がバッティングし、出発時間に遅れるリスクが生じます。このプランでは、「韓国ヘアメイク」に特化した設備や、複数の人間が同時に準備できるような空間設計が行われていると考えられます。これは、オペレーションレベルで顧客の「時間効率」を最大化する設計です。
イベント後の「没入感」をどう提供するか?
イベントが終了しても、ファンにとってはその体験の余韻に浸ることが重要な消費行動です。プランに含まれる「イマーシブルーム」は、まさにこのニーズに応えるための施設です。
「イマーシブ(Immersive)」とは「没入型の」という意味で、ここではイベントの興奮や感動を遮断せず、宿泊環境を通じて延長させる役割を果たします。具体的には、プロジェクターや音響設備、照明などを活用し、ライブ映像などを視聴することで、ホテル滞在そのものが「推し活の一部」となります。
この戦略は、客室を単なる寝る場所ではなく、体験を延長・完結させるための専用スペースとして再定義しており、滞在時間の延長やルームサービス利用促進といった追加収益にも繋がりやすい構造です。
ホテル収益を高める「体験対効果」の基準
この推し活プランが高収益を生むのは、単に価格が高いからではなく、顧客が支払った対価に対して、得られる体験の満足度(体験対効果)が極めて高いと認識されるからです。他のホテルがニッチ市場を取り込む際に、この体験対効果を判断するための基準は何でしょうか。
ホテル経営における「体験対効果」戦略の重要性については、以前の記事でも詳しく解説しています。ホテル価値は「安さ」卒業へ!2026年、体験対効果で収益を最大化する法
体験対効果を最大化する3つの判断基準
ニッチ市場開拓において、体験対効果を最大化するためには、提供するサービスが以下の3つの基準を満たしているか確認が必要です。
基準1:顧客の「隠れたコスト」をゼロにするか?
顧客がホテルを利用する際、料金以外にも「隠れたコスト」を支払っています。推し活客の場合、それは「美容家電を詰める手間」「ライブ前の準備に焦る時間」「ライブの感動を忘れまいとする精神的な負荷」などです。ホテルがこれらの目に見えないストレスやコストをゼロに近づけるほど、顧客は対価(プラン料金)を高く評価します。
例えば、部屋に冷蔵庫を置くだけでなく、あらかじめ飲料を冷やしておき、チェックイン直後にすぐに飲める状態にしておく、といった細部にわたる気遣いが、隠れたコストの削減に繋がります。
基準2:競合が模倣困難な「専門性」を提供できるか?
単に「鏡を増やす」程度のサービスでは、すぐに他のホテルに模倣されます。新宿プリンスホテルの事例では、本格的な美容ブランドとの提携や、没入感を高める「イマーシブルーム」といった、設備投資や外部リソースの連携を必要とする専門性の高いサービスを提供しています。これにより、一時的なブームで終わらせず、ブランドイメージの確立と顧客の囲い込みを狙っています。
基準3:現場のオペレーション負荷を適切に管理できているか?
高付加価値なサービスは、清掃やメンテナンスの負荷を高める可能性があります。例えば、多くの美容家電を貸し出す場合、その消毒、動作チェック、在庫管理が必要です。また、イマーシブルームの設備は、通常の客室よりも専門的なメンテナンスを要します。
戦略的な高単価設定は、この追加的なオペレーションコストとメンテナンスコストを吸収できるだけの十分な収益性を確保していることが前提となります。現場スタッフの作業負担を増やしすぎないよう、デジタルツールを活用した備品管理(例:チェックアウト時の自動在庫確認システム)や、専門スタッフによるメンテナンス体制の構築が必須です。
| 体験対効果を測る指標 | 従来の戦略(一般客向け) | 推し活特化戦略(ニッチ市場) |
|---|---|---|
| ターゲット | 幅広い観光客 | 特定の趣味を持つ遠征客 |
| 提供価値 | 快適な睡眠、便利な立地 | 最高のイベント体験を実現するための準備と余韻 |
| 収益性向上要因 | 稼働率の向上、F&B利用 | 高単価プラン(ADR)設定、付帯設備利用 |
| 解消する「摩擦」 | チェックインの待ち時間 | 身支度の手間、荷物の多さ、イベント後の没入感の欠如 |
ホテルの運営現場は推し活プランにどう対応すべきか?
ニッチ市場向けの体験特化型プランは、集客面で有利ですが、現場のスタッフにとっては新たな業務負荷を生むことになります。収益を最大化するためには、この負荷を最小限に抑えつつ、顧客体験の質を維持する工夫が必要です。
1. 備品管理のデジタル化と標準化
高価な美容家電や特別なアメニティが増えることは、フロントとハウスキーピング部門にとって大きな負担です。チェックアウト時に備品の欠品や破損を迅速に確認するための仕組みが必要です。
- 在庫管理システムの導入:客室内の付加価値備品(美容機器、専用プロジェクターなど)をすべて資産台帳に登録し、タブレットなどでチェックリストを作成。清掃担当者がチェックアウト清掃時に迅速に在庫確認できる仕組みを標準化する。
- 操作ガイダンスの明確化:特殊な家電やイマーシブルームの操作方法について、紙媒体ではなく、客室内のQRコードやタブレットからアクセスできる動画マニュアルを提供し、スタッフへの問い合わせを減らす。
特に人手不足が深刻なホテル業界においては、採用や育成にリソースを割く代わりに、技術で標準化を進めることが重要です。採用効率化にご興味がある場合は、外部の専門サービスを活用し、コア業務に集中することも一つの手です。業者探しの悩みなら、採用代行一括.jpで解決!
2. ターゲットの行動に基づいた人員配置
推し活プランのゲストは、チェックイン後の特定時間にサービス要求が集中する傾向があります(例:イベント開始3時間前のフロントやコンシェルジュへの問い合わせ集中)。
- 準備時間帯の重点配置:イベント当日朝から昼にかけて、美容家電の操作方法や、周辺の交通情報に関する問い合わせが増えることを予測し、この時間帯に習熟度の高いスタッフを重点的に配置する。
- 事前コミュニケーションの強化:チェックイン前に、必要な情報(周辺のアクセス、ルームサービスのメニュー、美容家電リスト)をアプリやメールでプッシュ通知し、現場での質問を未然に減らす。
3. 清掃工数の最適化
特殊な設備やアメニティが増えると、清掃工数が増加します。しかし、高単価プランであるため、清掃品質を落とすことは許されません。
- 美容家電専用の清掃フロー:美容家電一つひとつに、衛生基準とチェックリストを設け、通常の客室清掃とは区別された専門的な清掃・消毒プロセスを導入する。
- 消耗品在庫の標準化:プラン専用の消耗品(例:フェイスパック、専用バスソルト)を統一し、ハウスキーピングカートへの積載ルールを標準化することで、準備・補充の手間を軽減する。
他のホテルがニッチ市場を開拓するためのステップ
新宿プリンスホテルの事例は、推し活市場に限らず、特定の顧客の深いニーズに応えることで、収益を最大化できる可能性を示しています。他のホテルが同様のニッチ市場を開拓するためのステップを解説します。
Step 1:ペルソナ(特定の顧客像)の「行動ジャーニー」を徹底分析する
ホテルに滞在する「瞬間」だけを分析するのではなく、その顧客が「なぜ」宿泊するのか、そのイベント全体を追跡します。
- 目的の特定:誰が(例:子連れの家族、ロードバイク愛好家、古都巡りの歴史ファン)
- 準備段階の課題:移動中の荷物、事前に必要な情報、精神的な期待や不安
- 滞在中の行動:客室で何をするか、F&Bの利用タイミング、特別な設備が必要か
- 滞在後の行動:思い出の保管方法、次の訪問計画、口コミ投稿の傾向
推し活の例でいえば、「イベント前の不安(準備を完璧にしたい)」と「イベント後の熱狂(余韻に浸りたい)」という二つの山場に対応したサービス設計が鍵となりました。
Step 2:摩擦解消のための「物理的・デジタル的」投資を判断する
顧客の行動ジャーニーで特定された摩擦を解消するために、どのような投資が必要か判断します。
- 物理的投資(設備):大型ミラー、防音設備、専用電源、特殊アメニティなど、客室のハード面での改修。
- デジタル的投資(情報・自動化):事前チェックイン、パーソナライズされた情報提供アプリ、備品管理システムなど、オペレーション負荷を減らすための技術投資。
重要なのは、投資コストが、プランの高単価設定によって回収可能であるか、明確な収益予測を行うことです。
Step 3:地域(コミュニティ)との連携による「体験の拡張」
ホテル単体で提供できるサービスには限界があります。ニッチ市場の体験を最大化するためには、地域や専門家との連携が欠かせません。
- 推し活の場合:近隣のヘアメイク専門店との提携割引、グッズ販売店とのコラボレーション。
- ロードバイク愛好家の場合:専門の修理ショップとの提携、専用の駐輪・整備スペースの提供。
地域のリソースを活用することで、自ホテルの設備投資を抑えつつ、顧客の総体験価値を向上させることが可能です。
まとめ:ニッチ戦略は「顧客の人生の導線」を買うこと
新宿プリンスホテルが成功させた「推し活」プランの事例は、ホテル業界における収益最大化戦略が、「客室稼働率」や「ADR(平均客室単価)」といった従来のKPIから、「顧客の人生における特定のイベント体験のトータルバリュー」へとシフトしていることを示しています。
顧客は単に寝る場所を探しているのではなく、「イベントへ向かうまでの最高の気分」や「イベント後の満たされた感情」といった体験全体を購入しています。ホテル経営者は、自社が立地するエリアでどのようなニッチな需要が存在し、その顧客が抱える「摩擦」を、設備とオペレーションでどう解消できるかを徹底的に分析すべきです。
ニッチ市場開拓は、高い単価設定を可能にするだけでなく、SNSを通じた熱狂的な口コミを生み、ブランドロイヤルティを高める効果もあります。体験対効果の高いサービス設計こそが、ホテルが価格競争から脱却し、安定した収益基盤を築くための決定打となるでしょう。
よくある質問(FAQ)
推し活プランのターゲットは具体的にどのような層ですか?
主に20代から40代の女性で、特定のアーティストやアイドル、コンテンツに熱心なファン(Fandom)層です。彼女たちは推し活に対して時間と費用を惜しまず、イベント参加のために遠方から移動(遠征)し、質の高い準備と没入感のある体験を求めます。
「イマーシブルーム」とはどのような客室ですか?
イマーシブルーム(没入型客室)とは、イベント後の余韻に浸るために、特別な音響設備、大型プロジェクター、照明システムなどを完備した客室です。推しのライブ映像などを大画面・高音質で視聴でき、ホテル滞在そのものが推し活の一部となるよう設計されています。
推し活プランの導入は、通常のオペレーションにどのような影響を与えますか?
通常のオペレーションに比べ、美容家電や特殊なアメニティ、プロジェクターなどの備品管理、メンテナンス、清掃の手間が増えます。これに伴うスタッフのトレーニングや、備品チェックの標準化(デジタル化)が必要不可欠となります。
推し活市場以外で、注目すべきニッチな市場はありますか?
はい。一例として、ペットフレンドリーを極限まで進化させた「犬連れ特化型」、特定のスポーツ(ゴルフ、サイクリング)の道具のメンテナンス・保管に特化した「ギア特化型」、特定の医療行為やヘルスケアに特化した「メディカルツーリズム連携型」など、顧客の課題が明確で、そこに高付加価値を提供できる市場は多数存在します。
なぜ推し活プランは高単価でも予約が埋まるのですか?
顧客が支払う対価に見合う、非常に高い「体験対効果」を提供しているからです。単に客室を提供するのではなく、「最高の自分でイベントに臨める安心感」と「イベントの感動を最大限に延長できる環境」という、顧客の核心的なニーズに応えているため、価格以上の価値を感じています。
推し活プランを導入する際、最も重要な注意点は何ですか?
最も重要なのは、サービスの提供品質とオペレーション負荷のバランスです。高単価プランに見合う清掃・メンテナンスの品質を維持しつつ、現場スタッフの負担が増えすぎないよう、デジタル技術を活用して備品管理や情報提供を効率化することが求められます。


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