はじめに
2025年現在、ホテル業界はかつてないほどの変動期を迎えています。インバウンド需要の回復と国内旅行需要の増加により、多くの地域で観光客数は増加の一途をたどっています。しかしその一方で、慢性的な人手不足は解消されず、多くのホテルがサービスの維持・向上に苦慮しているのが実情です。この「観光需要増」と「人手不足」という二つの逆風が同時に吹き荒れる中で、業界の未来をいかに切り拓くべきか、喫緊の課題となっています。
このような状況下、専門学校日本ホテルスクールが開催した第34回弁論大会では、未来のホテリエを目指す学生たちが、業界のリーダーたちに向けて、その未来像を提言しました。特に最優秀賞を獲得したテーマは、「本当の多様性」と「台本に縛られない」という、既存のホテル経営やサービス提供のあり方に一石を投じる内容でした。本稿では、この学生たちの提言を深掘りし、現在のホテル業界が直面する課題解決と、持続可能な成長に向けた新たな視点を探ります。
参照記事:【観光需要増 × 人手不足】逆風のホテル業界に、学生が26名の業界リーダーへ未来像を提言。最優秀賞テーマは「本当の多様性」「台本に縛られない」 | 学校法人日本ホテル学院のプレスリリース
「観光需要増」と「人手不足」のジレンマ
日本政府観光局(JNTO)の発表によれば、2025年も訪日外国人旅行者数は堅調に推移しており、国内のホテル稼働率は高い水準を維持しています。特に都市部のホテルや人気観光地のホテルでは、連日満室状態が続いています。これはホテル経営にとっては喜ばしい状況である一方で、現場のスタッフにとっては過重な負担となっています。
多くのホテルでは、コロナ禍での人員削減や、少子高齢化による労働力人口の減少が響き、慢性的な人手不足に陥っています。特に客室清掃、フロント、料飲部門など、ゲストと直接接する部門や、ホテル運営の根幹を支える部門での人材確保が困難を極めています。ある中堅ホテルの総支配人は、「予約サイトからの問い合わせ対応から、客室の不具合対応、レストランでの急なヘルプまで、一人のスタッフが複数の業務を兼任するのが当たり前になっている。サービスの質を維持するのが精一杯で、新たな価値提供にまで手が回らない」と語ります。
このような状況は、ホテリエ自身のキャリアパスにも影響を与えています。業務量の増加による疲弊感、スキルアップの機会の不足、そして将来への不安から、業界を離れる若手も少なくありません。ホテル業界が魅力的な職場であり続けるためには、このジレンマを解消し、持続可能な働き方と成長の機会を提供することが不可欠です。詳細は「ホテル人材危機を乗り越える:総務人事が描く「キャリア戦略」と「働きがい」」もご参照ください。
未来を担う学生たちの提言:本質的な「多様性」とは
専門学校日本ホテルスクールの弁論大会で学生たちが提言した「本当の多様性」とは、単に国籍や性別といった表面的な属性の多様性にとどまらない、より深層的な意味合いを持っています。それは、個々のスタッフが持つ異なる価値観、経験、スキル、そして働き方を尊重し、それらをホテルの強みとして活かしていくという考え方です。
例えば、子育て中のスタッフが柔軟な勤務時間を選べるようにする、外国籍のスタッフが母国語を活かしたサービスを提供できる場を設ける、あるいは特定の趣味や特技を持つスタッフが、それを活かしたユニークなゲスト体験を企画するといった形です。このような「本当の多様性」を受け入れることは、スタッフ一人ひとりのエンゲージメントを高め、結果として離職率の低下や生産性の向上に繋がります。
ある大手ホテルチェーンの人事担当者は、「以前は画一的なサービス基準を重視しすぎていたが、多様なバックグラウンドを持つスタッフが増えるにつれて、彼らの個性を活かすことがゲストにとっても新たな価値になると気づいた。例えば、特定の文化に詳しいスタッフが、その文化圏のゲストに対してより深いおもてなしを提供できるようになった」と語っています。総務人事は、このような多様な人材が活躍できるための公平な評価制度や、キャリア形成支援、柔軟な勤務体系の導入など、具体的な施策を通じて「多様性リーダー」としての役割を果たすことが求められます。詳しくは「ホテル「多様性リーダー」育成戦略:総務人事が築く「未来の競争力」と「持続的成長」」でも考察しています。
「台本に縛られない」ホスピタリティの追求
もう一つの最優秀テーマ「台本に縛られない」は、現在のホテル業界におけるサービス提供のあり方に大きな問いを投げかけています。これは、マニュアル通りの画一的なサービス提供から脱却し、ホテリエ個々の判断力、創造性、そして人間性を最大限に活かした「パーソナルなホスピタリティ」を追求するという提言です。
現代のゲストは、単に清潔な客室や基本的なサービスだけでは満足しません。彼らが求めているのは、自身のニーズや感情に寄り添い、期待を超える感動を与えてくれる「唯一無二の体験」です。マニュアルに沿った対応は、一定の品質を保証しますが、時にゲストの心に響くような深い感動を生み出すには限界があります。
「台本に縛られない」ホスピタリティとは、例えば、ゲストのちょっとした仕草や会話からニーズを察知し、マニュアルにはないサプライズを提供することです。雨の日に傘を差し出すだけでなく、濡れた靴を見て乾燥サービスを提案する、あるいは、滞在中に体調を崩したゲストのために、特別な食事を用意するといった、個々のホテリエが自律的に判断し、行動する姿勢が求められます。このようなサービスは、ゲストに「自分だけのために」という特別な感情を抱かせ、深いロイヤルティに繋がります。
もちろん、これはホテリエに丸投げするということではありません。ホテル側は、スタッフが自律的に判断し行動できるための権限委譲、そしてそれを支える適切な教育・研修を提供する必要があります。また、テクノロジーは、定型的な業務を効率化し、ホテリエがより創造的でパーソナルなサービスに集中できる環境を整える強力なツールとなり得ます。例えば、モバイルPOSシステムは、スタッフがフロントに縛られず、ゲストの近くでパーソナルなサービスを提供することを可能にします。詳細は「ホテルサービス「場所の解放」:モバイルPOSが創る「パーソナル体験」と「業務革新」」でも解説しています。
「台本に縛られない」サービスを実践するホテリエは、自身の仕事に深いやりがいと誇りを感じることができます。画一的な作業の繰り返しではなく、自身のアイデアや工夫が直接ゲストの笑顔に繋がる経験は、ホテリエとしての成長を促し、キャリアパスをより魅力的なものに変えていくでしょう。これは「ホテリエの未来を切り拓く:変化の波を掴む「実践スキル」と「多様なキャリアパス」」で提唱する「超汎用スキル」にも通じるものです。
業界リーダーへの示唆と未来への展望
学生たちの提言は、現在のホテル業界のリーダーたちに対し、既存の慣習や枠組みにとらわれず、未来を見据えた変革の必要性を強く示唆しています。人手不足という課題を単なる「逆風」として捉えるだけでなく、「変革の機会」と捉え、新しい働き方やサービスモデルを構築する契機とすべきです。
「本当の多様性」と「台本に縛られない」ホスピタリティの追求は、単にゲスト満足度を高めるだけでなく、ホテリエのエンゲージメント向上、ひいては持続可能なホテル経営の実現に不可欠な要素です。若手ホテリエの新鮮な視点やアイデアを積極的に取り入れ、彼らが自由に発想し、行動できる環境を整えることが、業界全体の活性化に繋がります。
2025年以降、ホテル業界はさらなる変化の波に直面するでしょう。その中で、真に選ばれるホテルとなるためには、人財への投資を惜しまず、ホテリエ一人ひとりが自身の個性を活かし、心からゲストと向き合える環境を創り出すことが、何よりも重要です。
まとめ
ホテル業界は、観光需要の増加という追い風と、人手不足という逆風の中で、大きな転換期を迎えています。このような状況において、専門学校の学生たちが提言した「本当の多様性」と「台本に縛られない」というテーマは、未来のホテル業界が目指すべき方向性を明確に示しています。
画一的なサービスではなく、個々のホテリエが持つ個性と創造性を活かしたパーソナルなホスピタリティこそが、ゲストに「期待を超える感動」を与え、深いロイヤルティを築く鍵となります。そして、それを支えるのは、多様な働き方を尊重し、スタッフ一人ひとりが輝ける環境を整備するホテルの経営戦略と、それを実行する総務人事の役割です。未来のホテリエたちの声に耳を傾け、彼らが提唱する新しい価値観を取り入れることが、ホテル業界の持続的な成長と発展に繋がるでしょう。


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