はじめに
2025年現在、日本のホテル業界は、未曾有のパンデミックという大きな波を乗り越え、再び活気を取り戻しつつあります。特に京都市は、国内外からの観光客を惹きつける魅力的なデスティネーションとして、常にその動向が注目されてきました。しかし、パンデミックがもたらした影響は深く、多くの新規ホテル開発が中断を余儀なくされ、未開業のまま「塩漬け」となる物件も少なくありませんでした。そうした中で、新たな動きとして、コロナ禍で一度は開業を断念したホテルを再生するプロジェクトが注目を集めています。
今回は、京都市内で約5年間も「塩漬け」となっていたホテル不動産を、株式会社ボルテックスとリノベる株式会社が協業して再生する事例を取り上げ、そこから見えてくるホテル業界のレジリエンス(回復力)と、持続可能な開発への新たなアプローチについて深く掘り下げていきます。
コロナ禍が産んだ「塩漬け」ホテル不動産の再生
2025年12月16日、PR TIMESで発表されたニュースリリースは、ホテル業界関係者に大きな示唆を与えるものでした。株式会社ボルテックスとリノベる株式会社が、京都市内の三条・四条エリアに位置する3棟の遊休不動産をリノベーションし、ホテルとして再生するプロジェクトを発表したのです。
参照記事:【ボルテックスとリノベる、コロナ禍で開業中止したホテルを再生】京都・三条 四条に3棟のリノベーションホテルが竣工 | リノベる株式会社のプレスリリース
この3棟の建物は、2019年末から2020年初頭というまさにコロナ禍初期にホテルとして建設が進められていたものの、世界的な渡航制限や外出自粛によって旅行需要が冷え込み、開業を断念せざるを得ませんでした。その後、約5年間もの間、未利用のまま「塩漬け」状態にありましたが、京都市の観光市場回復を受けて、この度、再生が決定した形です。
この事例は、コロナ禍がホテル業界に与えた深刻な爪痕と、そこから立ち直り、新たな価値を創造しようとする業界の力強い動きを象徴しています。単なる新規開業とは異なる、既存不動産のポテンシャルを最大限に引き出すリノベーション戦略が、今後のホテル開発において重要な鍵となる可能性を示唆しているのです。
なぜ京都で「塩漬け」ホテルが生まれたのか
京都市は、古くから国内外の観光客に人気の高い都市であり、近年はインバウンドブームの恩恵を最も受けていた地域の一つです。2010年代後半には、訪日外国人観光客の急増に対応するため、ホテル開発が活発化し、多くの新規ホテルが計画・建設されました。
しかし、2020年に入り新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大すると、状況は一変します。国際的な渡航制限が敷かれ、インバウンド需要はほぼゼロに。国内旅行も大幅に制限され、需要は激減しました。建設中のホテルは、完成してもゲストが見込めない状況となり、開業を中止したり延期したりするケースが相次ぎました。今回取り上げられた京都市内の3棟の物件も、まさにその時期に建設が進められていたため、開業のタイミングを失い、約5年間もの間、活用されずにいたのです。
この背景には、当時の「供給過剰」懸念もありました。コロナ禍以前から、京都市内では「ホテルの乱立」が問題視されることがあり、インバウンドに過度に依存した供給拡大が、有事の際に脆弱性を露呈するリスクも指摘されていました。結果として、観光客減少に直面した多くのホテルが稼働率の低下や採算悪化に苦しみ、中には閉鎖や売却に追い込まれる施設も現れました。
この「塩漬け」期間は、単なる損失期間ではありませんでした。それは、ホテル業界が外部環境の変化にどれだけ脆弱であるか、そして、持続可能な運営のためには何が必要かを再考する機会を与えたとも言えます。
遊休不動産再生が拓く、ホテル事業の新たな地平
このプロジェクトが持つ意義は、単にコロナ禍の負の遺産を処理するだけにとどまりません。遊休不動産をリノベーションしてホテルとして再生するこのアプローチは、ホテル事業におけるいくつかの重要なトレンドと課題に対する解となり得ます。
1. 既存ストックの活用と持続可能な開発
新規ホテル建設は、多くの資材とエネルギーを消費し、環境負荷も大きいという側面があります。一方、既存の建物をリノベーションして活用することは、スクラップ&ビルドを避け、建築物の寿命を延ばすことにつながります。これは、近年ホテル業界でも重要視されているサステナビリティ(持続可能性)の観点から非常に意義深いアプローチです。地域に既に存在する景観や歴史的文脈を尊重しつつ、現代のニーズに合わせた機能とデザインを付与することで、新たな魅力を創造できます。
京都のような歴史的な都市では、景観保護の観点からも新規建築には厳しい制約があるため、既存建物の改修や転用は、むしろ好ましい選択肢と言えるでしょう。これにより、地域の魅力を維持しながら、宿泊施設の多様性を高めることが可能になります。
2. 供給過剰と差別化戦略
京都市の宿泊市場は、インバウンド需要の回復に伴い、再び活況を呈しています。ニュースリリースにもあるように、高級ホテルの開業が相次ぎ、平均宿泊単価が上昇する一方で、民泊事業も過去最多を記録するなど、市場の多様化・細分化が進んでいます。このような競争環境の中で、単なる新規開業では埋没してしまうリスクもあります。
リノベーションによる再生ホテルは、既存の建物の特徴を活かしつつ、特定のコンセプトやターゲット層に特化したデザインやサービスを提供することで、独自の差別化を図りやすいという利点があります。例えば、歴史的建造物の趣を残しつつ現代的な快適さを融合させたり、特定の文化体験に焦点を当てたりすることで、他のホテルにはない「唯一無二の体験」を提供できる可能性があります。立地が三条・四条という観光の中心地であることも、そのポテンシャルをさらに高めます。
3. 不動産価値の再評価と新たなビジネスモデル
コロナ禍で「塩漬け」となった不動産は、一時的にその価値が低下したと見なされがちです。しかし、今回のプロジェクトのように、市場の回復と新たな戦略的パートナーシップによって、その不動産に秘められた潜在的な価値を再評価し、収益性の高い事業へと転換することが可能です。ボルテックスのような不動産再生事業に強みを持つ企業と、リノベるのようなデザイン・施工に定評のある企業が組むことで、専門知識と技術を結集し、最適な再生プランを実現しています。
これは、ホテル業界における不動産投資の新たなビジネスモデルとしても注目されます。一時的な市場の変動によって価値が低迷した優良な不動産を見出し、適切なリノベーションとブランディングを行うことで、大きなリターンを生み出す可能性を秘めているからです。
現場が直面する課題と、持続可能な運営への視点
この再生プロジェクトは多くの可能性を秘めていますが、実際にホテルとして運営していく上では、いくつかの現実的な課題に直面することになります。
1. 人材の確保と育成
ホテル業界全体で深刻化しているのが人手不足の問題です。京都市内も例外ではなく、観光需要の回復に伴い、熟練したスタッフの確保が喫緊の課題となっています。特に、リノベーションによって個性的なコンセプトを持つホテルが生まれる場合、その世界観を体現し、ゲストに質の高いサービスを提供できる人材の育成が不可欠です。
この課題に対応するためには、単に求人を出すだけでなく、魅力的な労働環境の整備やキャリアパスの提示、外国人材の積極的な採用、そしてテクノロジーを活用した業務効率化が求められます。例えば、ホテル業界の人手不足突破:総務人事部が導く外国人材と「人財」育成戦略のように、外国人材を戦略的に活用し、多様な文化背景を持つスタッフが活躍できる環境を整えることも重要です。
2. 運用効率の最適化
既存建物のリノベーションでは、新築設計に比べてレイアウトや設備に制約がある場合があります。そのため、限られたスペースの中で、どのようにして効率的な運営を実現するかが重要になります。例えば、フロント業務の自動化やセルフチェックイン・チェックアウトシステムの導入、客室清掃の効率化など、テクノロジーを積極的に活用することで、少ない人数でも質の高いサービスを提供し、コストを抑えることが可能になります。これは、ホテル統合システムの新常識:ゲスト体験と効率経営の融合にも通じる考え方です。
また、エネルギー効率の高い設備への更新や、食品廃棄物の削減など、日々の運営におけるサステナビリティへの配慮も、ブランド価値向上に貢献するでしょう。
3. 地域コミュニティとの共生
京都市では、インバウンドの急増に伴うオーバーツーリズムの問題や、ホテル建設ラッシュによる地域景観への影響、住民生活への負荷などが議論されてきました。今回のリノベーションによるホテル再生は、既存の建物を活用するため、新規建設に比べて地域への物理的影響は少ないと考えられます。
しかし、ホテル運営においては、地域住民との良好な関係構築が不可欠です。地元の文化や伝統を尊重し、地域経済に貢献するような取り組み(例えば、地元食材の積極的な使用、地域イベントへの協力、地域ガイドとの連携など)を推進することで、ホテルが単なる宿泊施設ではなく、地域の一部として受け入れられる存在になることが望まれます。
京都のホテル市場の未来と、再生プロジェクトが示す方向性
京都市のホテル市場は、コロナ禍を経て、より複雑で多様な姿へと進化しています。高級ホテルから民泊まで、様々な形態の宿泊施設が共存し、ゲストの多様なニーズに応えようとしています。
今回のような遊休不動産を再生するプロジェクトは、単に空き物件を埋めるだけでなく、これからのホテル業界が目指すべき方向性を示唆していると言えるでしょう。それは、「持続可能性」と「適応力」です。外部環境の変化に柔軟に対応し、既存の資源を最大限に活用しながら、新たな価値を創造していく姿勢が、持続可能な成長には不可欠です。
また、このプロジェクトは、コロナ禍という困難な時期に建設された物件が、時を経て再び輝きを取り戻すという、ある種の希望のメッセージを内包しています。ホテル業界は、これまでも様々な危機を乗り越えてきましたが、そのたびに新たな知恵と工夫を生み出し、進化を遂げてきました。この京都での再生事例は、ホテル業界が今後もそのレジリエンスを発揮し、より豊かで多様な宿泊体験を提供し続けることへの期待を高めています。
まとめ
京都市で進行中の、コロナ禍で「塩漬け」となっていたホテル不動産の再生プロジェクトは、現在のホテル業界が直面する多角的な課題と、それに対する戦略的な解決策を浮き彫りにしています。供給過剰懸念、持続可能な開発、競争激化の中での差別化、そして不動産価値の再評価といったテーマは、ホテル経営者や投資家にとって、今後ますます重要となるでしょう。
この事例は、単に物件を再稼働させるだけでなく、既存の資源を最大限に活かし、市場のニーズに合わせた新たな価値を創造することで、ホテル業界が未来に向けてどのような変革を遂げていくべきかを示す好例です。現場の運営においても、人材確保、運用効率化、地域共生といった課題に真摯に向き合い、革新的なアプローチを取り入れることで、持続可能で魅力的なホテル事業を展開できるはずです。京都の地で、新たな息吹を得て開業する3つのホテルが、どのようなゲスト体験を提供し、今後のホテル業界にどのような影響を与えるのか、注目していきたいところです。


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