はじめに
ホテル業界において、サステナビリティはもはや単なる流行語や企業のイメージ戦略の域を超え、経営戦略の中核をなす要素へと進化しています。2025年現在、多くのホテルが環境・社会・ガバナンス(ESG)の観点から持続可能な運営を目指しており、この動きはホテルが提供するサービス、ビジネスモデル、そして働くホテリエの役割にまで深い変革をもたらしています。
本記事では、サステナビリティがホテル業界に与える影響を深掘りし、特に「役割」と「労働力の期待」という二つの側面に焦点を当て、その実態と未来について考察します。
サステナビリティの進化:単なる「お題目」から「戦略的優位性」へ
かつてホテルのサステナビリティ活動といえば、タオルやリネンの再利用を促すメッセージ、節電対策、あるいは地元の食材を利用するといった、比較的限定的な取り組みが中心でした。しかし、現在ではその認識が大きく変わり、サステナビリティは企業の存続と成長に直結する戦略的要素として位置づけられています。
Hospitality Netの記事「Sustainability Is Reshaping Hotel Roles and Workforce Expectations」(2025年12月12日公開)が示唆するように、ホテルはサステナビリティを運用面だけでなく、組織全体で取り組むべきテーマとして捉え始めています。同記事によれば、米国の調査では、専用のサステナビリティチームを持つホテルの割合が、2022年のわずか2%から2024年には59%へと飛躍的に増加しました。さらに、87%のホテルがスタッフに対して年次のサステナビリティトレーニングを提供していると報告されており、これはサステナビリティが単なる象徴的な取り組みではなく、組織のオペレーションに深く根ざしたシフトであることを明確に示しています。
この変化は、消費者の意識変革と密接に関係しています。特にミレニアル世代やZ世代といった若年層を中心に、環境や社会に配慮した企業やサービスを選ぶ傾向が強まっており、ホテルも例外ではありません。サステナブルな取り組みは、もはやコストではなく、ブランド価値を高め、顧客ロイヤルティを築き、最終的には収益性を向上させるための重要な投資と認識されています。
ホテルの新たな役割:グリーンロールの台頭と専門性
サステナビリティが経営の主軸となる中で、ホテル業界にはこれまでにはなかった新たな職種、いわゆる「グリーンロール」が急速に台頭しています。Adeccoのような採用専門企業は、ホスピタリティ分野における「グリーンロール」の成長を強調しており、具体的には以下のような職種が挙げられます。
- サステナビリティマネージャー(Sustainability Manager):ホテルのサステナビリティ戦略全体の立案、実行、進捗管理を担う。環境パフォーマンスの指標設定、外部認証の取得、サプライチェーン全体のサステナビリティ推進などが主な業務となる。
- グリーンオペレーションスペシャリスト(Green Operations Specialist):日々のホテル運営における環境負荷低減策を具体的に推進する。エネルギー効率の最適化、水資源管理、廃棄物削減プログラムの導入・運用などが含まれる。
- エコ・イベントコーディネーター(Eco-Event Coordinator):会議や宴会などのイベントにおいて、環境に配慮した企画・運営を行う。フードロス削減、使い捨てプラスチックの排除、地産地消の食材利用などを推進し、参加者にサステナブルな体験を提供する。
- サステナブルサプライチェーンマネージャー(Sustainable Supply Chain Manager):食材、リネン、アメニティ、清掃用品など、ホテルが調達するあらゆる物品のサプライチェーンにおいて、環境的・社会的に責任ある調達を推進する。
- カーボンフットプリントアナリスト(Carbon Footprint Analyst):ホテルの炭素排出量を算定し、削減目標の達成に向けた分析と提言を行う。再生可能エネルギー導入の検討や、排出量取引の管理なども視野に入る。
これらの職種は、かつては大手のホテルグループに限定されると考えられていましたが、今日では中小規模の独立系ホテルにおいても、自社の環境戦略を具体化するために採用が進んでいます。これは、サステナビリティへの取り組みが、企業の規模に関わらず不可欠な競争要因となっていることの証左です。
これらの新たな役割の登場は、ホテリエに求められるスキルセットにも大きな変化をもたらしています。従来のホスピタリティスキルに加え、環境科学、データ分析、プロジェクトマネジメント、サプライチェーン管理といった専門知識や横断的なスキルが不可欠となりつつあります。ホテリエは、もはや「お客様をもてなす」だけでなく、「地球をもてなす」視点を持つことが求められるのです。
ホテリエの自己成長に関する詳細な視点は、ホテリエ「自己成長」の設計図:超汎用スキルが拓く「多様なキャリア」と「専門性の道」もご参照ください。
労働力の期待と従業員エンゲージメントの変革
サステナビリティへの取り組みは、従業員の働きがいやエンゲージメントにも深く影響します。特に、環境意識の高い若年層は、企業の社会貢献活動や倫理的姿勢を重視して就職先を選ぶ傾向があります。サステナブルな経営を行うホテルは、こうした優秀な人材を引きつけ、定着させる上で大きなアドバンテージとなります。
前述のHospitality Netの記事が示すように、87%のホテルが年次のサステナビリティトレーニングを提供しているという事実は、従業員一人ひとりがサステナビリティの担い手であるという意識を高める上で非常に重要です。このトレーニングを通じて、従業員は自分の業務が環境や社会にどのように貢献しているかを理解し、仕事への誇りやモチベーションを向上させることができます。
現場のホテリエからは、「お客様に提供するサービスが環境に優しいものであると自信を持って説明できることが嬉しい」「食品ロス削減の取り組みが実際に数字として現れるのを見ると、やりがいを感じる」といった声が聞かれます。こうした具体的な貢献の実感は、従業員のエンゲージメントを高め、結果として離職率の低下や生産性の向上にも繋がります。
さらに、サステナビリティは組織文化そのものにも影響を与えます。部門横断的な協力やイノベーションが促進され、従業員がより積極的に意見を出し合い、新しいアイデアを試す土壌が育まれます。これは、ホテルが持続的に成長し、変化に対応していく上で不可欠な要素です。
人材戦略と定着の重要性については、ホテル「総務人事」の未来図:戦略的投資が拓く「ハイブリッド人材」と「定着経営」でも詳しく解説しています。
顧客ロイヤルティとブランド価値の向上
サステナビリティは、顧客がホテルを選ぶ際の重要な基準となりつつあります。多くの旅行者は、環境に配慮したホテルや、地域社会に貢献しているホテルを積極的に選びたいと考えています。サステナブルな取り組みは、単に環境負荷を減らすだけでなく、顧客に「良いことをしている」という満足感や、「価値ある体験」を提供することに繋がります。
例えば、地元の農家から直接仕入れたオーガニック食材を使った料理を提供するホテルは、食の安全や地域貢献といった付加価値を顧客に提供できます。また、客室のアメニティを環境に優しい素材に切り替えたり、水の消費量をリアルタイムで可視化するシステムを導入したりすることで、顧客は自身の滞在が環境に与える影響を意識し、ポジティブな体験として捉えることができます。
重要なのは、これらの取り組みを透明性高く、分かりやすい形で顧客に伝えることです。ホテルのウェブサイトや客室内の案内、あるいはスタッフとの会話を通じて、どのようなサステナビリティ活動を行っているのかを明確に伝えることで、顧客はホテルへの信頼感を深め、リピーターとなる可能性が高まります。ブランドイメージの向上は、競争が激化するホテル業界において、差別化を図るための強力な武器となります。
実践的課題と未来への展望
サステナビリティへのシフトは、ホテル業界に多くの機会をもたらす一方で、いくつかの実践的課題も抱えています。
投資と収益性のバランス: サステナブルな設備導入やオペレーション変更には初期投資が必要です。短期的な収益性とのバランスをどう取るかが経営上の課題となります。しかし、長期的な視点で見れば、エネルギーコストの削減やブランド価値向上による顧客獲得効果で、投資を上回るリターンが期待できます。
サプライチェーン全体での連携: ホテル単体での取り組みには限界があります。食材や消耗品のサプライヤー、清掃業者、ランドリーサービスなど、サプライチェーン全体でサステナビリティ基準を共有し、協力体制を築くことが不可欠です。
中小規模ホテルのリソース課題: 大手チェーンと異なり、中小規模のホテルでは、サステナビリティ専門チームを組織したり、大規模な設備投資を行ったりするリソースが限られる場合があります。地域のNPOや自治体との連携、あるいは業界団体が提供するガイドラインやツールを活用するなど、外部リソースを効果的に活用することが重要です。
情報開示とグリーンウォッシングの回避: サステナビリティへの関心が高まるにつれて、「グリーンウォッシング」(見せかけだけの環境配慮)に対する批判も強まっています。ホテルは、実態を伴った透明性の高い情報開示を行い、顧客やステークホルダーからの信頼を損なわないよう細心の注意を払う必要があります。
2025年以降、ホテル業界におけるサステナビリティは、単なるコストセンターではなく、イノベーションと成長を牽引する戦略的エンジンとしての役割を一層強めていくでしょう。テクノロジー、特にAIやIoTの進化は、エネルギー管理の最適化、廃棄物排出量の正確なモニタリング、顧客へのパーソナライズされたサステナブル体験の提供など、サステナビリティ推進の強力なツールとなり得ます。
ホテルは、これらの変化をいち早く捉え、新たな役割を担う人材を育成し、持続可能なビジネスモデルを構築することで、未来のホスピタリティを創造していくことが求められています。これは、地球と社会、そしてビジネスの未来に対する責任を果たすことに他なりません。


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