はじめに
近年、日本各地で大規模なコンサートや国際的なイベントが開催されるたびに、宿泊施設の価格が急騰し、特定の利用者層(特に受験生や医療関係者など)が部屋を確保できず困窮するという問題が顕在化しています。これは単なる需給バランスの問題ではなく、ホテル業界における収益管理(レベニューマネジメント:RM)戦略の「光と影」を示すものです。
本記事では、北海道札幌市で発生した「嵐のラストツアー」と「大学受験」が重なった際のホテル価格高騰問題と、それに対して地元の不動産関連企業が取った戦略的な「合格応援価格」での客室提供事例(出典:プレスリリース)を詳細に分析します。そして、短期的な収益最大化を追求するRMと、長期的な企業価値と信頼を築くブランド戦略を両立させるための、ホテル経営者が今学ぶべき「社会的レベニューマネジメント」のあり方を解説します。
結論(先に要点だけ)
- 価格高騰の構造:大規模イベントと大学受験の時期が重なることで、札幌市内の宿泊需要が一時的に供給能力を大幅に超え、ダイナミックプライシング(変動料金制)により価格が異常に高騰しました。
- 戦略的対応事例:地元の不動産業を営む有限会社恒志堂が、受験生向けに自社運用物件の一部を「合格応援価格」(税込5,900円)という戦略的な低価格で提供し、社会的な批判が高まる中でブランドの信頼性を高めました。(出典:プレスリリース)
- 経営者が学ぶべき点:短期的な収益最大化を目指すRMは有効ですが、ブランド毀損や地域社会との軋轢を避けるため、繁忙期こそ「社会的在庫管理」を導入し、長期的な企業価値(ESG/CSR)と収益のバランスを取るべきです。
なぜ大規模イベントでホテル価格は「異常な高騰」を招くのか?
特定の期間にホテル価格が通常の数倍から数十倍に跳ね上がる現象は、特に地方都市やイベント会場周辺で顕著に見られます。この背景には、需要と供給の極端な不均衡と、それを最大限に収益化しようとするレベニューマネジメントの仕組みがあります。
イベントと受験期が重なる「需要爆発」の構造
札幌市で起こった価格高騰の事例では、2つの大きな需要が重なったことが原因です。
- 大規模エンターテイメント需要:人気アーティストのラストツアー(嵐)など、集客力が極めて高いイベントは、全国から数万人規模のファンを一挙に地方都市に呼び込みます。宿泊期間が特定の数日間に集中するため、供給が追いつかなくなります。
- 教育・ビジネス需要:同時期に北海道大学や北海道教育大学などの後期試験が実施され、宿泊を必要とする受験生やその保護者が集中します。彼らは宿泊場所の選択肢が限られており、イベント客と競合することになります。
この「イベント客」と「必須滞在客(受験生など)」の需要が衝突すると、宿泊施設は供給不足に陥り、価格競争原理が働き始めます。
レベニューマネジメント(RM)がもたらす価格高騰のメカニズム
レベニューマネジメント(RM)とは、需要の変動に応じて価格を細かく調整し、客室稼働率と平均客室単価(ADR)を最適化して、収益の最大化を図る手法です。多くのホテルがオンライン予約サイト(OTA)や自社システムを通じてダイナミックプライシング(変動料金制)を導入しているため、以下のメカニズムで価格高騰が発生します。
- 需給のデジタル監視:システムはイベント情報や予約動向(検索数、予約率)をリアルタイムで監視します。
- 価格の自動調整:予約率が特定の閾値(例:80%)を超えると、自動的に価格を段階的に引き上げます。
- 競争相手の反応:周辺の競合ホテルも同様に価格を引き上げるため、短期間で価格が雪だるま式に上昇します。
RMは平時の収益向上に不可欠な技術ですが、極端な繁忙期には、「宿泊が必要不可欠な層(受験生、急な出張者など)」にとって手の届かない価格帯を生み出し、結果的に社会的な批判を招く要因となります。
【事例分析】嵐ツアー時の札幌で起きたこと:受験生への宿泊提供(出典:プレスリリース)
札幌のホテル価格高騰問題に対し、地元の不動産関連企業が取った対応は、短期的な収益を犠牲にしてでも、長期的なブランド価値と地域社会の信頼を優先するという、ホテル業界にとって重要な示唆を与える事例となりました。
恒志堂が提供した「合格応援価格」の全貌
不動産業などを手掛ける有限会社恒志堂は、嵐のライブチケット当選発表後、札幌市内のホテル宿泊施設が急速に確保しづらくなる状況を目の当たりにしました。(出典:有限会社 恒志堂のプレスリリース)
この状況に対し、同社は以下の戦略的な対応を取りました。
- 対象客層の限定:北海道大学後期試験、北海道教育大学札幌校後期試験を受験する学生に限定。
- 戦略的な提供価格:「合格応援価格」として、税込5,900円(当時の相場から見て極めて低廉)を設定。
- 提供客室の確保:札幌市内にある自社運用物件のうち、「ピオネロ148」と「手稲ステーションホテル」の**合計13室を事前にブロック**し、受験生専用の宿泊部屋として提供しました。
この行動は、受験生とその家族の宿泊面の不安を軽減することを目的とした**「社会的責任(CSR)を体現した在庫管理」**と言えます。通常、イベント開催時の客室単価は数万円に跳ね上がるため、この価格設定は短期的には数百万単位の機会損失を意味しますが、地元企業としての信頼獲得とメディア露出によるブランディング効果は計り知れません。
宿泊施設側が緊急で客室を提供する「戦略的在庫ブロック」とは?
この事例で重要なのは、同社が「合格応援」を目的として、運用予定だった客室を商業的なRM対象から外し、戦略的に価格を固定し、在庫をブロックした点です。
ホテル運営における在庫管理には、通常、以下の種類があります。
- 商業在庫(Revenue Stock):市場価格に基づき、RMによって収益最大化を目指す客室。
- ブロック在庫(Group Block):団体客や契約法人向けに、事前に固定価格や一定の割引で確保する客室。
- 戦略在庫(Social/PR Stock):今回の事例のように、社会的貢献や長期的なブランド構築を目的として、市場価格から切り離して提供される客室。
多くのホテルは1と2に注力しますが、極端な繁忙期に3の戦略在庫を意図的に確保し、社会的な必要性が高い層(受験生、災害時の被災者、医療従事者など)に提供することで、地域社会との共存やESG(環境・社会・ガバナンス)経営の側面を強化できます。
ホテル経営者が学ぶべき「社会的レベニューマネジメント」
短期的な収益に目が向きがちなレベニューマネジメントにおいて、札幌の事例は、価格設定と在庫管理に「社会性」を組み込む必要性を示しました。これは、単なる慈善事業ではなく、長期的な経営戦略として取り組むべきテーマです。
短期的な高収益 vs 長期的なブランド信頼:判断基準は何か?
異常な価格高騰が発生した際、ホテル経営者は以下の2つの間で判断を迫られます。
| 要素 | 短期的な高収益(伝統的RM) | 長期的なブランド信頼(社会的RM) |
|---|---|---|
| 目的 | 瞬間的なADR(平均客室単価)とRevPAR(販売可能客室数あたり収益)の最大化。 | ブランド価値の向上、地域コミュニティとの信頼構築、従業員エンゲージメントの強化。 |
| 戦略 | 需要カーブに合わせてシステムに価格設定を完全に委ねる。 | 価格調整に上限(キャップ)を設定し、必要な層への供給を確保するための「戦略的ブロック」を設ける。 |
| リスク | 価格設定に対する顧客や世論からの批判(バイコットリスク)、ブランド毀損。 | 戦略ブロックによる短期的な収益機会の損失。 |
| 判断基準 | 純粋な財務指標(P/L)。 | ブランド認知度、顧客生涯価値(LTV)、地域貢献度(ESG指標)。 |
特に観光地や主要都市のホテルにとって、短期的な高収益による批判は、ソーシャルメディアを通じて瞬時に拡散し、長期的なブランド価値に回復不能なダメージを与える可能性があります。判断基準は、もはや「いくら儲かるか」だけではなく、「その価格設定が、当社のブランドが提供したい価値や、地域社会の一員としての責任を損なわないか」という視点を持つことが重要です。
この考え方をさらに深掘りしたい場合は、企業の社会貢献を収益に結びつける戦略について書かれた記事もご参考ください。>> ホテル差別化の新常識!社会貢献を「投資」に変える具体策
オペレーション現場の困りごと:在庫管理と予約変更の負荷
社会的在庫管理を導入する際、現場のオペレーションには新たな課題が生じます。
1. 対象者の選定と証明の負荷:
今回の事例のように「受験生」に限定する場合、ホテル側は予約時に受験票などの証明を求める必要があります。この証明作業や資格確認は、フロントスタッフや予約部門に新たな業務負荷を生じさせます。また、公平性を保ちつつ、対象外の顧客からの問い合わせやクレームに対応するスキルも求められます。
2. システム的な在庫分離の複雑さ:
RMシステムは通常、収益最大化のために客室をダイナミックに販売することを前提としています。特定の部屋を特定の期間、市場価格から切り離して固定価格で販売するためには、手動での在庫調整や、OTA・自社予約システムでの販売チャネルの分離(クローズ)が必要となり、ミスマッチやダブルブッキングのリスクも高まります。適切なDX投資により、この戦略的ブロックを容易に行えるシステム導入が求められます。(【2026年最新】ホテルDX完全ガイド:成功事例(アパ・星野リゾート)とトレンドを網羅解説)
価格設定における「倫理」と「収益性」のハイブリッド戦略
ホテル経営は、地域の一員としての責任を負いつつ、投資家や株主への説明責任も果たさなければなりません。そこで求められるのが、「倫理」と「収益性」を統合したハイブリッド戦略です。
1. 価格設定の上限(プライス・キャップ)の導入
異常な価格高騰を避けるため、ホテルやブランドのガイドラインとして、繁忙期であっても通常のADRに対して最大何倍までとするかという上限(プライス・キャップ)を事前に設定します。これにより、RMシステムが暴走するのを防ぎ、ブランドの信頼性を保ちます。
2. 戦略的アロケーション(配分)の制度化
年間を通じて、特定の客室在庫の数パーセント(例:総室数の2%)を「地域貢献枠」や「緊急時対応枠」として、平時からRMの販売対象から意図的に切り離し、固定価格で提供できる仕組みを制度化します。これは、富裕層が求める「特別感」を、社会的な必要性が高い層への「安心感」という形で提供する、新しい形の贅沢とも言えます。
3. 透明性の確保と情報発信
価格が高騰する理由、そして特定の層に特別な対応をしている理由について、積極的に情報発信を行います。札幌の事例のようにプレスリリースを通じて公にすることで、単なる低価格販売ではなく、企業の哲学に基づいた戦略であることを明確にできます。
まとめ:価格高騰時代にホテルが「選ばれる」ために
ホテル業界は、インバウンドの回復や大規模イベントの増加により、今後も繁忙期の価格高騰が常態化する傾向にあります。レベニューマネジメントは収益を最大化するための強力なツールですが、その運用方法一つで、企業ブランドの信頼性が大きく左右されます。
札幌の事例が示すように、宿泊が必要な人々への配慮と戦略的な在庫管理は、短期的な利益を上回る長期的な価値(企業イメージ、メディア露出、従業員の誇り)を生み出します。これからのホテル経営には、技術による収益最大化だけでなく、地域社会の一員としての責任を果たす「社会的レベニューマネジメント」の視点が不可欠です。市場価格に身を任せるのではなく、「誰に、どのような価値を提供するのか」というブランドの根幹に基づいた価格戦略を持つことが、「選ばれるホテル」となるための鍵となります。
よくある質問(FAQ)
Q1: なぜ大規模イベントでホテルの宿泊費は急激に高くなるのですか?
A: 主な理由は、需要と供給の極端な不均衡です。大規模イベントでは特定の日に数万人規模の人が一斉に宿泊を求めますが、客室数には限りがあります。多くのホテルが導入している変動料金制(ダイナミックプライシング)により、予約の動きに応じて自動的に価格が引き上げられ、高騰を招きます。
Q2: レベニューマネジメント(RM)はなぜ批判されることがあるのですか?
A: RM自体は効率的な経営手法ですが、倫理的な側面が欠如すると批判されます。特に、災害時や医療、受験など「宿泊が必須」な状況下で、生活に必要なレベルを超えた異常な高値をつけることは、社会的な公平性を欠くと見なされるためです。
Q3: 札幌の事例のように、受験生向けに低価格で部屋を提供する企業の目的は何ですか?
A: 短期的な収益は減少しますが、①地域社会への貢献(CSR/ESG)を果たす、②ブランドイメージや信頼性を向上させる、③メディア露出を通じて競合他社との差別化を図る、という長期的なメリットを追求するためです。これは「社会貢献を投資」と捉える戦略的な判断です。
Q4: ホテルが価格高騰を防ぐためにできることはありますか?
A: 価格設定の上限(プライス・キャップ)を事前に設定することや、受験生や緊急需要向けの「戦略的在庫」を少数でも確保し、市場価格とは別に低価格で提供する制度を導入することが有効です。重要なのは、透明性のある対応をすることです。
Q5: 受験生が繁忙期に宿泊を確保するための最も確実な対策は何ですか?
A: 大学の試験日程などが判明した時点で、可能な限り早期に予約を確保することが基本です。また、受験生向けの特別枠を設定しているホテルや、大学周辺の代替宿泊施設(マンスリーマンションや企業の戦略的提供物件など)の情報をチェックすることも有効です。
Q6: 今回の事例のように、不動産業者がホテルの部屋を提供するのはなぜですか?
A: 不動産業者がホテルや民泊物件を運用している場合、自社の保有資産を活用して地域貢献を行うことで、企業としての知名度向上やイメージアップを図れます。これは、単なる宿泊業にとどまらない、資産運用とブランディングの新しい融合の形です。


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