はじめに:ホテルスタッフが明かす「宿泊客の基本」が経営課題である理由
インバウンド需要の回復と国内旅行ブームにより、ホテルの稼働率は高水準で推移しています。しかし、その裏側で、ホテル運営の根幹である「清掃業務」や「設備管理」は、深刻な人手不足とコスト増に直面しています。
この状況下で、宿泊客が「知らずにやってしまう」些細な行動が、現場に大きな負荷をかけている事実が注目を集めています。最近、大阪のホテルスタッフがTikTokで発信した「宿泊の基本3選」が大きな反響を呼びました。(出典:LIMO/Yahoo!ニュース)
この記事では、単なるマナー論ではなく、なぜ宿泊客の行動がホテルの経営やオペレーションに直結するのかを、現場目線とコスト構造の観点から深く掘り下げます。ホテリエとして持続可能な運営を目指すために、ゲストとの相互理解を深めるための戦略を解説します。
結論(先に要点だけ)
- ホテルスタッフが指摘する「宿泊の基本」は、現場の清掃時間超過(オーバータイム)と特別清掃コストに直結する経営課題です。
- 特に「使用済みタオルの散乱」「備品の過度な持ち帰り」「ゴミの分別・放置」は、ハウスキーピング業務の効率を著しく低下させます。
- これらのNG行動は、スタッフの燃え尽きや離職、結果として宿泊料金の上昇につながる「見えないコスト」となります。
- ホテル側は、張り紙ではなく、デジタルツールや視覚的な工夫を通じて、ゲストに協力を促す「マイクロ・コミュニケーション戦略」が必要です。
なぜホテルスタッフは「宿泊の基本」を発信したのか?現場の悲鳴と見えないコスト
近年、多くのホテルが人手不足と清掃コストの高騰に悩んでいます。客室清掃は、チェックアウトから次のゲストのチェックインまでに完了させなければならない、時間に最もシビアな業務です。標準清掃時間(たとえば30分)を超えることは、清掃スタッフの残業代発生や、次の客室への遅延、ひいては顧客満足度の低下に直結します。
外部ニュースで取り上げられた事例(出典:LIMO/Yahoo!ニュース)でスタッフが発信した内容は、まさにこの「標準清掃時間を圧迫する要因」を指摘しています。
スタッフがSNSを通じて情報を発信する背景には、以下のような現場のリアルな課題が隠されています。
清掃スタッフの「見えない残業」問題
宿泊客が清掃しやすい状態にしてくれるだけで、清掃スタッフは次のアクションにすぐ移れます。タオルやゴミの処理に時間を取られることは、単純作業の繰り返しではなく、本来集中すべき消毒やベッドメイキングの時間を削ることになります。
特に専門的な清掃技術や、高度な判断が必要なタスクに集中するためには、客室の状態を整える初期準備の時間をいかに短縮するかが重要です。
特別清掃費用の増加
カーペットの広範囲な汚れ、備品破損、著しいゴミの放置などは、通常の清掃では対応できず、外部業者への発注や、特定のスタッフによる特別対応が必要になります。これは、追加的な費用(特別清掃費用)と客室販売機会の損失(ODD:Out of Order Day)につながり、ホテルの収益を直接圧迫します。
客室での「やってはいけない」3つの行動とは?清掃負荷を分析
上記ニュース記事で取り上げられた「宿泊客が意外と知らない基本」を、清掃スタッフの業務負荷の視点から深掘りします。
1. 使用済みタオルを床やベッドに放置する
【現場への影響】
清掃スタッフは、使用済みタオルと未使用タオルを厳密に分けなければなりません。使用済みタオルが濡れたままベッドの上に放置されていると、シーツやマットレスに湿気が移り、カビやシミの原因となります。また、タオルが床に散乱している場合、スタッフは一つ一つ拾い上げ、リネン袋に入れる作業が加わります。
- あるべき姿:使用済みタオルは、バスタブ、洗面台横、または指定のランドリーバッグに入れる。
- 具体的な業務負荷:シーツ交換時に濡れたタオルが混入すると、リネンサプライヤー側でシミ抜き作業が発生したり、リネン寿命が短くなったりする(コスト増)。
2. 客室内のゴミを分別せずに放置する、またはゴミ箱に入れない
【現場への影響】
多くのホテルは、自治体の規定に基づき、客室清掃スタッフがゴミの分別を行っています。宿泊客が飲み残しの液体や食べ残しをそのままゴミ箱に入れたり、分別ルールを無視したりすると、スタッフは手作業で中身を分別し、汚物を処理する時間が追加で発生します。
- あるべき姿:飲み残しは流し、燃えるゴミ、缶・ペットボトルは極力分別してゴミ箱に入れる。
- 具体的な業務負荷:特に液体が漏れた場合、カーペットやゴミ箱自体の洗浄が必要になり、不快な作業が伴います。これはスタッフのモチベーション低下の大きな原因の一つです。
3. 備品(アメニティ以外)を過度に持ち帰る、または故意に破損させる
【現場への影響】
シャンプーや歯ブラシといった消耗品(アメニティ)の持ち帰りは想定内ですが、ハンガー、室内スリッパ、リモコンの電池、時には小型の照明器具など、ホテルの資産を持ち帰る行為は大きな損害です。また、故意・過失を問わず設備を破損した場合、その報告・修理・交換にスタッフの時間と費用が費やされます。
- あるべき姿:ホテル所有の備品は持ち帰らない。破損・汚損があった場合は速やかにフロントに申告する。
- 具体的な業務負荷:破損・紛失のチェックリスト確認、在庫管理部門への報告、調達手配、修理業者との連携など、複雑なバックオフィス業務が発生します。
【ホテリエの視点】NG行動を「予防コスト」に変える三つの戦略
これらの「見えないコスト」を削減するためには、宿泊客に「マナー」として強制するのではなく、「協力を依頼する」というホスピタリティに基づいたコミュニケーション戦略が必要です。
以下に、現場の負担軽減と顧客体験向上を両立させるための具体的な戦略を提案します。
戦略1:客室での「マイクロ・コミュニケーション」を最適化する
従来の「ご注意ください」といった硬い文言の張り紙は効果が薄いだけでなく、ゲスト体験を損ないます。必要なのは、ゲストが抵抗なく協力できるような、さりげない情報提供です。
① ゴミ箱と分別ガイドの工夫
- 分別表示の視覚化:ゴミ箱自体に、何のゴミを入れるべきかイラストやアイコンで明記します。たとえば、「燃えるゴミ」「ペットボトル・缶」のフタの色を変えるだけでも効果的です。
- 液体処理の明確化:飲み残しは排水口へ、というメッセージを洗面台付近に小さなシールやデザイン性の高いカードで配置します。これにより、ゴミ箱の汚損を防ぎます。
② タオルの回収場所の設計
タオル回収専用のバスケットやフックを、バスタブやシャワールームの近くに、「使ったらここへ」というメッセージとともに設置します。これは単なる片付けの指示ではなく、「環境負荷軽減(節水・節電)」の文脈で協力を促すと、理解が得られやすいです。
戦略2:清掃プロセスをデジタルで可視化する
宿泊客に協力を促す最大の根拠は、「ホテルの持続可能性への貢献」です。
- ステイオーバー(連泊)時のメッセージ:連泊客に対し、清掃不要を選択した場合のメリットを具体的に伝えます。「清掃不要を選択いただくと、CO2排出量を○g削減できます」「代わりに、館内レストランで利用できる500円クーポンをプレゼント」など、具体的なインセンティブを提供します。
- 清掃進捗管理システムの導入:フロントやコンシェルジュが客室の清掃状況をリアルタイムで把握できるシステム(PMS連携の清掃管理ツール)を導入することで、清掃の遅延を予測し、ゲストへの事前連絡や代替案提示を迅速に行うことができます。
現場オペレーションの効率化は、テクノロジーの導入によって大きく改善可能です。清掃業務の効率化については、過去記事もご参照ください。ホテルの清掃は自動化で半減する?30秒でテーブルが新品になる技術
戦略3:スタッフの「不満」を「改善提案」に変える仕組み
スタッフがSNSで発信せざるを得ない状況は、内部のコミュニケーション経路が不十分である可能性を示唆しています。現場の不満を経営改善のヒントに変える仕組みが必要です。
- 清掃スタッフ向けチェックリストの充実:「清掃時間超過の原因」として、「散乱ゴミの多さ」「リネン汚染度」などを評価項目に加え、定期的にデータを収集します。
- データに基づいた客室改善:「このタイプの客室は特にゴミの分別ができていない」というデータが得られたら、その客室のゴミ箱配置や案内方法を見直します。感覚的な不満ではなく、データに基づいた改善を行うことで、スタッフも納得感を持って業務に取り組めます。
このような業務効率化とスタッフ体験向上の取り組みは、結果的にホテルの収益性を高めます。なぜホテルの人手不足は解消しない?裏側RPAで1.7万時間を生む秘訣
利用者はなぜ「基本」を知らないのか?相互理解の欠如
多くの宿泊客が悪意を持ってNG行動をしているわけではありません。主な理由は「相互理解の欠如」にあります。
1. 清掃プロセスのブラックボックス化
宿泊客は、客室清掃がどれほど手間と時間を要するのか、具体的に知りません。「料金を払っているのだから、当然清掃される」という認識が一般的です。清掃業務の複雑さや、スタッフの専門性をあえて伝えることで、協力への意識が高まります。
2. 日常生活とのルールの違い
家庭では当たり前のゴミの分別や、タオルの回収方法が、ホテルでは異なる場合があります。ホテル側が求めるルールが、明確に、かつ受け入れやすい形で伝わっていなければ、ゲストは自分の習慣通りに行動します。
3. アメニティの定義の曖昧さ
どこまでが持ち帰り可能で、どこからが不可なのか、線引きが曖昧な備品は多々あります。たとえば、最近はエコの観点からプラスチックスリッパではなく、再利用可能な質の高いスリッパを導入するケースが増えていますが、「使い捨てではない」ことが伝わっていないと、誤って持ち帰られるリスクが高まります。
ホテル側は、コスト削減や環境配慮の意図を明確に伝え、ゲストの共感を呼ぶことが、自主的な協力を引き出す鍵となります。
まとめ:ホスピタリティとは「一方的なサービス」ではない
ホテル業界において「ホスピタリティ」は、スタッフが一方的にゲストへサービスを提供する行為だと捉えられがちです。しかし、持続可能で質の高いおもてなしを実現するためには、ゲストとホテル側の双方向の配慮が不可欠です。
宿泊客の「知らずにやってしまうNG行動」は、単なるマナー違反ではなく、清掃効率の低下、コスト増、そして何よりも現場スタッフの疲弊という、ホテルの経営を左右する深刻な問題です。
ホテリエは、SNSでの発信を「スタッフの悲鳴」として捉えるだけでなく、それを「ゲストとのコミュニケーション戦略を見直すチャンス」と捉えるべきです。デジタル技術や客室のデザインを通じて、ゲストが楽しみながら、あるいは環境に配慮しながら、自然と清掃しやすい状態を作ってくれるような仕組みを構築することが、2026年以降のホテル運営における重要な差別化要素となるでしょう。
よくある質問(FAQ)
Q1: ホテル側が宿泊客に協力を求めるのは、サービス低下につながりませんか?
A: 協力依頼の方法によります。「命令」や「注意」ではなく、「環境への配慮」や「スタッフの負担軽減」といった前向きな理由を添えて、デザイン性の高いツール(例:おしゃれな案内カード、視覚的な分別表示)で伝えることで、ゲスト体験を損なわず、むしろホテルの理念への共感を生むことができます。
Q2: 使用済みのタオルはどこに置くのが最も親切ですか?
A: 浴槽の中、または洗い場や洗面台の横など、水回りの「濡れても良い場所」にまとめて置くのが最も親切です。ベッドやカーペットの上に放置すると、シミの原因や分別作業の負荷になります。
Q3: ゴミの分別が面倒です。全てまとめても問題ないでしょうか?
A: 義務ではありませんが、可能な限り分別にご協力いただけると、現場スタッフの負担が大幅に軽減されます。特に、缶やペットボトル、飲み残し(液体)は、清掃スタッフが手作業で処理しなければならないため、事前に流していただけると大変助かります。
Q4: 備品を壊してしまった場合、チェックアウト時に申告すべきですか?
A: はい、速やかに申告してください。隠したり、黙っていたりすると、次のゲストが利用する際に発覚し、より大きなトラブルにつながる可能性があります。故意でない破損であれば、ほとんどの場合、ホテルは保険や修繕費で対応します。
Q5: 連泊時に清掃を断るメリットはありますか?
A: ホテル側の清掃コスト削減、水や洗剤の使用削減による環境負荷軽減に貢献できます。多くのホテルでは、清掃不要を選択したゲストに対し、ミネラルウォーターの追加提供や、館内利用券などのインセンティブを提供しています。
Q6: 清掃スタッフが最も助かる客室の状態はどのようなものですか?
A: (1) 大きなゴミやリネンが所定の場所にまとめられている、(2) 私物が散乱しておらず、ベッドやテーブルからすぐに回収できる、(3) 異常な汚れや破損がない、という状態です。これにより、スタッフは短時間で効率的かつ質の高い清掃を行えます。


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