はじめに:ホテルキャンセル料「常識」が覆った意味を問う
ホテル業界における「直前キャンセル料100%」は、長らく業界の常識とされてきました。これは、予約が入った時点で他のゲストへの販売機会を失う(機会損失)ため、その損害を補填するというロジックに基づいています。
しかし、この常識に対して、大手リゾートチェーンである星野リゾートが異例のメスを入れました。2025年10月、同社は新予約システム導入に伴い、直前キャンセル料率を従来の100%から30%に大幅に引き下げるという画期的なポリシー変更を発表しました(出典:ダイヤモンド・オンライン)。
この変更は単なるサービス改善に留まらず、ホテル経営におけるリスク管理、レベニューマネジメント、そして顧客ロイヤリティ戦略の根本的な見直しを示唆しています。
本記事では、この星野リゾートの戦略を深掘りし、なぜ彼らが短期的な収益リスクを負ってまでキャンセル料を引き下げたのか、そして他のホテル経営者がこの動きから何を学び、自社のキャンセルポリシーをどのように戦略的に設計すべきかを解説します。
結論(先に要点だけ)
- 星野リゾートは、2025年10月に直前キャンセル料率を従来の100%から30%に引き下げた。
- この戦略は、短期的な損失リスクを負ってでも、顧客の信頼獲得(ブランドロイヤリティ向上)と直販経路の強化を最優先する経営判断である。
- 新予約システム「FleBOL(フレボル)」の導入により、キャンセルされた在庫を迅速に再販できる体制が整い、リスクを許容できる構造になった。
- 他のホテルは、ブランド価値、ターゲット層、再販能力を総合的に評価し、キャンセル率を「コスト」ではなく「許容できるマーケティング投資」と捉え直すべきである。
なぜホテル業界は「キャンセル料100%」を常識としてきたのか?
まず、星野リゾートの戦略を理解するためには、キャンセル料100%が標準とされてきた背景を把握する必要があります。
機会損失を防ぐための「保険」
ホテル運営において、客室は在庫であり、当日が過ぎればその販売機会は永久に失われます。キャンセル料100%は、主に以下の2つの役割を果たしてきました。
1. 収益確保の担保:
直前のキャンセルにより空室が発生した場合、その部屋を売ることは極めて困難です。100%のキャンセル料は、ホテルが予定していた売上を確保するための確実な担保となります。
2. 確約を促す心理的効果:
キャンセル料が低いと、ゲストはとりあえず予約する「仮押さえ」行動が増える可能性があります。100%というペナルティは、本当に宿泊を確約したいゲストだけが予約するよう促す心理的なバリアの役割を果たします。
法的な背景:消費者契約法と約款の妥当性
消費者契約法において、キャンセル料は「平均的な損害額を超えてはならない」とされています。ホテル標準約款では、宿泊日の直前(当日や前日)のキャンセルについて100%のキャンセル料を設定しているケースが多く、これは裁判例においても、直前であればホテル側が被る損害(機会損失)がほぼ100%に相当すると判断されることが多いため、一般的に妥当とされてきました。
しかし、この100%という厳格なポリシーは、急な体調不良や不可抗力によるキャンセルであっても容赦なく適用されるため、ゲストの心証を悪化させ、結果的にブランドに対する不信感やネガティブな口コミにつながるリスクを内包していました。
星野リゾートはなぜキャンセル料を30%に下げたのか?
業界の常識と法的な妥当性がある中で、星野リゾートがキャンセル料を30%に引き下げた背景には、短期的な売上よりも重視する戦略的な目的が存在します。
戦略的理由1:顧客ロイヤリティと信頼の最大化
星野リゾートが提供するのは、高単価で特別な体験です。このような高級・体験型セグメントのゲストにとって、予約時に「もしもの時に100%取られる」というプレッシャーは、予約行動の大きな障壁となり得ます。
キャンセル料を30%に下げることで、ゲストは「万が一の際にも一定の配慮がある」と感じ、安心して予約を確定できます。これは、「お客様の不安を取り除き、ブランドへの信頼を構築する」という、長期的な顧客ロイヤリティ戦略の一環です。
特に富裕層やリピーターは、一度の不満で他のブランドへ簡単に流出します。短期的なキャンセル料収入を放棄する代わりに、生涯顧客価値(LTV: Life Time Value)を最大化する判断と言えます。
戦略的理由2:直販(ダイレクトブッキング)経路の強化
星野リゾートは、新予約システム「FleBOL」の導入に合わせてこのポリシー変更を行いました(出典:ダイヤモンド・オンライン)。
直販(自社ウェブサイト経由の予約)は、OTA(Online Travel Agent)経由よりも手数料がかからず、利益率が高いのが特徴です。
多くのOTAでは、キャンセルポリシーが厳格に定められており、フレキシブルな対応が難しい場合があります。しかし、自社直販サイトでの予約に対して「キャンセル料30%」という優位性を打ち出すことで、OTAから直販へと顧客を誘導する強力なインセンティブになります。
キャンセルポリシーの優位性は、価格競争に頼らない直販強化の武器となるのです。
戦略的理由3:在庫の流動性を高めるテクノロジーの進化
キャンセル料を低く設定できる最大の根拠は、「キャンセルされても、すぐに売れる」という再販能力の自信にあります。
新システム「FleBOL」は、在庫管理と販売を最適化するために導入されました。キャンセルが発生した瞬間、その在庫がシステムに反映され、即座に再販できる仕組みが重要になります。
従来のシステムでは、直前キャンセルが発生しても、再販のための広告や価格調整に時間がかかり、結果的に空室として終わることが少なくありませんでした。しかし、テクノロジーによって再販のスピードと精度が向上したため、星野リゾートは短期的な収益リスクを許容できるようになったと考えられます。
(参考:宿泊予約サイト「じゃらんnet」でも、最適価格算出機能など、収益管理ツールが進化しています。レベニューマネジメントの精度が上がれば、在庫リスクは軽減できます。)
他のホテル経営者が考えるべきキャンセルポリシーの判断基準
星野リゾートの事例は、全てのホテルがキャンセル料を30%にすべき、という単純な話ではありません。この戦略を成功させるためには、特定の前提条件と体制が必要です。
他のホテル経営者がキャンセルポリシーを設計する際に、考慮すべき3つの判断基準と、現場運用上の課題を解説します。
判断基準1:ブランドの市場ポジショニングとLTV
あなたのホテルがターゲットとする顧客は、価格感度が高いか、それともブランド体験へのロイヤリティが高いかによって、取るべき戦略は異なります。
| 項目 | ロイヤリティ重視型(高級・体験型) | 価格感度重視型(ビジネス・標準型) |
|---|---|---|
| ターゲット | 富裕層、リピーター、記念日利用 | ビジネス客、団体、価格重視のレジャー客 |
| キャンセル料戦略 | 低めの料率(30%など)を設定し、信頼感を醸成。LTV向上を狙う。 | 業界標準(100%)または高めの料率で確実な収益を担保。 |
| 再販難易度 | 高い(予約が特定の体験に紐づくため代替が難しい) | 比較的低い(当日予約やウォークイン需要が期待できる) |
| 考慮すべき指標 | 生涯顧客価値(LTV)、口コミ評価 | 予約確定率、当日の客室稼働率(OCC) |
判断の分かれ目:顧客が「キャンセル料を気にせず予約したい」と思うほど、あなたのブランドに価値があるか? 価値があれば、低料率化は強力な武器になります。
判断基準2:レベニューマネジメント(RM)の精度と再販能力
キャンセル料を下げた場合、ホテルのRM部門はより高度な在庫管理を求められます。もしキャンセルが多発しても再販できなければ、収益は大きく悪化します。
キャンセルリスクを許容するためには、以下の2点が必要です。
1. リアルタイムな在庫反映(システム連携):
キャンセル発生から1分以内に在庫が販売可能な状態になり、OTAや直販サイトに反映される必要があります。予約システムとPMS(Property Management System)のシームレスな連携が不可欠です。
2. 自動的な価格最適化:
キャンセルされた在庫は、残りの予約期間、競合価格、需要予測に基づき、自動的に最適な価格に調整される必要があります。手動運用では直前の再販機会を逃しがちです。これには、AIを導入した高度なRMツールが有効です。
(関連:在庫の最適化については、戦略的在庫術を解説した「なぜホテル価格高騰は是か非か?受験生を救った戦略的在庫術」もご覧ください。)
判断基準3:現場オペレーションへの影響
キャンセル料の低減は、現場スタッフの業務にも影響を与えます。
1. 再販対応の高速化:
直前キャンセルが増える可能性があるため、フロントデスクや予約担当者は、キャンセル通知があった際の再販プロセス(特にキャンセル料の処理と在庫の開放)を最優先で、かつ迅速に行う必要があります。
2. ゲストコミュニケーションの質の維持:
キャンセル料を30%にする場合でも、キャンセルが発生した経緯や、ポリシーを丁寧に説明する能力が求められます。キャンセルしたゲストに対しても、ブランドイメージを損なわない「最後の体験」を提供することが、ロイヤリティ維持に繋がります。
現場スタッフは、キャンセル対応を「損失処理」ではなく、「次の予約機会を創出するための業務」と捉える意識改革が必要です。
キャンセル料戦略の未来:リスクヘッジから信頼投資へ
星野リゾートのキャンセルポリシー変更は、ホテル業界の収益構造が、従来の「在庫のロスを徹底的に防ぐ」構造から、「顧客との長期的な関係性を重視し、短期的なリスクを許容する」構造へとシフトしていることを象徴しています。
変動するキャンセル料の導入
今後、多くのホテルが検討すべきなのは、一律100%ではなく、予約の時期や需給に応じてキャンセル料を変動させる戦略です。
- 早期予約特典付きプラン:キャンセル不可/返金なしで大幅割引(リスク全額ゲスト負担)。
- スタンダードプラン:直前30%(星野リゾート型)。
- フレキシブルプラン:当日朝までキャンセル無料だが、価格は最も高い(リスク全額ホテル負担)。
ゲストにリスクの度合いを選択させることで、ホテルの在庫リスクを分散しつつ、顧客満足度を高めることが可能です。
ホテルグループアプリによる直販と体験の一元化
キャンセル料の引き下げと直販強化は密接に関連します。ホテルグループが自社のモバイルアプリやウェブチャネルで予約を完結させることで、柔軟なポリシーを適用しやすくなります。
予約から滞在中のサービス、チェックアウト、そしてキャンセル対応に至るまで、全てをブランド側がコントロールすることで、よりパーソナライズされた柔軟な対応が可能となり、これが結果的に高いロイヤリティを生み出します。
(参考:テクノロジーによる直販強化の重要性については「【2026年最新】ホテルDX完全ガイド:成功事例(アパ・星野リゾート)とトレンドを網羅解説」でも詳しく触れています。)
まとめ:キャンセルポリシーは「価格」ではなく「ブランド」の表明
ホテルのキャンセルポリシーは、単なる規約ではなく、そのブランドがゲストに対してどのような姿勢で向き合っているかを示す重要な表明です。
星野リゾートが示した「30%戦略」は、短期的な売上至上主義から脱却し、顧客の信頼を資本として捉える経営哲学に基づいています。この戦略を採用できるか否かは、あなたのホテルの在庫を即座に再販できるテクノロジーと、それを可能にするレベニューマネジメントの精度にかかっています。
ホテル経営者は今、自社の顧客層と再販能力を冷静に評価し、キャンセル料を「失われた収益を補填するもの」ではなく、「顧客に安心感を提供するマーケティング投資」として再定義するタイミングに立っています。
よくある質問(FAQ)
Q1: なぜキャンセル料は当日100%が一般的だったのですか?
A: 当日キャンセルされた客室は、その日中に再販することが極めて難しく、ホテルにとって収益の機会が完全に失われる(機会損失)ためです。これは、法律上も「平均的な損害額に相当する」として認められることが多いため、業界標準となっていました。
Q2: 星野リゾートのキャンセル料30%は、いつから適用されていますか?
A: 2025年10月に新予約システム「FleBOL」の導入に伴い、適用が開始されました。(出典:ダイヤモンド・オンライン)。
Q3: キャンセル料が30%になると、ホテル側は損をしませんか?
A: 短期的には、100%請求する場合と比べて損失リスクは増えます。しかし、星野リゾートは、損失を上回る「顧客信頼の獲得」と「直販予約の増加」による長期的な収益向上を目指しています。高度な予約システムで在庫を迅速に再販することで、実際の損失を最小限に抑えることを前提としています。
Q4: 予約システム「FleBOL」とは何ですか?
A: 「FleBOL」は星野リゾートが導入した新しい予約システムです。このシステムの最大の特徴は、キャンセルなどで生じた在庫をリアルタイムかつ戦略的に再販できるように設計されている点にあります。柔軟なキャンセルポリシーを支える技術基盤です。
Q5: 他のホテルがキャンセル料を下げる際のリスクは何ですか?
A: 最大のリスクは、予約の「仮押さえ」が増え、実際のキャンセル率が上昇することです。再販体制(高度なRMシステムとスピード感のある現場運用)が整っていないホテルが安易に料率を下げると、空室が増加し、収益が大幅に悪化する可能性があります。
Q6: キャンセル料のポリシーは予約経路によって異なりますか?
A: はい、異なります。OTA(じゃらん、楽天トラベルなど)経由の予約は、それぞれのOTAが定める規約やシステムの制約を受けるため、ホテル独自の柔軟なポリシー(30%など)を適用しにくい場合があります。そのため、ホテルが直販サイトで予約してもらうための優位性として、キャンセルポリシーを活用することが増えています。
Q7: 顧客側が予約時に注意すべき点はありますか?
A: 予約時に「キャンセル料ポリシー」の適用条件(いつから何%発生するか)を必ず確認してください。特に、OTA経由の場合とホテルの直販サイト経由の場合で、ポリシーが異なる可能性があるため、比較検討することが重要です。


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