はじめに
近年、ホテル業界はテクノロジーの急速な進化と、ゲストのデジタル化された期待の狭間で、大きな変革期を迎えています。特に、OTA(オンライン旅行代理店)への依存度が高まる中で、いかに自社のブランド力を強化し、収益性の高いダイレクトチャネルを確立するかは、ホテルグループ共通の喫緊の課題です。
この課題を解決する鍵として、ホテルグループが独自のモバイルチャネルを所有する戦略、すなわち「Own the Mobile Channel」が注目されています。これは単なるチェックイン機能の提供に留まらず、予約から滞在中のサービス、そして次の予約に至るまでのゲストジャーニー全体を、ブランド体験として統合し、データ主権を取り戻すための戦略的投資です。
本記事では、ホテル業界におけるモバイル戦略の重要性を再定義し、特にチェーン展開を行うホテルグループが、どのようにして迅速かつ効率的に自社ブランドアプリを導入し、収益とロイヤリティを最大化できるのかを、最新のSaaS型テクノロジーの事例(STAY社のCorporate App)を通じて徹底解説します。
結論(先に要点だけ)
- ホテルグループの収益性向上とロイヤリティ構築の鍵は、「モバイルチャネルの所有権(Own the Mobile Channel)」を確立することにある。
- OTA依存からの脱却、予約手数料の削減、そしてLTV(顧客生涯価値)最大化のために、ブランド統一の自社アプリ導入が不可欠。
- STAY社が発表した「Corporate App」のようなSaaS型ゲストエクスペリエンスプラットフォームは、内製化の課題(高コスト、長期開発)を解決し、迅速な全チェーン展開を可能にする。(出典:Hospitality Net)
- アプリ導入で、チェックインの自動化、滞在中のサービス予約、CRM・ロイヤリティ連携が一体化し、シームレスな「デジタルおもてなし」が実現する。
- 導入を成功させるには、テクノロジー選定だけでなく、現場のオペレーション負荷を軽減し、アップセル機会を最大化する設計が重要となる。
なぜ今、ホテルグループは「モバイルチャネルの所有権」を強化すべきか?
ホテルグループが自社のデジタル戦略を語る際、「OTAからの脱却」は常に中心的なテーマです。しかし、真に目指すべきは、OTAを排除することではなく、収益性の高いチャネルミックスを自社のコントロール下に置くことにあります。その最前線にあるのが、モバイルチャネルです。
OTAへの高い依存がもたらす収益構造の歪み
OTA経由の予約は集客力がある反面、15%から30%に及ぶ高額な手数料が発生します。特にブランドチェーンの場合、全体の予約の大部分がOTA経由になると、利益率は著しく圧迫されます。モバイルアプリを通じたダイレクトブッキングの促進は、この手数料コストを直接的に削減し、営業利益(GOP)の改善に直結します。
顧客ロイヤリティとLTVの最大化
OTA予約客は基本的に宿泊施設ではなく、OTAのプラットフォームにロイヤリティ(忠誠心)を持っています。一方、ブランドアプリを経由した顧客は、ブランド独自のロイヤリティプログラムに紐づけられ、滞在データや嗜好データが蓄積されます。このデータ(一次情報)は、次の滞在でパーソナライズされた体験を提供する基盤となり、顧客生涯価値(LTV)を最大化します。
ホテルのDX戦略全体については、以下の記事も参考にしてください。
【2026年最新】ホテルDX完全ガイド:成功事例(アパ・星野リゾート)とトレンドを網羅解説
統一されたブランド体験の提供
チェーン展開するホテルグループにとって、各ホテルで一貫した高品質なサービスを提供することはブランド価値の根幹です。しかし、従来のチェックインやサービス提供方法がバラバラだと、ゲスト体験にムラが生じます。企業全体で統一されたモバイルアプリを導入することで、予約時、チェックイン時、滞在中、チェックアウト後の全てのデジタル接点で、一貫したブランドイメージとサービスレベルを維持できます。
STAY社のCorporate Appが解決するホテルグループの課題
ホテルグループが自社アプリを導入したいと考えたとき、これまでは主に以下の二つの大きな壁がありました。
- 内製化(独自開発)の壁:初期開発コストが数億円規模となり、開発期間が長く、運用後のメンテナンスやアップデートに多大なリソースを要する。
- 単体ホテルアプリの壁:各ホテルが個別にアプリを導入しても、グループ全体での顧客データ統合やロイヤリティプログラムとの連携が困難になる。
この課題に対し、ゲストエクスペリエンスプラットフォームを提供するSTAY社は2026年1月、ホテルグループ向けのSaaSソリューション「Corporate App」を発表しました。(出典:Stay Launches Corporate App to Help Hotel Groups Own the Mobile Channel and Drive Direct Bookings)
SaaS型アプリ導入で実現する「チェーン横断型DX」
STAY社のCorporate Appは、ホテルグループが自社ブランドのモバイルチャネルを、内製開発なしで迅速に所有するためのSaaS(Software as a Service)ソリューションです。
1. 開発期間とコストの大幅な短縮
SaaSモデル最大の利点は、共通基盤を利用するため、ゼロから開発する必要がない点です。これにより、CEOのジョアン・リャド氏が述べる通り、「従来の開発チームと長い開発サイクルを必要とせず、エンタープライズ対応のブランドアプリをはるかに短期間で立ち上げることが可能」になります。
2. ブランドポートフォリオ全体の可視化と予約
ゲストは Corporate Appを通して、グループ傘下の全ホテルのポートフォリオを閲覧し、空室状況の確認、予約、事前チェックイン処理を、全て単一のモバイル環境内で完結できます。これは、ゲストの利便性を高めるだけでなく、他施設へのクロスセル機会を創出します。
3. 既存システムとのシームレスな連携
ホテルDXにおいて最も困難なのが「システム間の連携」です。Corporate Appは、以下のような既存の基幹システムと深く統合されます。
- 予約エンジン(Booking Engines)
- ロイヤリティプログラム
- CRM(顧客関係管理)システム
- In-Stayサービス(レストラン予約、スパ予約、ルームサービス)
これにより、企業全体で構成やコンテンツを一元管理できるため、ホテルグループは開発作業や追加ツールなしで、体験を進化させ続けることができます。
導入済みホテルグループの具体例
同リリースによると、Barceló Hotel Group、H10 Hotels、Palladium Hotel Group、Vincci Hotelesなどの欧州大手ホテルグループが既にCorporate Appの導入を進めているとされています。これは、チェーン全体でモバイル戦略を強化することが、現代の業界トレンドであることを示唆しています。
ホテル現場で実現するオペレーション革命
モバイルアプリの導入は、ゲスト体験の向上だけでなく、人手不足に悩むホテル現場のオペレーションにも革命をもたらします。フロントや現場スタッフが抱える「アナログな摩擦」を解消し、真に価値の高い業務に集中できるようになるのです。
ゲストの待ち時間をゼロにするチェックイン/アウト
モバイルアプリによる事前チェックイン(Pre-Stay Process)は、フロントデスクの混雑を劇的に解消します。
- 事前情報入力:住所、氏名、署名、パスポート情報などを自宅で完了。
- モバイルキー発行:到着時にアプリ内で客室キーを発行(スマートロック連携時)。
- チェックアウト:精算確認とチェックアウト手続きもアプリ内で完結。
これにより、フロントスタッフは単純作業から解放され、より複雑なリクエスト対応や、個別の「デジタル・コンシェルジュ」としての役割に時間を使えるようになります。
フロントの対応負荷軽減は、ホテルのDXにおける最重要課題の一つです。AIによるゲストコミュニケーションの効率化については、こちらもご参照ください。
ホテルDXの壁?AI Operatorが埋める「会話のギャップ」の正体とは?
収益を直接的に高める「インステイ・アップセル」の自動化
モバイルアプリは、ゲストが滞在中に必要とするサービスや商品に、シームレスにアクセスできる環境を提供します。これを「インステイ・サービス(In-Stay Services)」といいます。
| サービス | 従来の提供方法 | アプリ導入後の変化(自動化) |
|---|---|---|
| ルームサービス | 内線電話での注文(言語の壁、ミスの可能性) | 写真付きメニューをアプリで閲覧、ワンタップで注文(多言語対応) |
| 設備リクエスト | 電話で「タオル追加」「アメニティ補充」を依頼 | タスク管理システムと連携。リクエストが現場スタッフに自動で割り振り。 |
| ホテル内施設予約 | スパやレストランに電話予約、空き状況確認の手間 | リアルタイムの空き状況を確認し、アプリ内で即時予約・決済完了。 |
重要なのは、これらのサービスがゲストの行動履歴やプロファイルに基づいて、パーソナライズされてレコメンドされる点です。例えば、家族連れのゲストには託児サービスを、ビジネス客には会議室利用や深夜の食事オプションを提案することで、アップセル率が飛躍的に向上します。
ホテルアプリ導入における「内製化」と「SaaS」の判断基準
自社ブランドのモバイルアプリを持つことは必須の戦略となりつつありますが、導入方法には大きく分けて「内製化(独自開発)」と「SaaS利用」の二つの選択肢があります。
独自開発(内製化) vs SaaS型プラットフォーム
特にホテルグループのように多施設展開する場合、初期投資と長期的な運用負担を考慮し、判断することが不可欠です。
| 項目 | 独自開発(内製化) | SaaS型プラットフォーム(Corporate Appなど) |
|---|---|---|
| 初期費用 | 高額(数千万円〜数億円)。開発チームの雇用費用含む。 | 比較的安価。月額または年額の利用料が主。 |
| 開発・導入速度 | 非常に長い(1年以上)。 | 迅速(数週間〜数ヶ月)。既存機能の活用。 |
| カスタマイズ性 | 非常に高い。独自の機能を自由に実装可能。 | 限定的。ブランドカラーや一部の機能設定は可能だが、基盤変更は不可。 |
| メンテナンス・更新 | 自社負担。OSアップデート対応、バグ修正など継続的なリソースが必要。 | サービス提供者側で実施。常に最新の技術が利用可能。 |
| 多施設展開の容易さ | 施設ごとにカスタマイズや連携工数が生じる。 | 容易。チェーン全体で設定を統一し、迅速に展開可能。 |
ホテルグループがSaaSを選ぶべきケース
多くのホテルグループ、特にミッドスケール以上の規模で迅速なDXを求める場合、SaaS型のプラットフォームが圧倒的に有利です。その理由は、「スピード」と「標準化」です。
- スピード優先:競合他社に先んじてモバイルチャネルを確立し、ダイレクト予約の割合を高めたい場合。
- 標準化の徹底:グループ全体でゲスト体験の品質を統一し、各ホテルのデジタル施策を本社で一元管理したい場合。
- リソースの集中:限られたIT人材を、アプリ開発ではなく、顧客データ分析やパーソナライゼーションといった「競争優位性の高い分野」に集中させたい場合。
独自開発は、世界で唯一無二の、既存の枠に収まらない体験設計を目指す一部のハイエンドなラグジュアリーブランドや、強大な資金力とITリソースを持つメガチェーンに限定される傾向にあります。
次世代モバイル戦略:パーソナライゼーションとデータ活用
単にアプリがあるだけでは、ゲストは使いません。アプリを真に価値あるものにするのは、その背後にあるデータ連携と、それに基づくパーソナライゼーションです。
1. 予約エンジンを超えた統合体験
従来のモバイルアプリは、単なる予約ツールで終わっていました。しかし、次世代のアプリは、PMS(ホテル管理システム)やCRMと連携し、ゲストの「今」の状態に合わせて動的に体験を変化させます。
- 予約前:アプリ内でロイヤリティ会員限定の特別料金や未公開パッケージを表示。
- 予約後〜チェックイン前:ホテル周辺のイベント情報や、フライトの遅延状況に合わせた移動手段の提案。
- チェックイン中:「〇〇様、プールサイドの席をご用意できます」といったパーソナルなメッセージと、施設の利用を促すアップセル通知。
これにより、アプリはゲストのスマートフォンのホーム画面に残り続ける「価値あるツール」へと進化します。
2. リアルタイム・フィードバックの収集と改善
モバイルアプリは、滞在中のゲストとホテルスタッフが双方向にコミュニケーションを取る強力なチャネルとなります。滞在中にチャット機能を通じてゲストの不満や要望をリアルタイムで収集し、即座に対応することで、ネガティブな口コミ発生を未然に防ぎます。
従来のアンケートやチェックアウト時のフィードバックよりも迅速に課題を把握できるため、現場のサービス改善サイクルを加速させ、ロイヤリティの向上に貢献します。
ホテル経営者が今すぐ取るべきアクションプラン
モバイルチャネルの所有権を確立することは、2026年以降のホテルグループの競争力を左右する戦略的判断です。導入に際して、経営陣が確認すべき重要なステップと判断基準をまとめます。
ステップ1:モバイル戦略の目的定義
問うべきこと:「何のためにアプリを導入するのか?」
目的が「OTA手数料の削減」なのか、「ロイヤリティ会員の増加」なのか、「現場オペレーションの効率化」なのかによって、選定するテクノロジーは変わります。複数の目的を持つ場合は、どのKPI(重要業績評価指標)を最優先するかを明確に定義します。
ステップ2:現状のシステム統合性の評価
問うべきこと:「既存のPMSや予約エンジンは、外部のSaaSとスムーズに連携できるか?」
STAYのようなSaaS型プラットフォームは、オープンAPI(Application Programming Interface)を持っていることが前提です。もし、基幹システムがレガシー(旧式)で連携が非常に困難な場合、アプリ導入以前に、より柔軟な新しいPMSへの移行や、ミドルウェアの導入が必要となる可能性があります。
ステップ3:現場巻き込み型の導入計画
問うべきこと:「アプリの導入で、現場スタッフの業務は楽になるか、増えるか?」
テクノロジーが現場の負担を増やしてしまうと、定着率は著しく低下します。アプリ導入は、フロントやハウスキーピング、F&B部門のリーダーを巻き込み、オペレーションフローを改善する目的で設計されるべきです。モバイルオーダーやリクエスト機能が、実際に現場のタスクを自動化し、生産性向上につながるかを入念に検証してください。
よくある質問(FAQ)
Q1: モバイルアプリ導入でダイレクトブッキングはどれくらい増えますか?
導入環境やブランド力によって大きく変動しますが、モバイルアプリをロイヤリティプログラムや限定特典と連携させることで、OTA経由の予約の一部を自社チャネルへシフトさせることが可能です。アプリ利用者を優先的な情報提供の対象とすることで、リピーターの囲い込みが容易になり、結果としてダイレクト予約率を数%〜十数%向上させる事例が報告されています。
Q2: 小規模な独立系ホテルでもSaaSアプリは導入すべきですか?
はい、導入を検討する価値は十分にあります。SaaSモデルは初期投資が抑えられるため、大規模チェーンほどの資金力がなくても、モバイルチェックインやインステイサービスといったゲスト体験向上に必要なコア機能を迅速に提供できます。特に人手不足の解消や、アップセルによる収益向上効果は、小規模施設でも大きなメリットとなります。
Q3: アプリは必須ですか?モバイル対応したWebサイトでは不十分ですか?
モバイル対応したWebサイト(レスポンシブデザイン)は必須ですが、アプリはより強力なツールです。アプリはプッシュ通知でパーソナルなコミュニケーションが可能であり、オフラインでの利用や、スマートフォン独自の機能(カメラ、位置情報など)を利用した高度な体験を提供できます。また、一度ダウンロードされれば、ゲストのスマートフォン内に常にブランドの存在を確保できるという点で、Webサイトを上回るロイヤリティ構築効果があります。
Q4: アプリ導入後、顧客データ管理(CRM)はどう変わりますか?
アプリは、CRMシステムにとって最も貴重なデータソースとなります。予約情報だけでなく、アプリ内での閲覧履歴、ルームサービスの注文履歴、リクエスト内容、滞在中の施設利用パターンなど、詳細な「行動データ」がリアルタイムでCRMに蓄積されます。これにより、より正確な顧客セグメンテーションと、次の滞在に向けた精度の高いパーソナライズ戦略が可能になります。
Q5: 開発をSaaSに任せた場合、ブランドの独自性は出せますか?
最新のSaaS型プラットフォーム(Corporate Appを含む)は、強力なブランドカスタマイズ機能を備えています。アプリのUI/UX全体をゼロから設計することはできませんが、ロゴ、カラースキーム、フォント、コンテンツレイアウトなどは、ブランドのガイドラインに合わせて柔軟に変更可能です。重要なのは、コア機能の安定性と迅速性をSaaSで確保しつつ、コンテンツやコミュニケーションの部分で独自性を出すことです。
まとめ:デジタルと人間の融合による新しいおもてなし
2026年、ホテル業界におけるテクノロジー導入の焦点は、「いかに業務を効率化するか」から、「いかにブランド体験と収益を統合するか」へと移行しています。モバイルアプリは、この新しい戦略の「ハブ」となるものです。
STAY社のCorporate AppのようなSaaS型ソリューションは、ホテルグループにとって高額な開発リスクや長期的な運用負荷を回避しつつ、ダイレクトブッキング強化とゲスト体験の統一という、戦略的な目標を達成するための最短ルートを提供します。モバイルチャネルの所有権を取り戻すことは、OTAとの健全な競争環境を築き、持続可能な収益モデルを確立するための決定的な一歩となるでしょう。
デジタルなツールで業務を効率化し、その結果生まれた時間とリソースを、人間でしか提供できない感動的なおもてなしに注ぎ込む。これが、ホテル業界の未来を形作る「ハイブリッド戦略」の本質です。


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